第6話 勇敢

 もうすぐ五月の連休ということもあって、教室の中はいつにも増して賑わっていた。

 観光地に旅行へ。テーマパークへ。アーティストのライブへ。

 皆一様に明日への楽しみを語り合っている。

「水原はどっか行かないの?」

 帰りのホームルームに先生がくるまでのわずかな時間に、紗凪さなは藍の席へやってきた。

 わざわざ来たかと思ったらそんなことか。

「私がのんきに出掛けると思う?」

「いいや全然」

 だったらなぜ聞いた。

「鷹ちゃんは心配してるんだよ」

 すでに帰り支度を済ませている小鳩こばとがやってきた。

「心配って、いったいなんの」

「藍ちゃんがながーい休みの間ひとりぼっちで寂しい思いするんやないかって、ね?」

「そんなんじゃないよ小鳩。あたしは水原が暇なら遊ぶのに付き合ってやってろうと思ってだ」

「おんなじことやん?」

「ニュアンスが全然違うっつの。小鳩のだとあたしが下じゃん。あたしが遊んであげようって言ってるの、あたしが上、わかる?」

「うーん、わからん」

 藍はふたりのやり取りをなるべく頭に入れないようにしていた。

 私はそんなに残念なやつだと思われているのか。いや、考えるのはよそう。

「休みの間はやらなきゃいけないことがあるから暇はないのよ。だからふたりとも遠慮なく家族とでも恋人とでも遊んできてよ」

 なかば投げやりな藍の言葉にふたりは違和感を覚えた。

「へぇ、珍しいじゃん。水原が勉強を理由にしないなんて」

「もしかして誰かと出掛ける約束でもあるん?」

「そんなんじゃないって」

 適当にはぐらかしてみるが、ふたりは顔を見合わせてなぜか笑い合う。

「ちょっと小鳩、こいつはなにかあるぜ」

「そうだね鷹ちゃん、きっとなにかあるよ」

 なおも食い下がろうとするふたりに思わず身を構えるが、そこへ担任がやってきて号令をかけた。

 いいところに来た助け舟に乗っかり、藍はふたりを追い払う。

「ほらふたりとも、席へ戻りなさい」

 仕方ないとふたりは渋々と席へ戻っていく。

 少しだけ安堵する藍だが、このあとのことを考えると再び気が重くなる思いだった。



 放課後になり、藍は紗凪と小鳩に捕まるより早く校舎を出た。

 昨日のうちに連絡はしてある。あのひとのことだから先にお店で待っているはず。あまり待たせるわけにはいかない。

 駅までの道のりを足早に進み、あっという間に商店街へと到着した。

 五月も間近になり気温も上がってきている。藍はじっとりと浮かぶ汗をハンカチで拭い、息を整えた。

 制服を直してからピンク色のファンシーなお店へすんなりと足を踏み入れる。

 三度目ともなれば慣れたもので、顔馴染みのポニーテールの店員が奥の席へと案内してくれた。

 そこには晴臣はるおみがのんびりとティータイムを楽しんでいる姿があった。

 藍に気付くと手を上げてから軽く会釈をする。藍も少し頭を下げながら向かいの席へと腰を下ろした。

「お待たせしてすみません」

「構いませんよ。待つのも仕事のうちです。注文は?」

「いえ、大丈夫です」

 晴臣はカップを置いて藍へと向き直る。

 格好のせいもあるのか、このひとと話すとなんだか緊張する。藍はまだ心臓がどきどきしているのを感じ、急いできたせいだと自分に言い聞かせた。

古都島ことじまさんは、あの写真が私の姉だということは知っているんですよね」

「はい。知っています」

 やっぱりそうなのか。姉との接点はほとんどなくなっているというのに、どうやって調べたのだろう。

 藍はすぐにその疑問に意味はないことに気付いて話を進める。

「それと、あの写真を持ち出したということは、あのストーカー男のことも知っているってことでいいんですよね」

「鳥羽篤巳くんですね」

 そこまで調べられている。それなら、

「姉の、水原葵の居場所は知っていますか?」

「いいえ。残念ながら」

 期待していた答えではなかった。なるべく冷静さを保とうとしていた藍だったが、さすがに落胆が表情に出ていたのか晴臣が謝罪をする。

「ご期待に沿えずにすみません。ですので、それは居場所を知っているひとに聞くのが一番だと思います」

「まさかあの男にですか?」

「水原さん、あなたは鳥羽篤巳という人物に会ってどれくらい経ちましたか?」

 突飛な質問だった。でもすがる事のできる藁はこれしかない。

 藍は思い出すのも嫌になる気持ちだが、なんとか記憶を遡った。

「たぶん、二週間とかそれぐらいだと思います」

「では、拙と知り合ってからはどれくらいでしょうか」

「ええと、一週間も経っていないかと」

「それぐらいになりますか。時間が経つのはあっという間ですね」

 いったいなんの話だろうか。初めて会ったときもそうだけど、何を考えているのかよくわからないひとではある。藍は一抹の不安を覚える。

「拙のこと、何を考えているかわからないって顔ですね」

 藍はどきっとして体がこわばる。

「いえ、そんなことは」

「構いませんよ。それが普通です。たかだか数週間、数回ほど話したぐらいで相手のことを分かった気になるなんて烏滸おこがましいことです。それが思春期にある異性のことならなおさらです」

