エピローグ
第33話
その日も、朝から我が家は賑やかだった。
咲良のおむつを外した途端におしっこをかけられたとかで、お父さんと百合さんがバタバタと服を脱がしたり床を拭いたりしていた。
「……何やってんの?」
「瑞穂ちゃん、いいところに! これ、咲良に着せといてー!」
「はーい」
私は百合さんから咲良の着替えを受け取ると、ベビーベッドに転がされている咲良のところへと向かった。
咲良は私を見つけるとケラケラと笑った。
「服着ようねー。お父さんもお母さんも今忙しいんだってー」
「あーうー」
慣れた手つきで服を着させて「終わったよ」と声をかけようとお父さんたちの方に顔を向けると、二人が驚いたような表情で私を見つめていた。
「な、何……?」
「今、なんて……?」
「え……?」
「今、その……お母さんって……」
「……っ。別に!」
わざとそっけなく言うと、私はソファーの横に置いてあったカバンを手にすると、二人に言った。
「和臣君と遊びに行ってくるね」
「み、瑞穂ちゃん……」
百合さんが、涙混じりの声で私を呼ぶから……私は、リビングの扉を開けて廊下に出ると振り返って言った。
「いってきます。……お父さん、お母さん」
私の言葉に、百合さん――お母さんが息を呑むのがわかった。
何か言われるのが恥ずかしかったから、慌ててドアを閉めると私は靴を履いて外に飛び出した。
外はいい天気で、雪はもう残っていなかった。
あの事故(未遂)の日から、一ヶ月が経った。
あのあと、検査のために入院していた和臣君も一週間ほど前に退院して、元気に日常生活を送っている。
この間まで咲いていた桃の花はいつの間にか姿を消して、気が付けば桜の蕾がほころびはじめていた。もうすぐ春が来る――。
駅にある時計台の下に、見覚えのある姿を見つけて私は小走りで駆け寄った。
「お待たせ」
私の声に気付いた和臣君は、読みかけの小説を閉じると顔を上げた。
「おはよう」
「おはよう。待たせちゃってごめんね」
「俺もさっき来たところだよ」
優しく微笑むと、和臣君は「行こうか」と手を差し出した。その手を当たり前のように握りしめると、私たちは歩き出した。
今日はずっと行きそびれていた水族館に行こうと、和臣君が誘ってくれたのだ。
「あ、バス来たよ」
「ホントだ! 急がなきゃ」
バス停にはもう水族館行きのバスが到着していて、何人かが乗り込んでいるのが見えた。
私たちは手を繋いだまま走ると、バスに飛び乗った。
「間に合った!」
「危なかったね」
顔を見合わせて笑う。こんな日が訪れるなんて、三ヶ月前の私は思っていなかった。
こんなふうに、優しくて愛おしい時間が来るなんて。
あの日々が、なんだったのか結局わからないけれど、それでもあの三ヶ月があるから、今の私たちがいる。
それだけは確かで。
「どうしたの?」
「え?」
「なんか、嬉しそうな顔してる」
「そうかな? ……そうかも。今が幸せだなって思ってた」
私の言葉に、和臣君は優しく微笑むと
「一緒にいればこれから先も、何度だってこうやって幸せな時間を過ごすことができるよ」
そう言って、繋いだ手をギュッと握りしめた。
「次はどこに行こうか」
「次って。まだ今日の水族館にもついてないよ」
笑う和臣君に、私は「それは、そうなんだけど……」と呟くと、笑顔を浮かべようとして上手く笑えずにいた。
そんな私に和臣君は「いいよ」と言ってニッコリ笑った。。
「じゃあ、次はどこにするか一緒に考えよっか。二人でならどこにでも行けるよ」
「どこにでも?」
「そう。どこにでも」
「……そっか。そうだよね」
和臣君の言う通り、二人でならきっとどこにでも行ける。
だって、明日も明後日もその次の日も。
私は和臣君と一緒に、この世界で生きていくのだから。
この空の下で、何度でも君を好きになる 望月くらげ @kurage0827
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます