宝石職人の宝箱
狐塚あやめ
episode1 アクアマリン
第1話 邂逅
差出人不明の封筒が届いていた。
それには私の名前だけ書いてあるだけで、住所は書かれていない。
郵便ではなく書いた誰かが直接ポストに投げ入れたようだった。
透かして見ると便箋らしきものが入っている。
手紙の類だと察するが、開けて確認するほど素直じゃない。
けど捨てるのもなんとなく
そのまま机の上に放置していたら、いつしか見当たらなくなっていた。
今になって思えば、書かれていた私の名前、あの文字、見覚えがあるような気がした。
その時に気づいていれば、何かが変わったのだろうか。
建物自体は老朽化に伴い何度か改修が重ねられ、外観は新しく、内装や設備も新しい物が取り入れらている。校舎の中央にあるテニスコートほどの中庭は芝生が敷かれていて暖かい陽気の際には大地を感じている生徒も見られる。備え付けられたベンチでは昼食をとる生徒もいて、憩いの場として賑わっている。
四月。新入生たちで活気溢れる一週間ほどが過ぎたタイミングで校内にある噂が流れていた。
二学年に転校してきた男子生徒がいて、その人物がかなりの美青年で人気を博しているという。
新学期が始まってすぐに転校してくるという間が良いのか悪いのかわからないことも含め、この2年2組でもその噂は十分に広まっていた。
授業の合間の短い休み時間。生徒たちの雑談する声でざわつく教室。窓際の席に座る
「隣の1組だから見たことあると思うんだけど、
藍の向かいの席に陣取っているショートヘアを茶髪に染めた女子生徒が言った。
「いつもの男子たちしかいなかったよ、
小鳩と呼ばれた黒髪をお団子結びにしている女子生徒が答えた。
「だよねー。噂になるほどだから一目見れば分かると思うんだけど」
「藍ちゃんは? どんなんか知らへん?」
「えぇ、なんで私に聞くかな」
藍はあからさまに渋い顔をしてみせる。
「だって水原は生徒会でしょ?」
「藍ちゃんなら事前に紹介されたりしとるんかなーって」
さも当然のように言ってのけるふたりに溜め息がでる。
「ふたりとも生徒会をなんだと思っているの。そんな話はこっちにまで来ないよ」
だいたい、そういう話があって知っていたとしても、わざわざ吹聴するわけないでしょう。
「まぁいいわ。あとで1組の子に聞いてくるし」
「あっ、うちも行く! 藍ちゃんは?」
「行かない」
興味もない。感心もない。私はただ勉強をするだけ。
「ほんと水原は男っ気がないよね」
「ねー。つまらんくない?」
「ご心配どうも。私のことよりふたりとも、次の英語は小テストがあるけど、大丈夫かしら?」
「とーぜん」
「えっ、鷹ちゃんずるい! うち忘れてたのに!」
「ずるいってあんたね」
「ちょっとノートだけでも見せてーな」
そう言ったところで無情にもチャイムが鳴り、時間ぴったりにやってきた先生が号令をかけた。
「はい時間ですー残念でしたー」
「鷹ちゃんのいけずぅ」
「紗凪も小鳩も早く自分の席に戻りなさいよ」
英語の小テストぐらい準備無しでも余裕でこなしなさいよね。それでよくうちの高校に入れたものだわ。
内心ではそう思いながらも藍の表情は朗らかなものだった。
そうは言っても無駄なことに裂く時間はない。友達との付き合いも大事だけど、私には何にも優先されることがある。
少しでも勉強をして力を付けなくてはいけない。ここから、この場所から逃げ出すには力を付けなくていけない。
私の居場所はここにないのだから。
昼休みになり、藍のもとへ紗凪と小鳩が集まってきた。
いつものように机を寄せふたりが弁当箱を広げようとしたところで、
「ごめん。きょうはお弁当作ってこなかったから購買で買ってくるの」
「ほんまに? 藍ちゃんが珍しいね」
「なんだよ水原、寝坊でもしたのか?」
「そんなとこ」
遅くまで勉強をしていたせいで寝坊しただなんて言ったらまたなんてからかわれるやら。
藍は鞄から財布を取り出し、席を立つ。
「買ってくるから先に食べてていいわよ」
そう言って、ふたりの返事を聞き届けてから教室を後にした。
一階にある購買は小さなコンビニのようなもので、学生に受けが良い品が一通りそろっている。取り立てて名物のようなものがあるわけでないが、その中でも人気があるのは近所にあるパン屋から仕入れている焼き立てのパンだ。その焼き立てを狙ってチャイムと同時に教室を飛び出す生徒は少なくない。
まだ昼休みになって間もないからか、購買の前は人でごった返している。
「いつ見てもびっくりする量ね」
藍は賑わいが落ち着くまで待とうかと考えたが、そんなことをしていては目ぼしいものは無くなってしまう。空腹では午後の勉強にも身が入らない。なんとかして足しになるものを確保しなくては。
「仕方ない、ままよ!」
気合を入れるような小さい掛け声と共に、藍は人垣の中へ割って入っていく。
しかし女子の中でも小柄なほうの藍では重量が足りず、あっけなく押し戻されてしまった。
その後も何度かチャレンジをするけれど、とても前には進めそうにない。
心が折れる一歩手前まできて、次が最後だと意気込んだその時、
「どれが欲しいの?」
「えっ?」
聞こえた声に振り返ると、すぐ近くに男子生徒がいてその顔を見上げるような位置になる。
