(続)一番、大好きな人。

成井露丸

(続)一番、大好きな人。

 結婚式場の待合室を見つけて入り口から覗くと、きっちりとしたスーツや着物で装った大人たちが、グラスを手にして思い思いに歓談していた。

 自分があまりに場違いな気がして、私は入り口に掲げられたプレートを再確認する。


 ――六条ろくじょう家・結城ゆうき家 結婚式待合室


 やっぱり間違っていない。この部屋だ。

 高校時代の友達とか、久しぶりだし、会ってもすぐに誰が誰だか分からないかもしれないなぁ、なんて思いながらも、そろりと部屋の中へと足を踏み入れた。

 部屋の中を見回すと、スーツに青色のネクタイをした男性と目が合った。


「――あ、西川にしかわさん?」

「えっと……、あ、成井なるいくん? 久しぶり」

 成井くんは高校時代の同級生で、六条くんの友達。私とはそこまで仲が良かった訳じゃないけれど、六条くんを挟んで立ち話くらいはする、そんな関係だった。


「元気? 成井なるいくん……最近は何してるの? 仕事とか、学校とか」

「働いてるよ。ちゃんと大学卒業して。メーカーで技術者?」

「そっか。ちゃんとしてるんだ。さすが」

 成井くんは、私が覚えている限り、そんなに目立つタイプの男の子ではなかった。

 でも真面目で、六条くんが突っ走ってしまって失敗した時とかには、さっと後ろでフォローする、そんな男の子だった。


「西川さんは? 大学は確か東京に行ったんだよね? 戻ってきたの?」

「ううん。今も東京。東京のアパレル系の会社で働いてる」

「わお、アパレル系。なんか、華やかそうじゃん」

「そんなこと無いよ」

 ふるふると首を振る私に、彼は「そうなの?」と小首を傾げた。私は「うん」とコクリ。


「でも、私が東京の大学に行ったことなんて、覚えていてくれたんだ、成井くん」

「そりゃあね〜。西川さんとは直接二人では、あまり話してなかったかもしれないけどさ。三人は有名人だし、僕はいつも羨ましそうに見てたからね」

 なんだか懐かしそうに目を細める。私は首を傾げる。


「三人って?」

「もちろん、西川さんと、新郎新婦の六条と結城さんだよ。僕にとって、その三人組はさ、ある意味で青春時代の憧れなんだ。男女三人で仲が良くって、華やかで、『嗚呼、良いなぁ、青春だなぁ』って思ったもんだよ。――なんだか眩しくて」

「そっかぁ。なんだか、ありがと。ちょっと恥ずかしいけど」

 その言葉は、嬉しいような、恥ずかしいような。

 今となっては、切ないような、悲しいような。

 結局その関係が辿り着いた、今という現実のことを思うと、胸は締め付けられた。


 会場のウェイターが小さなグラスをトレイに乗せて運んでくる。私と成井くんは、それぞれに綺麗な色のお酒を手に取った。


「――でも、正直、驚いたよ。僕、六条は西川さんと一緒になるものだとばかり思いこんでいたからさ。ちょっとびっくりした」

 何気ない一言。私は思わず口に含んでいたお酒を一気に飲み込んだ。

 空になったグラスから視線を上げて、悪意はないけど残酷な、成井くんの笑顔を見上げる。


「――成井くん、……普通それ、今、ここで言う?」

 思い出すつもりも無かったのに溢れ出す記憶。

 漏らすつもりも無かったのに零れ落ちる未練。

 私の眼差しに気付いて、成井くんは「あっ」と小さく声を漏らした。



 新郎である六条ろくじょう聖司せいじくんと高校時代に。私――西川にしかわ美咲みさきは六条くんのことが大好きだった。高校二年生のバレンタインデーに私から告白して、六条くんはオッケーしてくれた。そして私たちは恋人として付き合いだしたのだ。それは、とても幸せな日々だった。

 新婦である結城ゆうき香菜かなちゃんは私の親友であり、また、彼女は六条くんの幼馴染でもあった。香菜ちゃんは六条くんのことを男性として好きだったんじゃないかって思っていたから、高校生のとき、六条くんに告白する前に私は香菜ちゃんに尋ねたのだ。「六条くんのことをどう思っているの?」って。「聖司は幼馴染。それ以上でも、それ以下でもないよ」って香菜ちゃんは笑顔で答えてくれた。だから、私は六条くんに告白したんだよ。

 でも、私と六条くんが付き合いだしても、二人の距離はずっと近いままだった。

 六条くんは香菜ちゃんのこと「聖司」って呼んで、六条くんは香菜ちゃんのことを「香菜」って呼んでいた。私と彼はいつまでたっても「六条くん」と「西川さん」だったのに。

 だから、私はいつもどこか少し不安だったんだ。六条くんにとっての「一番、大好きな人」は香菜ちゃんなんじゃないかって。香菜ちゃんも、本当は六条くんのことが好きなんじゃないかって。


 ――やっぱり、好きだったんじゃない。


 

 しまったと言わんばかりに口を開く成井くんに、私は冗談ぽく唇を尖らせる。

「普通そういうこと、式場で言っちゃいけないんだよ?」

「あっ、……ごめん」

 成井くんは、本当に申し訳なさそうな顔。

 思わず漏らしてしまった言葉。どろどろとした嫉妬と欲望の塊に、成井くんは気付いてしまっただろうか。気付かずにいてくれたらいいな。

 

