おめでとうなんて言葉はそんな簡単にかけられるもんじゃねぇんだよ!

ハイロック

第1話「執念」

 俺は、内藤弥之助ないとう やのすけ、名前に似合わずフィギュアスケーターなんてものをやっている。自分で言うのもあれだが、かなりの実力者である。一般的には繊細な競技のように思われるフィギュアスケートだが、実際はかなり過酷でパワフルなものである、一度会場に来れば、そのスピードを見て、美しさというより迫力に驚くだろう。


 そしてそんな、俺の売りがスピードである。

 誰よりもスピード感のある演技を氷上で見せる自信がある。それは世界でもトップクラスというか、まぎれもなくトップであろう。

 そういうこともあって日本中から期待される俺は、次のオリンピックでもメダルを切望されていた。


 しかし、そんな俺にはどうしても勝つことのできないライバルがいた。


『優勝は、久喜衛くきまもる選手です』

 今年のグランプリファイナル、俺の滑走は終わり点数も発表されていた。

 現在のところおれは首位、あとは久喜の滑走と点数を待つのみだった。控室で待つ俺の耳に、その久喜に優勝を告げるアナウンスが無情にも飛び込んできた。


「……またか、また2位か」

 俺はコーチにぼそりと愚痴った。

「……今回は勝ったかもと思ったけどな。やはり4回転の4連続が決め手になったか」

「それだったら俺もやる自信はあったんだぜ、コーチ」

「……お前はジャンプに頼らなくても点数を取れる選手だ、だから今回は無理をしないとお互い納得しただろ」

 もちろんコーチのせいってわけじゃない、俺も無理なジャンプをしない方があいつに勝てるという算段があって、コーチに賛同したんだ。

 しかし、誰かに当らずに済むほど俺のくやしさは軽いもんじゃない。だから、俺はコーチに強く当たるしかない、人前ではこんな感情むき出しの俺なんて出せないからだ。


 表彰式に行くのが気が重い。

 俺は笑顔であいつにまたあのセリフを言わなきゃいけない。


「おめでとう」


 何回、あいつの前でその言葉を口にしただろう。本当は心にも思ってない、あいつにおめでとうなんて気持ちは心にも思っていない。「ちくしょう、死にやがれ」っていうのが混じりっ気のない本音だ。

 しかし俺は表彰台を降りた後に笑顔でまたいうのだろう。「」と。


「コーチ、オリンピックまでにやるしかねぇ。あいつに勝つにはジャンプに頼るしかねぇよ、やろう4回転アクセルを!」

 

「無茶だ……君の年齢で、それに挑むのは。今からそれにトライするより、堅実にやって、衛くんのミスを待ったほうがいい」

「それじゃあ、勝てねぇ。コーチ、おれはよ、もうあいつにおめでとうなんていうのはまっぴらごめんなんだよ。引退までにあいつに「おめでとう」と言わせねぇと死んでも死にきれねぇ」

「……弥之助」




 こうしてこの日から、オリンピックにむけて、俺の死に物狂いの練習の日々が始まった。4回転アクセルを飛ぶためには、ジャンプ力と回転力をあげる必要がある。そのためには筋肉量の増加の必要があるが、一方で体重は落とさなければいけない。

 20代後半というフィギュアスケーターとしてはロートルな俺が、体重を落としつつ筋肉を維持することは大変なことであるが、もはや選択肢などなかった。


 とはいえ、俺も昭和のスポコンにようにひたすら、ジャンプが成功するまで血反吐を吐いて飛び続けるなんて言うことをやるほど馬鹿ではない。一流のトレーナーをつけてしっかりとした栄養管理と下半身強化を行った。

 さらに大学のスポーツ物理学の第一人者に協力を仰ぎ、アクセルを研究、そして効果的な練習メソッドを共に開発していった。


 しかしそれは思った以上のハードワークであった。今までにやったことのないセオリーを模索しながらの練習は、肉体的にも、精神的にも負荷がかかる。

 そして、練習に時間がとられ過ぎるせいで、今まではたびたび受けていたテレビ出演の依頼を断らざるをえなくなった。

 減る収入。

 一方で久喜の野郎はテレビの露出を明らかに増やしていた。おかげで久喜の人気は甘いマスクと相まってさらに上昇。


 逆におれはなぜか、オワコンのレッテルを貼られるようになっていた。

 無理もない……オリンピック出場をすでに決めていた俺ではあったが、オリンピック直前の大会では無理な練習のせいか、パフォーマンスを全然発揮できずに8位という順位に甘んじてしまったのだ。