「苦戦してるみたいだから手伝うよ。リクエストは?」
さながらアイドルのような爽やかさだった。
「っと……カロリーが高そうなものを」
ふいの質問に頭が真っ白になり、とっさに出たのは色気のかけらもない返事をしてしまう。
「ふぅん、そんなに食べるようには見えないけど、おーけー」
見覚えのない彼がゆうゆうと人垣を押し分けていくのをただ見守っている。ふと我に返ると、様々な感情が入り混じり表情が曇りだした。
えぇ……いったい誰かしら? 親切はありがたいけれど、知らないひとだよね。向こうは知ってて私が忘れてるとかじゃない、よね? ん、待って? それより私なんて言った? なにかすごく残念なことを言ってしまった気がするのだけど。女子としてもそうだけど、なんかこう、人としてもすごく残念な感じのことを言ったよね……。
「は、恥ずかしい……」
藍は顔を赤くしながら青ざめてしまう。
なんとなくその場にいるのが気まずくなり、藍は購買から離れて廊下の隅にしゃがみこんで丸くなる。
目立たない場所で目立っている藍の元へ、先ほどの男子生徒が戦利品を抱えてやってきた。がさがさとする紙袋の音に視線を上げる。
「お待たせ」
春のそよ風でも吹いているかのような爽やかな声にますます居心地が悪くなる。
藍の返事をせずまた顔を伏せた。恥ずかしさで返す言葉がないようだった。
「いらないの?」
そう聞かれると無視するわけにはいかない。
スカートを直しながらふらふらと立ち上がる。立ち上がったのに、まだ見上げるような位置取りだった。
「ありがとうございます。いただきます」
藍が手を伸ばすと、彼はすっと紙袋を引いた。
「よかったら一緒に食べない?」
「ふぇ? いや、でも」
「俺が買ってきたんだから、少しくらい付き合ってくれてもいいだろ?」
屈託のない笑顔で彼は言った。その顔にはやっぱり見覚えがなかった。
でも、なんとなく心当たりはある。藍は恐る恐る尋ねてみる。
「あなたもしかして、噂の転校生……?」
人違いだったら恥の上塗りだと思いつつも、聞いてしまった。
しかし藍の不安は杞憂だった。
「噂になってるのかは知らないけど、転校してきたのは間違いないよ。2年1組の
やはりそうだったか。噂通りの良い顔をしていらっしゃる。押し売り気味の爽やかさで距離感を詰め、飄々とした態度でも不快感はない。比べられる他の男子がいささか不憫に思えるほどの好印象だ。
ただ不幸中の幸いというか、私は例外だ。興味もない。感心もない。
けど、恩はある。例え押し売り気味だったとしても。
「わかった。ご一緒しましょう。なんなら私の教室でどうかしら。あなたに興味のあるかわいい女子がいるんだけど」
「それはまた今度な。いまはきみを誘っているんだよ。天気も良いし外で食べようか。確か中庭は開放されてるんだよな」
篤巳は長年の知り合いのような自然な口ぶりで藍に言った。そして手招きをして先を歩き出す。
「うーん、中庭は注目を集め過ぎる気がするなぁ……」
藍の心配をよそに、紙袋は遠ざかっていった。
春の日差しが差し込む中庭は暖かく、すでにベンチを占領する生徒が何組かいて談笑をする声が聞こえてきた。
篤巳は
私は野良猫じゃないんだけど。手懐けようとでもしているのかしら。
呆れとも憤りともとれる感情を抑えつつ、藍は隣へと腰を下ろした。
「好きなのをどうぞ。俺はあまったのでいいから」
そう言って篤巳は紙袋の中身を広げて見せる。
まだ温かさの残るパン。手作り感あふれる特大のおにぎり、具材は各種。チョコレート系のお菓子がいくつか。統一性のないメンバーが揃っていた。
たしかにカロリーを求めたの私だけど、これはいくらなんでも食べきれないぞ。
ひとまずおにぎりを手に取りいただくことにする。お米大好き。
「いただきます」
「どうぞ。俺もいただきます」
篤巳はカレーパンの包みを手に取り大きな口で小さく食べる。
談笑する声と時折吹く風の音を背景に、お互いにもそもそと咀嚼する時間が過ぎる。
一通り食べ終え、藍は二つ目のおにぎりに手を伸ばしたところで、
「それで、私に何か用事でもあるんですか?」
まだカレーパンを食べている篤巳に問いただす。
「ん……なんのこと?」
「まさか、ただ私が困っていたから助けただけとは言いませんよね」
「えっ、だめ? っていうかなんで敬語なの、タメでいいよ」
藍は閉口する。不審者でも見るような目つきを隠す様子はない。
疑いの眼差しを受けて、やれやれと篤巳は白状する。
「じつは人を探しているんだ。きみなら知っているんじゃないかと思って」
「……なんで私に聞くんですか」
「きのうの集会で壇上に立ってただろ? その時に生徒会だって聞いてさ、だったら全校生徒のことにも詳しいかなって」
どいつもこいつも生徒会をなんだと思っているんだ。まったく。
「全校生徒のことを把握しているわけないでしょう。それに、私に聞くより先生に聞いたほうが手っ取り早いでしょう」
「まあそう言わずにちょっと知恵を貸してくれるだけでいいからさ。ほら、この人なんだけど」
篤巳は内ポケットから生徒手帳を取り出すと、それに挟んでいた写真を差し出した。写真にしては小さくなにかの切り抜きのようにも見えるそれには、
その写真を見たとたん、藍は絶句した。
まさか、こいつを探すために来たのか……?
