最終話 桜並木の下で


 ――1962年、キューバ危機。世界の運命を変えた日は、そう呼ばれている。


 当時の大国同士の緊張は、全面核戦争の火蓋を切ろうとしていた。万一の時は、戦後を経て間もない日本にとっても「対岸の火事」ではなくなる。

 両国首脳の尽力がなければ、第3次世界大戦の始まりは避けられなかった。この事件の結末が、世界の運命を大きく分けたのである。


 そして、日本が核戦争の脅威から解放されて数十年。昭和しょうわ平成へいせい令和れいわという数々の時代を乗り越えた頃。

 長きに渡る平穏な日々を過ごす余り、その恐ろしさを忘れかけていた人々の前に――ある日突然、得体の知れない災厄が降り掛かるのだった。


 千代田区の上空に突如、巨大な深淵とも言うべき「穴」が出現したのである。しかもその中心からは、微量ながら……未知の新元素・・・・・・を持つ放射能が感知されたのだ。

 それは、11年前にワシントン上空で発生した怪奇現象を彷彿させるものであった。


 なんの前触れもなく真昼の青空に現れた「穴」は、微かに放射能を噴き出した後、跡形もなく消失してしまったのだが――それでこの世界・・・・に流れてきた「異物」が、消えて無くなるわけではない。


 この事件を受け、自衛隊が緊急出動する中――全世界の有識者が調査に訪れたのだが。彼らの叡智を持ってしても、「穴」の正体を暴くには至らなかったのである。

 そして実態が見えないということは、今後さらに放射能が漏れて・・・来る可能性も想定しなくてはならない。


 その脅威を知った時の防衛大臣・不動猛征ふどうたけまさは、直ちに事態の収拾へと動き出した。

 迅速かつ的確な彼の指示により、1人の死者も出ることなく。千代田区の都民は速やかに他の区へと避難して行き――化学防護隊による、除染活動が始まったのである。


 国民を守る最後の砦。その使命に恥じぬ彼の戦い振りは、多くの官僚達からの敬意を集め――やがて、「国防の要」とも呼ばれるようになった。

 再び放射能が確認されたとしても、彼ならなんとかしてくれる。周囲にそう思わせるだけの力が、守るべき「家族」を持つ彼には――満ち溢れていたのだ。


 ――だが、そんな彼にも一つの大きな悩みがあった。それは防衛大臣としてではなく、1人の父としてのもの。


 長年に渡り寄り添ってきた、妻の話によれば。最近、高校2年生になった最愛の1人娘に。


 好きなひとが、出来たというのである。


 ◇


「……もう、桜の季節か」


 世間では新年度が始まりを告げ、多くの人々がこの1年のスタートを切っている。

 29歳という若さで、日本を代表する医療機器メーカー「アオイシールド株式会社」を築き上げた、時代の寵児――葵楯輝あおいじゅんきも、その1人であった。怜悧な美貌に彩りを添える彼の眼鏡が、窓辺から差し込む光を浴びて輝きを放つ。


 ――千代田区上空に出現した謎の「穴」。そこから流出して来た放射能を除染するために運用されている、自衛隊の装備には――「新元素」の解析に成功した、彼の会社が携わっているのだ。