 そしてオリンピックまであと1か月、4回転アクセルはまだ完成していなかった。


「弥之助、もう無理だ。アクセルのないパターンで演技構成を作り直そう。このまま行ったらこの前の大会の二の前になるぞ」

「コーチ、どうせもう俺は引退だ。最後のわがままだ、ぎりぎりまで俺の好きなようにやらせてくれ。教授も回転数的には十分だといっている。あとはもう気持ちの問題なんだ」

「弥之助……しかしメダルの期待もお前にはかかってる。国民のためにも」

「国民なんて関係ねぇよ! 俺はあいつを倒すためだけにオリンピックに出るんだ!」

 メダルとかどうでもいい、国民がみんな見てる目の前であいつに「おめでとう」と言わせる。オリンピックはそういう舞台なのだった。

 コーチは俺の硬い意思を感じ取ると、何も言わずにうなずいた。



――そして迎えた冬季オリンピック。

 ショートプログラムはすでに終えた。

 その段階での1位は大方の予想通り久喜衛。

 そして2位は、ミシェール・チェン

 3位が俺、内藤弥之助だった。

 しかし、俺はまだ4回転アクセルを見せていない、そして男子の場合はショートプログラムよりフリーの方が圧倒的に点数が高い。

 逆転は十分可能。

 そして、俺には自信があった。俺は一週間前に、アクセルを成功させていたのだ。コツをつかんだ俺は、ほぼアクセルを自分のものにし、その後の練習でも80%以上、ジャンプを成功させていた。


「内藤弥之助!」

 場内に名前がコールされ、そして満を持して氷上に出た。

 見てろよ久喜!これが俺の生涯最高の滑りだ!


 前半ジャンプは難なくこなした、トリプルアクセルからのトゥループ。コンビネーションジャンプもしっかりと決めた。

 そして難易度の高いジャンプはすべて後半に詰めこんだ。後半の得点は1.1倍されるからだ。

 残るジャンプは4回転ループとフリップ、それから最後に4回転アクセル。


 最初の4回転ループ。

 少し着氷が乱れたものの、大きく影響を与えないはずだ。

 そして4回転フリップ!

 これは見事に決めた、会場からも大きな拍手が生まれる!会場が熱気で包まれているのがわかる。

 いける、このテンションならば絶対に俺は世界初の4回転アクセルをこの大舞台で決められる!


 ――いけっ!


『決めました! 内藤弥太郎世界初の4回転アクセル! この大舞台で見事に決めました!』

 ――湧き上がる観衆。


 そう俺は見事にアクセルを決めた、寸分のミスもない。

 みたか久喜!これが内藤弥之助だ。

 あとは最後スピンを決めるだけ。そう初めて俺は久喜に勝てるんだ。


――そして、最後のスピンに挑もうとしたその瞬間……。

 

 ふらふらと俺の身体は蛇行をし、足はなぜか感覚をなくしたようになる、スピンをする直前に、そのまま俺は身体を氷上に打ち付ける形になった。

 会場中から悲鳴があがる。

 

――な、なんだっていうんだ。あ、足の感覚がねぇ。

 痛いだけなら、立ち上がり演技ができる。しかしもう自分の意思で立ち上がることはできなかった。

 そのまま、俺は担架で運ばれて、氷上をあとにした。


 久喜に『おめでとう』ということも『おめでとう』と言われることもなく、俺のオリンピックは幕を閉じた。


 4回転アクセルを成功させるために払った犠牲は俺の足の疲労骨折だった。医師によればとっくにヒビが入ってたのだという。とうに限界を迎えた俺の足は、本番での成功をきっかけにとうとう痛覚をなくした。

 なぜ飛び続けることができていたのか医師にはさっぱりわからないといっていた。

――執念だろうな。


 だが結局、日常生活はおくれるものの二度とスポーツはできない脚となった。

 つまりは引退である。

 


――そんな俺に本の執筆の話が舞い込んだ。


「ぜひ、内藤さんの悔しい思いを本にぶつけていただけたらと思いまして」

 何を書いてもいいというので、俺はオリンピックの裏側とか、今までの大会を通じた俺の本当の気持ち、おもに久喜衛に対する恨みとか怨念を思う存分書き散らすことにした。

 やれ、採点がおかしいとか、久喜は顔のせいで甘く採点されてるだけで実力は俺だった、とかそういうようなことだ。もちろん、4回転アクセル成功の秘話とか、コーチとの感動のエピソードとかそういうのも織り交ぜながら。


 あらゆる感情をすべてぶち込んだその本はなぜか読者の心をぐっとつかんだらしく、多くのレビューで絶賛の嵐となり、たちまちベストセラー、年間の本の売り上げ一位を記録した。



「それでは今年度の受賞は、元フィギュアスケーターの内藤弥之助さんですおめでとうございます」

 俺は今氷上ではなく、ベストセラーを祝う出版社のイベントの檀上で、大勢から祝福を受けていた。

「ありがとうございます」

「はい、そして、今日はどうしてもおめでとうを言いたいということで、サプライズでこの方が花束を持ってきてくれました、どうぞっ!」


 (――まさか)

 俺は嫌な予感しかしなかった。


 目の前に現れたのは、憎きあの久喜まもるである。やつは花束を俺に渡しながらこういった。

「内藤さん、この度の受賞本当にございます」


――おめでとう!? おめでとうだと?

 散々こいつに言わせたかったそのセリフだが、こんな形で聞きたかったわけじゃねぇ!

 花束を俺は受け取ることはできなかった。何かが切れてしまった俺は、その場で人目もはばからず大きな声で泣いた。

 それは悔しさだったのか、怒りだったのか、喜びなのか。

 はっきりした答えは出ないまま、俺はその「おめでとう」を受けとった。


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