第3話 待人

 いつのまにか日が傾いてきていた。藍は図書室内の蛍光灯のスイッチを入れる。

 あれから郷美さとみ先生が例の頼りになるひとに連絡をしてくれたようで、きょうの放課後、夕方の五時くらいには来てくれることになった。

 ただ会うのは私ひとりで郷美先生はいっしょにいてくれない。仕事に目処が立たないと申し訳なさそうに言っていた。

 少しだけ気落ちしたけど、仕方なく時間までこうして図書室で勉強をして時間を潰していたところだ。

「会えばわかるって言ってたけど、どんなひとなんだろう」

 容姿も含めてなにも聞かされていないので、せめて向こうが私の情報を持っていることを期待する。私がそのひとを判別するのはきっと難しい。

 まだ見ぬ頼りになるというひとへの想像を膨らましてしまい、勉強をする手はほとんど止まっていた。そして気づけば約束の時間だ。

「校門の前で待ち合わせよね」

 なんとなく気が急いてしまい、手早く片付けをして図書室を出ると施錠をする。この時間なら他の生徒もほとんどいないから待ちぼうけしていても気にならない。

 藍は鍵を職員室へと返し、足早に校門へと向かう。

 昇降口から校門まではあっという間に到着した。歩を緩めて覗き込むように周りを見渡す。誰かを待っているように佇む人影がある。その姿が視界に入り、そのまま流してから再び視線を戻す。思わず二度見するほどその存在は目を引いた。

「もしかして、あのひと?」

 後ろから少しだけ横顔が見える。そういえば名前はおろか性別も聞いていなかったけど、どうやら男性のようだ。線の細い印象だけど顔つきは間違いなく男性のものだった。眼鏡をかけていて知的な印象ではあるけど、あの恰好も相まって近寄りがたい雰囲気が滲み出ている。

「見たことあるけど、あの格好、何て言うんだっけ。和服……それは総称な気がする」

 藍は遠巻きに観察をし続けたが、しばらくして我に返る。いけない、呑気なことしていたら時間を少し過ぎてしまった。

 ぐずぐずしていても仕方ない。藍は何度か深呼吸をしてから、意を決して声をかける。

「あの、すみません」

 男が振り返り藍に視線を向ける。男の顔を見て藍の驚きは増した。思っていたよりもかなり若かった。短めの黒髪で利発そうな顔立ちではあるがややタレ目なところが人懐っこさを感じさせる。若いというより、ほとんど藍と同年代と言っていいほどである。 

 ひょっとしたら同い年くらいだったりする?

「水原藍さんですね?」

「えっ。あ、はい。そうです。すみません、遅れてしまって」

 突然名前を呼ばれて思わず声が詰まる。

「修善寺先生に頼まれて来ました、古都島ことじま晴臣はるおみと申します。よろしくお願いします」

 そう名乗り、晴臣は丁寧に深々とお辞儀をした。そこまでのお辞儀はなかなか見ることはなく、藍はニュースの謝罪会見を思い出した。

「み、水原藍です。ご丁寧に、こちらこそよろしくお願いします」

 藍もそれにならいお辞儀をするが、慣れないせいかぎこちなさが見て取れる。

「いちおう水原さんのことは聞いていたのでぼくから声をかけようと思っていたんだけど、よくわかりましたね。修善寺先生は拙のこと詳しく話していなかったでしょう?」

 詳しくもなにも、ほとんど情報をくれなかったです。

「会えばすぐわかると言っていたので。それで服装を見てもしかしたらと思いまして」

「服装? あぁこれですか。実家が寺社なもので、こっちの仕事をする時もこの格好でするようになったんです」

「あまり目にしたことがなく、その服装、えっと……」

法衣ほうえですよ。袈裟けさって言葉の方が馴染みがありますか」

「そうそう、袈裟! あーすっきりした」

 ひとりでテレビでも見ているような声をあげてしまった。

「って……すみません」

 藍は照れるように視線を逸らす。

 柄にもなく大きな声を出してしまった。みっともない……。

「構いませんよ。思い出せると気持ちがいいですよね」

 羞恥に染まる藍を諭すように晴臣は微笑んだ。

「えーっと、古都島さん。さっそくなんですけど、私はどうすればいいのでしょうか。お察しの通り、郷美先生からは具体的なことは聞かされていないのですけど」

 藍は様子を窺うように尋ねた。

 晴臣は少し考えるそぶりを見せてから、

「ひとまず移動しましょうか。聞かれたくない話をするには学校はよろしくない。いつも利用している最適な場所がありますから、そこへ行きましょう」

 晴臣は駅の方向を指さす。そして返事を促すように藍を見つめた。

「あっ、そうですね。お願いします」

 不安の残る気持ちを表に出さないように、藍は努めていつもの口調で答える。

「ではこちらですよ」

 そう言って晴臣はゆっくりとした歩調で歩き出す。藍もすぐ追いかけて控えめに隣に並んだ。

「あぁそれと、遅れたことは気にしていませんよ。というよりちゃんと時間より前に来ていらっしゃったので遅刻でもありませんから」

 藍は驚いて思わず足を止めた。

「えっと、それは、どういう……」

「門のところからぼくを覗き見ていらしたでしょう。すみません、気づいていたのですが隠れているつもりのようでしたし、いきなり振り返って声をかけるわけにもいかなかったので。時間を無駄にさせてしまいましたね」

 申し訳なさそうな晴臣の表情が一段と藍を惨めな思いにさせる。

「い、いえそんな。こちらこそ、なんかほんと、申し訳ないです……」

 藍は穴があったら入りたい気持ちでいっぱいになり、背中を丸めた。

 そんな藍の様子を見て、晴臣は小さく笑いかけたのだった。



 上折高校から歩くこと二十分ほど。夕方の駅前商店街の通りは買い物をする主婦層で賑わっていた。加えてゲームセンターやカラオケボックスなど娯楽施設も十分にあり、学校帰りの学生のオアシスにもなっている。

 晴臣と藍は適度に雑談をしながらやってきたが、そのピンク色を基調とした外観の建物に藍は思わず口を真一文字に結ぶ。躊躇ためらうことなくその店へ入ろうとする晴臣に、

「あの、ここですか?」

 つい呼び止めてしまった。

「そうですが、どうかしましたか?」

 晴臣はなぜ止められたのか不思議そうにする。

 男の人がこういうお店に来るのはなんとなく知ってるし、理解もまあしないことはないけど、女の子を連れて入るのはどうなんだろう。知らないだけで普通のことなのかしら……。

「心配いりませんよ。ぼくの知り合いも働いているところですから」

 そう言ってガラスのドアを引いて店内へと入っていってしまう。藍は一瞬迷いったが、足早に後を追う。

 店内に入ったふたりを迎えたのは、イギリスの伝統的な給仕服をファンシー要素で固めた衣装、いわゆるメイド服をまとった女性だった。にこやかにお帰りなさいませと挨拶をして、ポニーテールを揺らしながらふたりを奥のテーブルへと案内をする。

 晴臣の慣れた足取りに比べると、藍はきょろきょろと視線が泳ぎ不慣れなのがひと目でわかる。

 入り口から見るとちょうど柱の陰になる位置のテーブル席へとふたりは腰を落ち着けた。さきほどの店員がメニューを持ってきたが、晴臣は見ることなく温かいミルクティーを頼んだ。藍はメニューを受け取るとひとしきり目を走らせ、その金額にびっくりしつつアイスティーを頼む。

 晴臣に対しても少なからず緊張をしているというのに、初めて来たメイド喫茶にさらに無駄な緊張を覚えてしまう。

 藍はそわそわした気持ちを落ちつかせようと、店内を観察して自分のいる場所を認識しようと必死になる。

 やがて運ばれてきた飲み物をふたりはそれぞれにひとくち飲み込んだ。

「水原さんはこういうお店に来るのは初めてですか?」

「そりゃあ、まあ。女の人が来るような場所でもないと思うんですけど」

「そうでもないですよ? 良く来ますけど、女性のお客さんも多いです」

「良く、来るんですか……?」

 そういえばいつも利用してるとか言っていたような。本当に内緒話をするのに最適なんだろうか。

「仕事の依頼人と話しをする時はいつもここを利用させてもらってますから。ここの席は入り口から死角になるので外から人に見られる心配もないですし、適度に雑音がある場所の方が気持ちも安心するものです。店内から見ても奥の席で目立たないですし」

 そう言った晴臣を藍は凝視する。

 こんなパステルカラーなメイド喫茶に袈裟を来た人がいたらどうやっても目立つのではないかしら。

 不満とも不安ともとれる思いはアイスティーと一緒に飲み込んで、藍は恐る恐る本題を切り出す。

「古都島さん、さっきの話の続きなんですけど」

「そうですね。どこから話しましょうか」

 晴臣はミルクティーをひとくち啜り思案していると、

「あのう、私から質問をしてもいいですか?」

「それもいいですね。どうぞ遠慮なく」

 カップを置いてあっさりと受け入れた。

 藍は頭の中で言葉を整理する。

「改めてお聞きしますけど、郷美先生が古都島さんを紹介された理由はなんなのでしょうか」

「それはぼくが請け負っている仕事のことですね」

「住職さんのお仕事ってことですか?」

 藍は正面にいるおよそ場にそぐわない人物を見やる。

「いえ、拙はまだ修行中なのでそっちは時々手伝いをするぐらいです。拙が個人的に請け負っている仕事があるんですよ。以前に修善寺先生からも依頼を受けたことがありまして、たぶんその時のことから拙を紹介しようと考えられたんだと思います」

「具体的にはどんなことを……?」

「それは相手によって様々ですね。修善寺先生の時を例にあげるなら、彼女の潜在的な運命を変えることに一役買ったってところです」

 具体的にって言ったのに。

 口には出さず、表情にも出ないように努めて冷静に返す。

「えーっと……その時は古都島さんはどいうことをされたんですか?」

「ただ話を聞いただけですよ。ぼく自身が何かをしたわけじゃありません。そうですね、強いて言えば」

「強いて言えば?」

「お守りを渡してあげました」

 この人は郷美先生の母親か何かなのだろうか。

 にこにこと良い笑顔の晴臣に藍は思わずちからが抜ける。

「とりあえず、私の話も聞いてくださるということでいいんですね」

「もちろんです、と言いたいところですがその必要はありません」

「え?」

「事情はおおよそ把握しています。ああ、ご心配なく。聞き回ったわけではなく独自に調べただけですから」

 そう言って晴臣はふところから一枚の写真を取り出し、それを藍に手渡す。

 藍はいぶかしげに受け取る。するとみるみる表情が強張こわばっていき、睨みつけるように言う。

「どこでこの写真を?」

 その写真を見るのはこれで二度目だった。右下にサインのあるうちの制服を着た少女。

「根強いファンを探し当てまして、そのひとから譲って貰いました。高くつきましたけど」

 晴臣は苦々しく笑ってみせるが、藍の方は苦虫を噛み潰したように口を結ぶ。

 こんな写真がそう何枚も出回ってるとは思えない。もしかしてあの転校生から……?

 それにしてもまた……なんで私の前に……。

「このひとが何か」

「そんなに警戒しないでください。水原さんがいま心に引っかかっていること、それが何なのかわからずに考えあぐねているのでしょう。ぼくの推察するところでは、理由はその女性です」

「そのひとのことを調べたんですか?」

「いいえ、その女性のことは調べられませんでした。でも」

「それ以上は言わないでください。もう十分です」

 私の心が乱されている理由。それがこのひと。たぶんそれは当たってる。でも、認めなくなかった。私がこんなことで、こんなひとのことで感情を揺さぶられているだなんて。

「古都島さん。私はどうするべきなんでしょうか」

「残念ながら拙に言えることありません。その代わりにこれを水原さんに」

 晴臣は今度は袖から小さな巾着袋を取り出した。臙脂色えんじいろのそれは掌に収まるほどの大きさで口が紐で結ばれている。

 少し躊躇ったあと、藍はそれを手にする。触れてみると固い感触がある。何かが入ってるようだった。

 不思議そうに晴臣を見やるが、微笑み返すだけで何も言わない。

「これって、もしかして」

「はい。お守りです」

 やはり郷美先生に渡したというあれか。同じものなのだろうか。

「何が入っているか聞いても?」

「拙の口からは言いません。でも、必要だと感じたら開けてしまって構いませんよ」

「いいんですか……?」

「えぇ。いま必要だと思うならいまでも」

 そう言われると気が引ける。

「大事にしまっておきます」

「いえ、可能な限り身につけておいてください」

「ずっとですか……?」

「お守りですから」

 そう言われると従うしかない。

「わかりました」

 巾着袋を丁寧に鞄にしまうと、藍は晴臣に向き直る。

 たぶんこのひとは他言するようなことはしないだろう。それでも初対面の人間を信用しきるほど無垢じゃない。

 なんて切り出すか考えていると、

「よかったらその写真は差し上げますよ。もう拙には必要のないものですから」

「ありがとう、ございます」

 改めて写真を見つめる。本当に、どうしてこんなひとに。

「暗くなってきたしもう帰った方がいい時間ですね。拙はまだゆっくりしていくので、帰りはお気をつけて」

「あの、私は……」

「やるべきことはいずれわかります。いまは自分の心と向き合うことです。大丈夫ですよ」

「はい……失礼します」

 藍は席を立ち、軽く頭を下げて店を後にした。

 それを見届けた晴臣は背もたれに背中を預けて小さく息を吐く。

 そこへ入り口で案内をしたメイドの女の子がポニーテールを揺らしながらすたすたと近づいてきた。

「晴臣さん、お疲れ様です。どんな感じでした?」

「心配はないよ。彼女ならきっと大丈夫さ。ちゃんとお守りも渡したし」

「それは良かったです。やっぱり女の子は恋をしてこそです。前向きになれたのならきっとうまくいきますよね」

「うん? 何の話だい?」

 晴臣の不思議そうな返事に、メイドの女の子はきょとんとする。

「転校生の男の子が持ってた写真の女の子が気になるって件ですよね? てっきりその転校生のことが好きだから写真の子をライバル視してるってことかと思ってましたけど」

「いや、彼女の場合はそう単純な話じゃなくてね。そんな学生らしい悩みなら、拙の出る幕はなかったよ」

「ふぅん? 珍しく学生さんからの依頼だったからちょっと期待したんだけどなあ」

「ひとの悩みを面白がるのは良くないよ」

「ごめんなさい。でも面白がってるわけじゃないですよ。単なる好奇心です」

「そうかい。でも拙の助手と言い張るならその辺は弁えるようにね」

「もちろん、承知してますよー」

 そう言ってメイドの女の子はぱたぱたと仕事に戻っていった。

「彼女の悩みはそんなにかわいらしいものじゃないんだよ」

 晴臣は誰に言うでもなく、ひとり呟いた。

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