第5話 錯綜
表情から感情を読み取ろうとするが、篤巳は眉ひとつ動かさず動揺している様子はみえない。
藍は思惑が外れたことに内心ため息を吐く。
思ったよりも意志が硬そうだわ。こっちからもう少し突っついてみるか。
「その封筒は去年ぐらいに家に投函されていたものです。当時は中をみることもせず放置していて、気づいたらなくなっていたんだけど、なんとか探し出したのがついこの前のことです」
声に感情が乗らないように気をつけて話す。
淡々と喋る藍の言葉を篤巳は何も言わずにただ聞き入っている。
「中庭で初めてあの写真を見た時は心臓が止まるかと思いました。姉の写真を持ってる人がいるだなんて思いもしなかった。それも、偶然を装って私に近づいてくるなんて」
篤巳は黙ったままだが、藍はかまわずに続ける。
「その手紙と一緒にこれが入っていました。姉が活動している名義の名刺です」
テーブルに置かれた名刺にはAYAと書かれている。その横には所属している芸能事務所の名前があり、鳥羽プロダクションと書かれていた。
「私が
藍の牽制に対して、やっと篤巳に反応が見られた。
しかしそれは期待したものとは違う。
篤巳の口元には笑みが浮かんでいる。
藍は問いただしたい気持ちを抑え、篤巳から話すのを待った。やがて、
「そっかそっか、バレちゃったかー。とっくに回収したはずなのに、まさか名刺を後生大事に持っていたとは思わなかったな」
まさに犯人が自供するような口ぶりに、藍は拳を強く握った。
「あなたはいったい誰ですか」
「知ってるだろ? 転校生の鳥羽篤巳。身長170センチで体重65キロ。好きな食べ物はハンバーガー。特技はスリーサイズを目視で測れること。ああ、あとこれは言ってなかったことだけど、アイドルのAYA、つまりきみのお姉さんである水原葵が所属していた鳥羽プロダクションは俺の叔父が社長でね。いちおう俺も関係者ってことになる」
犯人特有の開き直った態度。その自信満々の口調に、藍は心にふつふつと怒りが湧き上がってくるのを感じた。声を荒げたくなる衝動に駆られる。
「そんなひとが私になんの用ですか。ご存知の通り私と姉は絶縁していたようなもので、そちらが欲しいものなんてなにも持っていないわ」
「それがあるんだよ。というかこれね」
篤巳は手元の便箋を指差す。
意味がわからず彼を見返すが、感情が前に出てしまいほとんど睨んでいるようなものだ。
「いやさ、彼女の関係のある資料を全部回収して破棄するように言われてるんだよ。事務所で管理していたものは当然として、あとは外に出回っているものってわけ。関係各所はなんとか都合がつくんだけど、彼女が個人的に流したものは追跡するが大変でねー。家族や交友関係を洗っていたら妹の情報が出てきたってわけ。両親には挨拶をしていたけど、一人っ子だって聞いていたからね。妹がいるなんて話も本人はしていなかったし、まさかだったよ」
「それで私がなにか姉につながるものを持っていないかと思ったのね」
「そのとーり! ってことで、これはこっちで回収させてもらうよ」
だが篤巳が言うより早く、藍は便箋に手を伸ばしぐしゃぐしゃになるのも構わず掴み取った。
「渡しません。これをあなたになんて渡しません」
「えぇー……なに言っちゃってんのきみは。俺の話聞いていたよね? 事務所の命令でわざわざ来てるんだよ? つまりお仕事。仕事の邪魔をするのは良くないよー」
本心なのかわざとなのか、煽るような言動にますます腹が立つ。このまま逃げ去りたい気持ちでいっぱいだけど、男相手に逃げ切れるとは正直思えない。それに同じ学校にいる以上、この場を逃げても何も解決しない。
「それにさっき自分で言ってたよね。彼女とは絶縁状態だって、その手紙もすっかり忘れていたとも。だったら俺に渡してもなんの問題もないじゃないか。むしろスッキリするんじゃない?」
その通りだ。あのひとを、私を置いていった姉を擁護する気はさらさらない。いまさらこんな紙切れ、くれてやってもいい、はずなのに。
それでも、手紙を読んでしまった。あの内容が姉の本心なのかはわからない。けど、もし、そうなら、確かめたい。聞きたいことがたくさんある。どうして私をひとり残して家を出ていったのか、私をひとりぼっちにしたのか。
「ひとつ、聞きたいことがあります」
「いやいや、会話しようよ、きみは宇宙人か。まあいいけど」
篤巳は大げさな身振りで藍を促す。
「さっき所属していたと言ってました。姉はいまどこにいるんですか」
「おっと、口が滑ってたな。ってかそこに気付くとは意外と冷静だね」
「答えてください」
「おーけー、わかったからそんな睨まないでくれ。まっ、そんな隠すようなことでもないしね。きみのお姉さんはね」
そこで言葉を止め、あからさまにもったいつけるように間を持たす。
こちらを
藍が痺れを切らしそうなところで、ただ一言、別れの挨拶かのように、
「死んだよ」
妹である私からみても、姉は良く出来た人だった。
容姿もよくて性格も温和、自然体でも人に好かれる人。勉強はそんなに得意じゃなかったけど、自頭は良くてどちらかと言えば賢いほうだった。
ただそんな姉とはそこまで仲が良いというわけじゃなかった。
姉妹とはいえ年齢も離れていてはそんなに接点があるわけじゃない。タイミングが合わなくて学校も一緒にならないし、共通の話題もないから遊んだりすることもない。
幼い頃からずっとどこか他人のような存在。
それでも、私は姉のことが好きだった。
私が病気になるといつも看病してくれたのは姉だったのだ。
両親は忙しいということはなく、単に私に構う気がないだけ。姉に比べて不出来な私に配る心などないのだ。
看病してくれる姉はいつも私の手を握ってそばにいてくれた。それが私にとっての家族の時間だった。
そんな姉が突然いなくなった。家を出たのだ。何も言わず。何も残さず。
両親がひどく取り乱していたのをよく覚えている。
それからというもの、両親は私を姉の代わりをさせようとしてきた。
いままでからは考えられない甘やかしを受け、私の望みを叶えようと躍起なっていた。
そんな環境に私はうんざりした。
手のひら返しを受けて、両親への積怨は増すばかり。
それと同時に姉への想いも反転していった。
なぜ私に何も言わずに出ていったのか。
なぜ私をひとり残したのか。
やり場のない怒りが私を埋め尽くす前に、私はそれを隠すことにした。心の奥底へと。
そうして、私は生きるために進むことを決めた。一刻も早くあの家から出るために、勉強をして、卒業をして、姉のように家を出るのだと。そう思わなければやっていられない。永劫あそこに囚われるなど考えたくもない。
そして願わくば、家族のことなど忘れてしまいたい。私はひとりで生きるんだ。
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