 そう言われるとそうかもしれないけど、待って、この話はどこに向かっているの?

「だから、彼に言われたことを鵜呑みにしてはいけません。彼が思いを吐露していると思っても、それは本心ではないかもしれない。彼のことを知るなら疑ってかかるべきなのです」

「あの……いったい何のお話でしょうか……」

 恐る恐る尋ねると、晴臣の諭すような口調は続く。

「彼が言った言葉は真実ではあるけど本心ではありません」

「ま、待ってください。私はまだあの男と話した内容は伝えてないですよね。まさか」

「いえ、それは早合点です。その時その場所には水原さんと鳥羽くん以外にもひとがいたでしょう。彼女に聞いたんです。失礼ながら彼女には会話の内容を聞いておくように頼んでおきましたので」

 そうだったのか。いやいや、そうだとしても声が聞こえるような場所にはいなかったはず。やっぱり何か仕込んであるんじゃ。

「古都島さん、私はどうすればいいのでしょう。姉が死んだと言われ、私は頭が真っ白になってそのあとのことはよく覚えていません。あの男になにか言ってやりたい気持ちだったのに、そんな心もどこかにいってしまって……」

「水原さん、渡したお守りは持っていますか」

「えっ……はい、持ってますけど」

 藍は鞄のベルト部分に結んだお守りを取り外して晴臣に見せる。

「中身は見ましたか?」

「いえ、まだ」

「開けてみてください」

「……いまですか?」

 ゆっくり頷く晴臣に促されるように、藍は巾着袋の口を緩める。

 手を添え、逆さにして袋を揺すると中身が転がり出てきた。

 青く輝く宝石が藍の手のひらで薄く輝いている。

「きれい……」

 本物は見たことがないけど、これは宝石だと自信を持って言えるほど存在感のある輝きだ。

 これがずっとお守りの中に……?

「アクアマリン。なるほど、確かに水原さんらしいものですね」

 聞いたことのある宝石だ。青っぽい色だとは知っているけど、こんなに透明感のあるものなのか。

「水原さん、花言葉のように宝石にも石言葉というものがあるのはご存知ですか?」

「そうなんですか? いえ、知りませんでした」

「アクアマリンの石言葉は聡明と沈着。水原さん、あなたは聡明ですがそれ故に諦めがよすぎる。物事の大局を見ることに長けているせいで身近で起きていることを見落としがちです。冷静沈着な思考で効率の良い道ばかり歩んでることを悪く言うつもりはありません。しかしそのせいで僅かなゆとりも許さずに心の余裕を削ってしまい、自分を見つめる暇がなくなっているようです」

 晴臣の言葉に、思い当たる節があるのか藍は唇を嚙む。

 仕方ないじゃない。そうしなきゃ私は生きていられない。

 紗凪や小鳩とももっと遊びたい気持ちはいっぱいだけど、いまの私にはそんなことをしてる場合じゃないの。生きるために必要でないことに割く時間なんてないんだ。

「先程の話に戻ります。鳥羽篤巳、彼の言葉にもっと疑いを持つべきです。そうすれば、これからすべきことがわかるはずです」

「あの男が嘘をついていると……?」

 確かにあの男は自分でも嘘は吐くと公言していた。だとすると姉が死んでいるという話は事実ではないということだろうか。

「嘘を吐く人間というのは二種類います。意味のない嘘を吐く人間と意味のある嘘を吐く人間。彼は後者です。水原さんが疑うべきは彼自身ではなく彼が紡ぐ言葉の方なのです」

 藍は晴臣の意図を理解しきれずにいる。あの男自身ではなくその言葉の方と言われても、違いがわからない。同じことではないのか。

「……わかりました。まだ気持ちの整理ができないですけど、ちょっと考えてみます」

「焦る必要はありませんから、少しづつで構いませんよ」

 藍は席を立ち鞄を背負い、晴臣にお礼を言って席を離れる。そこへ、

「ああ、水原さん。アクアマリンの石言葉ですが、実はもうひとつあるんですよ」

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