ひぃばぁ、おめでとう。
葉月りり
第1話
ひぃばぁの部屋はいつも干したての布団のような匂いがした。母屋の北西の角、縁側廊下に囲まれた六畳間。桐の箪笥と鏡台、三段になった道具箱に小さな座卓。この座卓の上で、ひぃばぁの手から魔法のように出来上がる折り紙やちりめん紙の姉様人形。
小さい頃、冠婚葬祭やお盆、お彼岸などで田舎の家に親戚が集まると、私はよくひぃばぁの部屋にいた。他の従兄弟たちは男の子ばかりだったので、じぃじやばぁばに広い庭で遊んでもらっていた。穴を掘らせてもらったり、焚き火をして色々なものを焼いて食べたり。まだ若かったじぃじ、ばぁばは孫たちが来ると張り切って、色々企画していたようだ。でも、私はひぃばぁの部屋が好きだった。ひぃばぁの部屋には可愛いものがたくさんあったから。そして、その可愛いものはみんなひぃばぁが作ったものだった。
和布を縫って作った吊るし飾りは、猫ばかりだった。
「オラは猫が好きだからよ。今までいた猫、みんな作っただよ。コレは最初のミー。コレは次のミー。これは三代目のミー」
たくさんの花柄の猫たちはみんなミーだった。
ひぃばぁは刺し子も得意で、細かい縫い目で麻の葉や千鳥、図案化した花模様を刺して、その布は色々なもののカバーになっていた。
「オラは寅年だったから、戦争中は千人針縫うのに引っ張りだこだっただよ」
鏡台にかかったカバーは、特に美しかった。紺地に赤、白、ピンクの梅の模様を刺したもの。ひぃばぁの名前はウメだったから、きっとひぃばぁもお気に入りだったろう。
姉様人形もたくさんいた。花模様の着物を着ているものもいたが、ほとんどは白無垢、綿帽子の花嫁人形だった。
「ひぃばぁがお嫁さんになった時もこんなの着たの?」
「こんなん着られんのは金持ちと街の人だけだあ。オレらはいつもよりちっときれいな着物着て、神社さ参って、近所中でドンチャンやるだけだっただ。でもな、オレらはそん頃には珍しく、恋愛結婚だっただぞ。」
「れんあいけっこん?」
「昔はな、結婚相手は親が決めるのが当たり前で、結婚式の日まで相手の顔も見たことないなんてざらだったで、好き合うて結婚するなんてのは夢のような話だっただよ。ま、せっかく結婚しても早くに死なれちゃしょうがねえけどな。咲子らはいいな。みんなきれいな着物着て、好きな男と結婚できるだな」
「ううん。咲子は、着物じゃなくてドレスがいい! フワーッと広がったスカートのウエディングドレス!」
「ははは、そうか、ドレスか」
ひぃばぁはもう出来上がっている花嫁人形の帯を外して、袖をチョンと切った。大きめのちりめん紙を出してきて端を指でしごいて縮みを広げて、もう片方の端は針と糸を使ってギャザーを寄せて、花嫁人形に巻きつけた。外した帯は細く作り直して、人形のウエストに巻いて止めたら、裾がフリルの可愛いドレスが出来上がった。
「これでどうだ。よかべ」
「ひぃばぁ、頭がこれじゃ」
二人で日本髪にウエディングドレスの花嫁人形を見てケタケタ笑った。
ひぃばぁが亡くなった。高校生になった頃から田舎の家にあまり行くことがなくなっていた。ひぃばぁに最後にあったのはいつだったろう。母から連絡をもらって告別式に出席することにした。取り敢えず田舎の家に行けば、葬儀場のバスが迎えに来てくれるらしい。制服ではなく喪服でのお葬式は初めてだ。香典も母の指示をもらって用意した。
田舎の家に着くと、親戚や近所の人も何人か集まっていた。
「ああ、咲子、来たか。遠くからご苦労だったね」
叔父、叔母が迎えてくれた。
えーと、こういう時は……
「この度は……ご愁傷」
「いや〜この度はどうもおめでとうございますー」
えええーっ!