 この世界が知らない未知の新元素を持つ、謎の放射能に抗うために生まれた、新たなる希望として。


 今日は、その装備をより多く生産するための商談があるのだ。この交渉に成功すれば、半年以内に千代田区の除染が完了する可能性にも、光明が差し込んでくる。

 晴れ渡る「青空」の下。彼を乗せる漆黒の高級車リムジンは、平和を願う人々のために――行く先を彩る「さくら」に囲まれた、目黒区のアスファルトを突き進んでいた。


「えぇ。……これからの1年を生きて行く人々のためにも、この商談……必ず成功させましょう」

「無論だな。如何様な障害があろうとも、私の科学は絶対だ」

「……はい」


 その後部座席に座る彼の隣で、予定表スケジュールを睨んでいた専属秘書――山吹華純やまぶきかすみも。敬愛する社長の言葉に、真摯な面持ちで応えている。


 黒のレディーススーツによって際立つ、白く艶やかな肌。漆黒のセミロング。その全てが、芸術品の如き美しさを築き上げていた。

 ――左手の薬指に嵌められた、白銀の指輪も。その麗しさに、さらなる輝きを齎している。


「……しかし、済まないな。再来月には挙式だというのに。この仕事が終わったら、入籍祝いくらいはさせてくれ」

「そ、そんな……恐縮です。私のことなんてお気になさらないでください、社長。あの人、昔から何かとルーズなんですから」

「ふふ……ならばそれを補って、余りある魅力に溢れた好青年なのだろうな。君が選ぶほどなのだから」

「うぅ……」


 先程までの毅然とした表情から一変して、柔らかな笑みを浮かべる楯輝に対し――新婚間もない彼女は、その白い頬を桃色に染めていた。

 高校時代の後輩でもある、山吹洸やまぶきたけし。彼との結婚式を控えている彼女は、愛する夫――になる青年を想い、車窓の向こうへと視線を逸らしてしまう。


『山吹3尉、無理はするなよ!』

『わぁかってますよぉ1尉ッ! こちとら、可愛くてナイッスバディな嫁さんが、帰りを待ってるんすからねぇッ!』

『……新婚だからって、張り切り過ぎるのもやめろよ』

『さぁ行くぜ放射能共、光の速さでくたばりやがれッ!』

『……聞けよ』


 ――今まさに。防衛大学校を首席で卒業し、化学防護隊に配属された陸上自衛官として。千代田区の除染に尽力している、彼への愛を誓いながら。


「……あれは……」


 その時。赤信号により停止した楯輝達の前に、1組の親子が現れた。

 地図と睨み合いながら、覚束ない足取りで横断歩道を渡る、その様子を目にすれば――千代田区から来た避難民であることは、火を見るよりも明らかであった。


 自衛隊の初動対応こそ迅速ではあったものの、受け入れ先も人手も圧倒的に足りておらず、避難所となる各所の体育館まで、避難民が自力で移動しなければならないケースが増えている――というニュースは、今朝から楯輝の耳にも入っている。

 その如何ともし難い実態を前にして。「人々を救いたい」という一心で、医療機器メーカーを築き上げた男は――苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。そんな彼の胸中を慮る華純もまた、沈痛な面持ちで彷徨う家族を見守っている。

 大事な商談を控えている自分達では、あの家族に手を差し伸べることはできないのだと。桜色の唇を、噛み締めて。


「……!」


 ――すると。


 横断歩道を越えた親子に、声を掛ける少年が現れた。艶やかな黒髪を春風に靡かせ、爽やかな印象を与える彼は――道に迷う親子に寄り添い、道案内を始める。


 紺色のブレザーや、その体格から察するに、恐らくはこの近辺の学校に通っている高校生なのだろう。彼は登校中にも拘らず、親子を連れて来た道を引き返し、彼らの目的地へと歩み出して行った。


 遅刻すら厭わないその献身に、華純が複雑な表情を浮かべる一方で――楯輝は、青信号になり車が発進してからも。見えなくなるまで、少年を視線で追い続けていた。

 ――決して他人には思えない、「何か」を感じながら。


 ◇


 それから、約1時間後。自衛官の迎えが来るまで避難民の親子を案内していたことで、大幅に遅刻する羽目になった剣耀流つるぎあかるは――満開の桜によって彩られた目黒川の並木道を、全力疾走で駆け抜けていたのだが。


「剣君っ!」

「おわっ!? ……ふ、不動! なんでお前、こんなとこに……!」

「あなたにだけは言われたくないんだけど! 新学期早々、始業式から台無しにするつもり!?」


 木の幹から飛び出してきた「風紀委員長」に声を掛けられ、思わず仰け反ってしまうのだった。間違ってもこんな時間にここで会うはずのない、彼女の登場に耀流は目を剥いている。


 ――防衛大臣を父に持ち。その美しさと気の強さで、学園一の有名人となっている美少女・不動暁音ふどうあかねは。すでに遅刻確定となった耀流の前で仁王立ちになり、眉を吊り上げていた。


 絹のような黒髪のミディアムボブと、その艶やかさをより際立たせる、水晶の如き白い肌。そして類稀なる美貌と、制服では隠し切れない程のプロポーション。

 もし彼女が親バカな防衛大臣の娘でなければ、もし風紀にうるさい正義の化身でなければ、もう少しモテていたであろうとも言われている……のだが。

 そのアドバンテージを根刮ぎ破壊するほどの口うるささと、父親の存在が放つ圧力により。彼女は絶世の美少女でありながら、17年目の彼氏いない歴を迎えようとしていた。


「とにかく、もう大遅刻は確定なんだから、せめてペースくらい上げなさい!」

「それは分かってるけど……お前、いつもは車なんじゃ……」

「……なっ、なんでもいいでしょうっ! いいからほら、急ぐっ!」

「ちょっ……おい、待てよ!」


 そんな彼女は、普段から父の部下が運転する車で通っており、間違ってもこの通学路で会うはずがないのだが。彼女は理由を問うことも許さず、耳まで真っ赤になりながら――黒のプリーツスカートから覗く、白くしなやかな脚で走り出してしまう。