「学年はわからないけど、ここの制服だろ? どうだ、知らないか?」
藍はしばらく二の句が継げなかったが、なんとか冷静さを取り戻し、小さく深呼吸をすると、
「何かと思えば昔の恋人探しですか。残念だけど見たことないわ」
「恋人じゃないよ。アヤっていうアイドル」
確かに写真の右下に崩したアルファベットでAYAとサインのように書いてある。
「まだそんなに
「ストーカーをしにわざわざ転校してきたんですか。それはいろいろと残念ですね」
さっきの私の残念さを上回るのではないだろうか。
「違う違う、人聞きの悪い。ただのファンだよ。転校してきたのだって偶然さ。たまたま同じ学校に来たから、どうせなら知り合いになりたいなって思っただけ、それだけだよ」
写真を持ち歩いて探し回ってる時点で十分に人聞きが悪い状態だ。
それに偶然というにはずいぶんと熱心に探している。教室にあまり姿がないのも他の場所を見て回っているからなのではないか。よほどその女に執着があるらしい。
藍は疑念を抱きながら、握ったままのおにぎりに噛り付く。
「まあ知らないんじゃ仕方ないな。他を当たってみるよ」
「そうしてちょうだい。それとこれに
「あらら、ずいぶんと嫌われちゃったな。せっかく昼飯おごってやったのに」
その言葉に藍はむっとする。ポケットから財布を取り出すと、千円札を握りしめベンチに叩きつけた。
「お釣りは結構よ」
それだけ言うと藍は立ち上がり、おにぎりを片手に中庭を出て行った。
下校時間を過ぎて
篤巳との喧嘩別れの影響か午後の授業に集中できなかったので図書室で自習をしている。
授業のおさらいなんて普段はしない。授業中に頭に入るから必要がない。でもあの男に会ったあとはまったく内容が頭に入らず素通りするばかりだった。
まったく、なんで私がこんな思いをしているんだか。
図書室には藍の他にひと気はなく、いつもいる図書委員の女の子もすでに下校したのか姿はなかった。
しかし図書室の静寂の中で物音に敏感になっている藍の耳に、違和感が走る。
「委員の子かしら」
奥の物置か倉庫だったかと思われる部屋から話し声が聞こえた。
思わず身構えて辺りに意識を向けてみるが、室内には気配を感じられない。するとガタリと音が鳴った。やはり奥の部屋からだ。
しかし冷静に考えると当番の図書委員はひとりのはず。話し声が聞こえるはずがない。他に誰かがいる。
誰かがいるとわかったら途端に落ち着かない。せめて誰がいるのかくらいは確認しておこう。
藍がその部屋のドアに近づくと中から声が聞こえて、足を止める。ドアを開けようか悩んでいると声がはっきり聞こえてきた。とっさにそこから離れて本棚に身を隠した。
ドアが開く音と共に聞こえてきたのは男の声と女の声だった。女の声は聞き馴染みがある。図書委員の子だ。男の声は聞き覚えがある。あの転校生だ。
部屋から離れてしまったため話しの内容までは聞き取れなかったが、声のトーンはやけに親しそうだ。転校してきたばかりなのにずいぶんと手が早いこと。
ふいにあの写真が頭をよぎる。一度見てしまっただけであの顔が焼き付いている。
「知らない……」
興味もない。感心もない。
私には関係ないこと。
しばらく息を潜めているとふたりは図書室を出て行った。
隠れるのをやめて、藍は机に置いたままの勉強道具を鞄にしまう。
「なんだか疲れたな。復習はあしたにしよう」
そうして少しの間、藍は窓の外の夕暮れを望んでいた。
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