ご近所さんらしい人が叔父、叔母に頭を下げている。ビックリしている私に叔母が
「ここいらじゃ米寿の祝いをした後に亡くなった人には、天寿をまっとうされて良かったですねってことでおめでとうって言うんだよ」
と、教えてくれた。聞いていると、あちこちから「おめでとう」が聞こえる。
いや、そうかもしれないけど。
大勢の黒い服の人が妙に明るい雰囲気なのに戸惑って、私はみんなから離れ、ひぃばぁの部屋に行った。
干した布団の匂い、変わってない。吊るし飾りも刺し子のカバーも。私はこの可愛いものたちも、ひぃばぁもずっと変わらずここにいてくれるものと思っていたのかもしれない。そんなわけないのに。
花嫁人形をひとつ、手に取ってみる。シワシワの指で丁寧に折ったり貼ったりして可愛いものを作っていくひぃばぁの姿が思い出される。やっぱり悲しいよ。「おめでとう」なんて言えない。その時、花嫁人形の後ろに千代紙を貼った薄い箱をみつけた。そっと開けてみると、半円形のクシが入っていた。ツゲのクシ?って言うのかな。滑らかな木地に白い梅とピンク色の梅を散らした綺麗な模様。手に取って裏返してみると、名前があった。釘で引っ掻いたような字で
「ウメへ ヒロシ」
これはひぃじいがひぃばぁに贈ったクシだ!
私はクシをハンカチに包んでバッグに入れた。これをひぃばぁに持たせてあげなきゃ。
葬儀場に着いたらここでも「おめでとう」。やっぱり慣れない。
受付のカウンターの中に母がいる。参会者の「おめでとう」に笑顔で「ありがとうございます」と応じている。
そうだ。ひぃばぁの髪にこれをさしてあげよう。
私は祭壇に向かった。白い花に薄ピンクの花を混ぜた明るい感じの祭壇。お棺はすでに大勢の人に囲まれていた。やはり、みんなにこやかにお棺を覗き込んでいる。声を出して笑っている人までいる。慣れない雰囲気の中、私もお棺の中のひぃばぁに「おめでとう」と言わなきゃいけないのかなと思いながらお棺の中を見せてもらった。
ひぃばぁは、真っ白なウエディングドレス姿だった。
思わず周りの人の顔を見回す。みんな笑ってる。笑顔の輪の中にばぁばがいた。
「きれいだべー。ひぃばぁの遺言なんだよ。九十過ぎたくらいからかな。あんな古臭い白装束は嫌だ。同じ白ならオラにはウエデングドレスを着せてくれって言い出して。そんで、葬儀場の人に相談したら、最近は洋装にする人も多いらしくて、ちゃんと用意してあっただよ」
「……じゃあ、これ、いらなかったね」
私はひぃばぁのクシを出してみせた。
「ああ、ひぃじいがひぃばぁに贈ったやつ。そうだなあ……」
ひぃばぁの髪は花できれいにかざられていた。
「そうだ、咲子、それ咲子が貰っておきな。女の子のひ孫はお前一人だし、咲子が持っててくれれば、ひぃばぁも喜ぶよ。ひぃばぁはあの世でまたひぃじいに買って貰えばいい」
「そうだね。せっかくのドレス、頭にこれじゃ……」
(どうだ、よかべ)
ひぃばぁの声が聞こえた気がした。不意にひぃばぁの作ってくれた花嫁人形が思い浮かぶ。
涙がぽろぽろ落ちるけど、顔が笑ってしまった。
胸に大きなリボンの付いたフリルいっぱいのウエディングドレス、蘭を使った豪華なブーケを持って、ひぃばぁは満足そうに眠ってる。
ひぃばぁはもう一度ひぃじぃのところにお嫁に行くんだね。
「ひぃばぁ、おめでとう。」
ひぃばぁ、おめでとう。 葉月りり @tennenkobo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます