翡翠のように深いブルーの瞳をした少年は、父の墓から剣を抜き勇者になる

九十九 千尋

全ては、勇者のために



 世界に人類同士の戦争がはびこるようになって、既に三年が過ぎていた。



 魔王を勇者が討ってから、三年を祝した祭りに湧く王都ロガ。その中心地にある広場に、御輿に乗って姿を現わした国王は、突如空から現れた魔王の鎧を着た何者かにより国民の目の前でその首を刎ねられた。


 転がる国王の首、空気割く悲鳴、猛る兵士の怒声、そして……

 既に死んで久しいはずの魔王の……その魔王の鎧を付けた者は、流血に濡れた剣を掲げて宣言した。


「私は……いや、我は! 魔王は、ここに帰って来た!! これより、世界を今一度滅ぼしにかかる!!」


 魔王の鎧を付けた者の剣の一振りで、王都ロガに強烈な旋風が吹き荒れ、広場に隣接する建物達すらなぎ倒し、王都に努める屈強な兵士たちを退ける。


「なんだ、こんなものか! 勇者はどこだ! 勇者はどこに居る! なぜ出てこない!」


 その企画外の力の前に、もはや、魔王の鎧を着た者に敵対しようとする者も居ない。

 魔王の鎧を着た者は言った。


「詰まらん……これでは話にならない。……人間どもよ、三年の猶予を与えてやる。そこから、また侵略し、制圧し、抑圧し、圧制し、蹂躙の末に征服する」


 魔王の鎧を着た者が手をかざすと、空は漆黒に渦巻き、暗黒がその者を迎えに来る。その渦に飛び込み、かの者は消えた。

 最後に一言を残して。


「勇者を見つけよ。足掻け、人間ども!」









 漆黒の渦は遥か万里を越えて、はるか地の果てにある魔王城。その謁見の間へと滑り込む。

 謁見の間にある窓をこじ開けて、あちこちに掲げられた、破れみすぼらしくなった魔族の旗をなびかせ、その暗闇は魔王の王座になだれ込む。


 魔王の鎧の兜の留め具を外し、王座の手すりに置いた。この兜の重さは少し辛い。

 外したことで、中に無理にしまい込んでいた長い黒髪がさらさらと零れる。

 魔王の鎧の胸当ての留め金具を外し、王座の傍の床に置いた。この鎧は男性用だ。

 何より湿気がこもるのが良くない。

 魔王の鎧のベルトを外し、腰当を床に落とす。体のサイズの問題か、やはりつけていると痛みを感じる。

 魔王の剣をその辺に転がす。剣は慣れない。

 だが、剣もないと流石に先の魔王と別人だと気づかれてしまうだろう。


 今日は疲れた。もう寝てしまいたい。

 あとは脛当てや小手などが残っているが……は外さずに魔王の玉座にもたれかかる。


 そして、彼女は魔王の王座に座って、思い出に浸る。



 彼女は、過去にのだ。三年前に、

 彼女はいわば、勇者一行の一人、勇者の旅の同行者だった。むしろ、長い旅を経て、彼女は勇者に強く淡い感情を抱いていた。彼女は勇者をとても大切に思っていた。


 神官である彼女は、当時はとても奥手な少女だった。しかし、トラブルから勇者一行の旅路に加わることになり、勇者を陰ひなたから支えた。翡翠のように深いブルーの瞳をした勇者もまた、彼女を支え、彼女を……善き友として慕っていた。

 そう、彼女は勇者に片思いを抱いていた。

 勇者が好きになったのは、自分ではなく、同じ勇者一行の一人、魔法使いの少女だった。幼馴染で同じ村で育った二人なのだから、自分に勝ち目はなかったのだと……魔法使いの少女がいかに素晴らしい女性であるかを、神官である彼女も友として知っていればこそ、仕方がないのだと身を引いた。

 魔王討伐の旅を終えた直後、勇者と魔法使いの二人の門出を、彼女は祝った。



 魔王が死に、世界から魔族の脅威は去った。

 人々はもはや怯えることは無く、勇者たちに、勇者に感謝し、その日を祝日に定めた。

 きっと、これから世界はよくなる。そんな世界で、彼女の愛した二人は生きていく。なら、それが……自分の幸せだ。彼女はそう思った。









 だが、その三年の間に、人類は堕落した。








 魔王という脅威が去った後、人類は対魔族として用意していた軍事力を使って戦争を開始。人類は、に晒されることになった。

 それどころか、勇者という驚異の存在……魔王さえ殺すような存在を戦争に利用されることを危惧した人々は、あろうことか、のだ。

 当初は彼を戦争に駆り出そうとしたらしい。だが、彼はそれを拒否したのだ。

 結果、人類は短絡的な意見に走った。利用できぬなら、殺してしまおうと……


 彼女がその事実を知ったのは、その凶刃が彼女にも及んだことがきっかけだった。

 魔王討伐の旅で一級の神官に成長した彼女もまた、脅威として扱われたのだ。


 彼女がなんとか追手を振り切って勇者と魔法使いの家に着いた時には、すべてが遅かった。

 勇者と魔法使いは、娘を抱きしめるように死んでいた。もう、蘇生も間に合わない。確か、もう少し年齢が上の息子も居たはずだが、見つけることはできなかった。

 彼女は、勇者の剣を立てかけた簡易で質素な墓をこしらえ、追いついて来た追手たちから逃げた。

 そして、彼女は人類の手から……かつて命を懸けて助けた人々から逃れ、各地を転々とした後に魔族の居なくなった魔王城へとたどり着いた。


 

 彼女は、思った。

 ああ、私たちが救った世界はこんなものだったろうか。

 彼女は、思った。

 ああ、どうして救った者たちによってこんな目に会わねばならないのか。

 彼女は、思った。

 ああ、彼なら……勇者様なら、どう考えるだろうか。


 王座で朽ち果てた魔王の遺体を脇に、彼女は呟いた。


「ああ、どうか……勇者様……助けて下さい。世界は……真の魔王人間の強欲の脅威にさらされているのです」


 だが、勇者は居ない。彼らが殺してしまった。

 勇者を一般人が殺せるはずがない。きっと、彼は無抵抗にすべてを受け入れてしまった。彼はそういう人だ。そんな人を殺す者を……どうしたら良いのか。


「お願いします、神様……助けて……ください。人類に、導きを……」


 だが、神は答えない。信仰の果てに達したはずの彼女ですら、どうしたら良いのか分からない。









「助けて……誰か……」











 その声はどこにも届かない。



 その時、魔王の遺体が持っていた剣が、彼女の方へ柄を向けて倒れた。



 彼女は……思った。


「誰も……助けてはくれない……勇者様は、もう居ない……」


 だから、選んだ。

 彼女は魔王の剣を拾い上げ、その遺体から鎧を引きはがした。


「世界には、勇者が……魔王が、必要……」


 その兜をかぶり、彼女は息を吸う。泥と埃と不浄な空気が肺を犯す。

 これでいい。私は、稀代の悪になる。

 そうすることで、人類は今一度、脅威を前に一丸となるはず……!


「大丈夫です。勇者様。私は、あなたが救った世界を取り戻して見せる……」



 彼女は入念に準備した。

 何より、次代の勇者の為に……


 魔王を倒した勇者一行の一人として彼女は人間の世界に戻り、彼女を神官として匿ってくれる人々と共に、勇者を待つことにした。

 その間に、愛する人々の仇を探し、殺す算段を密かに練る。

 更に、魔族として、魔王として各地の魔族と取引を重ね、彼らに息を潜ませる。その時まで……









「あ……いけない」


 彼女は思い出に浸りながら眠っていたようだった。

 人類に追われる身である彼女ではあったが、魔王を倒した勇者一行の一人であることに代わりはない。

 確か、隠匿先で、人間の後援者と会う約束があったはずだ。まして、今人間の間では「国王が魔王に殺された」話でもちきりだろう。勇者と共に旅をした神官を頼ってくる可能性も高い。……手のひらを返してくる可能性は高い。

 その末に、次代の勇者も見つかるかもしれない。

 その勇者を守らなければ。守って、魔王を……自分を殺させなければならない。



 でも、人類の脅威……真の魔王人間同士の戦争は……自分が倒さねばならない。なにに代えても……



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翡翠のように深いブルーの瞳をした少年は、父の墓から剣を抜き勇者になる 九十九 千尋 @tsukuhi

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