 その不可解さに小首を傾げながらも――耀流は慌てて彼女を追い。咲き誇る桜の下を、駆け抜けて行くのだった。


 ――彼は知らない。


 世田谷区で暮らしていた頃――両親を火災から救った消防士に憧れて以来、その道を目指して体を鍛え続けている自分のひたむきさに、彼女が惚れ込んでいることも。

 スポーツ万能故に「助っ人」として、学園中の運動部を日々駆け巡っている自分が、密かに女子達の人気を集めていることも。彼女がそんな自分にヤキモチを募らせ、新学期からは一緒に登校しようとしていたことも。

 今朝、自分が親子を道案内している姿を、彼女が陰から見守っていたことも。そんな自分の姿に、彼女が改めて惚れ直してしまったことも。少しでも自分の負担が減るように、彼女が父の部下に避難民の場所を知らせていたことも。


 そして。


 遠い次元の向こうにいる、もう1人の自分が。彼女が暮らす、この世界を救うために戦っていたことも。


 ◇


 千代田区からの避難民を受け入れる場として活用されている、とある小学校の体育館。

 通りすがりの高校生や、案内を引き継いだ自衛官達の協力もあり、ようやくそこに辿り着いた親子は――床に敷かれた毛布の上に、腰を下ろすことができた。周囲はすでに、大勢の避難民によって埋め尽くされている。


「ねぇ、とーちゃん。おれたち、いつまでここにいるの?」

「……大丈夫さぁ。あの兄ちゃんも言ってたろう? 母ちゃんにも、すぐに会えるってよ。わしを信じろい」

「うん……」

「……」


 ひとまず、安全な場所に逃げおおせることはできた。しかし、避難の最中に母親と逸れてしまった子供の表情は暗い。我が子の貌に滲む陰を目にして、父の面持ちも神妙なものに変わって行く。


 ――こんな時、子供達を笑顔にしてくれるヒーローがいたらなぁ。

 子供の手に握られた、赤いヒーロー人形に視線を落として。父親は年甲斐もなく、そんなことを考えてしまう。


 まさに、その時であった。


「この体育館に集まってくれたみんな! 今日はみんなを応援するために、オレ達が駆けつけたぞ!」


「……!」


 体育館のステージに上がる、3色のスーツを着た青年達が――全体に響き渡るように声を張り上げる。刹那、その姿を見上げる子供の眼に、光が灯された。

 それは、子供が握り締めているものと同じ――大人気を博している特撮ヒーローの姿だったのである。彼らは避難してきた子供達のために、ショーを催しているのだ。


「あっ……かーちゃんっ!」

「おおっ!?」


 そんな彼らの登場に沸き立つ子供に、さらなる幸運が訪れる。一足早く、この避難場所に到着していた母が――ついに我が子との再会を果たしたのだ。

 涙ながらに笑顔を浮かべ、息子を抱き締める母。そんな彼女に寄り添い、「よかったなぁ、よかったなぁ」とべそをかきながら、言葉を投げかける父親。そしてヒーロー人形を握り締めて、満面の笑顔を咲かせる子供。


 彼ら親子3人は、誰1人欠けることなく。この体育館に集い、共にヒーローショーを観ることが出来た。


「……行こう、皆ッ!」

「よしッ!」

「待ってたぜ、その台詞ッ!」


 そして。この場所に訪れた子供達に、最高の笑顔を届けるために。

 人気特撮ヒーロー番組の看板を背負って、駆け付けてきた彼らは――再び声を張り上げ、ポーズを決める。


「レッドアインス!」


「ブルーツヴァイ!」


「イエロードライ!」


 そして、3人揃って。誰1人、欠けることなく。

 マイナスを経て、ゼロを超えて。プラスを迎えた、この時代の中で。


 自分達のヒーローとしての名を、掲げるのだった。


「正義を穿つ!」


「一閃の大義!」


大義閃隊たいぎせんたい――ライトニングッ!」


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