第32話

 大丈夫だと言ったけれど、念のためと私たちは親に連絡をされ、お父さんたちが迎えに来るまで駅長室で二人待たされていた。

 手足にあった軽い擦り傷なんかは駅員さんが来て応急処置をしてくれた。

 私は絆創膏程度だったけれど、隣に座る和臣君の手には包帯が巻かれていて随分と痛々しかった。


「ごめんね……私のせいで……」

「瑞穂のせいじゃないよ。俺が、瑞穂を助けるために飛び込んだんだ」

「でも……」

「瑞穂だって、俺を助けようとしたでしょう? それと同じだよ」


 和臣君は優しく微笑むと、包帯を巻いた手を私の手に重ねた。

 触れた箇所から伝わる温もりがあまりにも優しくて、涙が零れ落ちた。


「あ……」

「え?」


 和臣君が何かに気付いたように、顔を上げた。

 バタバタと走る音が聞こえたかと思うと、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「みず……」

「瑞穂ちゃん!!」


 その声の持ち主は、お父さんを押し退けると私の身体をぎゅっと抱きしめた。


「無事で、よかった……」

「百合、さん……」

「ホントに、ホントに良かった……」


 百合さんの声は震えていた。

 私は「ごめんなさい」と言うことしかできなかった。

 顔を上げると、咲良を抱いたお父さんが、真っ青な顔で私を見つめているのが見えた。


「おとう、さん……?」

「あ、いや……悪い。ホッとしたら……」


 お父さんは声を詰まらせると、目尻を拭った。

 お父さんが、泣いている……。

 お母さんが死んだあの日以来、泣いている姿なんて見たことなかったお父さんが……。


「穂波のように……お前のおかあさんのように、瑞穂までいなくなってしまうのかと思ったら……。俺は、俺は……」


 お父さんは百合さんに咲良を預けると、私の身体を抱きしめた。こんなふうに、お父さんに抱きしめられるのはいったい何年振りだろう。ふさふさだった髪の毛にも、いつの間に生えたのだろうか、何本か白髪が混じっているのが見える。あんなに広く感じたお父さんの背中は、そっと手を回すと、記憶の中のそれよりも随分と小さく感じた。


「瑞穂……。本当に、よかった……」


 私を抱きしめたお父さんの手が震えていることに気付いて、私は――ようやく自分のしたことのおろかさに気付いた。

 私が死ぬということは、お父さんにもお母さんが死んだときのように辛い思いをさせるということだったんだ。

 そんなことにすら気付かないだなんて、私はなんて自分勝手だったんだろう。


「おとう、さん……ごめんな、さい……」

「瑞穂……?」

「ごめんな、さい……っ!」


 謝りたいのに、嗚咽おえつが混じってしまって上手く喋ることができない。

 突然泣き始めた私に、お父さんは一瞬驚いたような声を上げた後、優しくギュッと抱きしめてくれた。

 そのぬくもりが温かくて、私は、あふれ出る涙をこらえることなく子どもみたいに大きな声で泣き続けた。


「君が、瑞穂を助けてくれたと聞きました」


 お父さんの腕の中でひとしきり泣いた後、百合さんから手渡されたハンカチで涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭いていると、お父さんが和臣君に声をかけた。


「ありがとう」

「いえ、俺は……っ」

「和臣君……?」

「あっ……」


 その瞬間、和臣君の身体が崩れ落ちていくのが見えた。


「え……?」


 頭を抑えたまま、座っていたベンチから落ちた和臣君は動かない。

 私は――それを見つめたまま、何もできずにいた。


「……み! ……きみ!!」

「あ……」


 気が付くと、お父さんが和臣君の身体を抱きとめたまま、呼びかけていた。

 真っ青になったまま、和臣君はお父さんの腕の中で身動き一つとらず抱かれていた。


「かずお、み……くん……?」

「百合、救急車を」

「は、はい!」


 お父さんに言われて百合さんが救急車を呼ぶ。

 私は……和臣君の頬に触れた。


「ねえ……和臣君……。なんで……」


 呼びかけても、返事は、ない。


「だって、言ったじゃない。ずっと一緒だって、離れないって」


 どんなに呼びかけても、和臣君は動かない。

 顔色はどんどん悪くなっていく。


「和臣君……起きてよ……ねえ、和臣君!!」

「救急車! すぐ来るって!」

「嫌だ! 目を開けてよ! 和臣君!!!」


 和臣君を呼ぶ私の声が響き渡る中、遠くで救急車のサイレンが聞こえた気がした。



 あの日から数日後、私は病室のドアの前に立っていた。

 深呼吸をしてから、ドアをノックした。


「はい」

「こんにちは……」


 ドアを開けると、そこには――頭に包帯を巻いてニッコリと笑う和臣君の姿があった。


「来てくれてありがとう」

「もう、大丈夫なの?」

「うん。手術も成功したし、あと数日で退院できるそうだよ」

「そっ……か」


 明るく言ってはいるけれど、大変な状況だった。

 あのあと救急車で運ばれた和臣君は脳内で出血を起こしているとのことで、和臣君のお父さんが到着してすぐに手術となった。

 手術の間中、怖くて怖くて、私は泣きじゃくることしかできなかった。


「瑞穂のせい、じゃないからね」

「っ……でも!」

「この間も言ったけど、俺がしたくてしたことなんだ。……それが、こんなことになってカッコ悪いね」


 和臣君は苦笑いを浮かべると私を手招きした。

 恐る恐る和臣君のそばに近寄る。

 包帯は痛々しかったけれど、たしかにあの日に比べると顔色もよくなっているし、少しだけ元気そうに見えてホッとした。


「手、貸して」

「手?」


 どうするのかわからずに、私は右手を和臣君へと差し出した。

 その手を取ると、和臣君は自分の胸に私の手を当てた。


「動いてるの、わかる?」

「わか、る」

「ちゃんと、生きてるから」

「うん……うん……!」

「瑞穂のそばに、これからもずっといるから」


 和臣君はそう言うと、私の手と自分の手を絡めて、そして――キスをした。

 触れるだけの、優しいキスを何度も何度も――。

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