「もう昔の話だし、誰も気にしないと思うけどね。私と六条くんとのことは、終わった話。今はただの同窓生」

 なんてことはない。そういうことなんだ。それはよくある話。

 少しだけデリカシーに欠けた同級生を、諭すように笑顔を作った。

 まるで大人みたいに。


「そうだよな。どうしても、高校時代のイメージが強く残っててさ。ついつい」

 そう言って、頬を指先でポリポリと掻く成井くん。


 ――そう、とっくの昔に終わった話なんだよ。 



 五年前の雪の中、六条くんと二人で東京の大学を受験しに行った。

 私は合格して、六条くんは残念ながら不合格だった。

 大好きな人と一緒に過ごすキャンパスライフは叶わない夢として消えた。

 六条くんは、結局、第二希望だった地元の大学に合格。香菜ちゃんもその大学に合格して、幼馴染二人で仲良くその大学に進学したのだ。

 私と六条くんは、遠距離恋愛になったけれど、付き合い続けた。


 六条くんのことは大好きだったし、彼も私のことを一番好きでいてくれたと思う。

 だけど、住んでる場所の隔たりは、心の隔たりを生んでいく。それが現実。

 会えない時間は少しずつ二人の間にすれ違いを生んでいった。

 つまらない誤解や喧嘩の一つ一つが降り積もった果て、大学二年生の春に、私たちは恋人関係を解消したのだ。


 「お互いのために一度、別れよう」って。


 それから今まで、私が誰か別の人と恋人関係になることはなかった。

 大学を卒業して、近くで暮らせるようになれば、また、六条くんと恋人同士に戻れるんじゃないかって、そんな期待を心のどこかで持っていたのだと思う。


 そして、大学を卒業してしばらく経った頃、六条くんと香菜ちゃんから、連名で封書が届いたのだ。


 ――六条ろくじょう聖司せいじ結城ゆうき香菜かなは結婚します。



 式場の係の女性が待合室に入ってきて、結婚式が始まるのでチャペルへ移動するようにと告げた。祝福の時間がやってくるのだ。


「昔のことは昔のこと。今日は二人の門出を精一杯祝福しましょう?」

「うん。もちろん。あの二人、本当にお似合いのカップルだと思うしさ」

 屈託の無い彼の言葉。

 私は「そうね」と頷くと、飲み終えたグラスを机の上に置いた。


 待合室の人々が、少しずつチャペルへと移動を始める。

 私たちもそれに続いた。


 待合室のあった建物から外に出て、庭園を抜ける。

 するとすぐに結婚式場となる白いチャペルが見えた。

 チャペルの入り口で、「じゃ、また後で」と囁き小さく手を振ると、成井くんと別れた。彼は新郎側、私は新婦側の座席に向かう。


 司会からの挨拶があり、結婚式が始まる。

 まず、厳かに神父と新郎の入場。

 祭壇の前に新郎――六条ろくじょう聖司せいじくんが立つ。白いタキシードを身にまとっている六条くんは、大学生の頃に比べても、また一回り大人っぽく、凛々しくなっていた。

 私が大好きだった男の子の瞳は、真っ直ぐにチャペルの入り口に向けられている。

 オルガンの音。

 女声ヴォーカルが奏でる曲は「アメイジング・グレイス」。

 チャペルの扉が開いて、明るい陽光が差し込む。

 父親の左腕に右腕を絡めて、純白のウエディングドレスに身を包んだ美しい新婦の入場。

 ヴァージンロードの上、私の親友――結城ゆうき香菜かなのヴェール越しの微笑。

 式次第は進んでいく。

 誓いの言葉に指輪の交換。

 そして、結婚証明書への署名を終えた二人に、神父が、誓いのキスを促した。


 六条くんが、香菜を覆うヴェールを上げる。

 私の視線の先で、二人の唇と唇が近づいて、誓いのキス。

 愛し合う二人が光に包まれて愛の口づけを交わす。

 そのシーンは映画のように、どうしようもないほど美しいシーンで。


 やがて、神父が宣言する。

 この式場に居る私たちが二人の愛の証人になったのだと。

 そして、ファンファーレ。

 夫婦となった二人に祝福を。



 式が終わり、チャペルを出た私は、新郎新婦を祝福するための参列者の人混みに加わった。チャペルから出てくる新郎新婦を祝福しようと、人々が出入り口の階段の下、左右に分かれて道を作る。


 向こう側の列に成井くんの姿もあった。男女四人くらいで何か楽しそうに喋っている。女の子と話しながら照れ笑い。そう言えば、成井くんって、あのグループの子たちと仲良しだったっけ。


 係の人のアナウンスと共に、チャペルの扉が開かれた。

 白いタキシードと純白のウェディングドレスに身を包んだ二人がみんなの前に現れる。幸せを二つの笑顔から溢れさせて。


 一段づつ階段を降りて、一歩ずつ前へと、二人は腕を絡め合いながら、歩んでいく。時折、顔を見合わせながら。


 ――おめでとう、聖司せいじ

 ――おめでとう、香菜かな


 人だかりから、空へと放たれるライスシャワー。

 みんなの祝福に応えて、最高の笑顔を返す、新郎新婦。

 左右の祝福に感謝の笑顔。とても幸せそうな幼馴染同士の二人。


 私も、両手でぎゅっと包み込むと、天に向かって、二人の上へと、思いっきりライスシャワーを放り投げた。


「――結婚おめでとう!」


 よく晴れた春空の下、私は精一杯の声を振り絞った。

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