竜の夢に巣くう街

koumoto

竜の夢に巣くう街

 忘れられた丘の上に竜は千年の眠りを眠っていた。角質化した皮膚は寂れた遺跡のよう。実際、人々はそのあまりにも巨大な竜の体躯を、太古の先人たちが残した墳墓だと思い込んでいた。この千年のあいだ、竜は微動だにせず眠り続けていたのだから、それもむべなるかな。廃城のような竜の長大な肢体のあちこちに、数えきれないほどの鳥が埋めつくすようにびっしりととまっていた。丘に横たわる竜の上からは、遠くかすむように、中心部に時計塔を擁する、壁に囲まれた街が見下ろせる。黄昏の薄明かりに染められながら、おびただしい数の鳥たちは、空虚な街を、もうすぐ終わりを迎える街を、息を潜めて見守っていた。

 竜の閉じられた瞼が、ぴくりと震えた。


「おい……いま、揺れなかったか?」

 暮れなずむカフェのテーブルを挟んで座っている二人の老人、そのうちの一人が、片割れに訝しげにたずねた。時計塔の真下にあるカフェは、古めかしく時代遅れで、老人たちのたまり場となっていた。

「そうか? なんにも感じなかったが……歳のせいかね」

「あんたもおれも、同じ歳だろうが。でもまあ、たしかに、老いさらばえてはいるけどな。くたびれた野菜みたいに皺だらけだ。笑っちまうわな。こんな歳まで生きるとは、正直思わんかったよ」

「まあなあ……ひ孫の顔まで拝めるとはなあ……不思議なもんだよな。しかし、これだけ生きといて、この街を出たことはないのが、心残りではあるな」

「それはみんな同じだからな。街の外が、壁の向こうがどうなっているかは、神のみぞ知るだ。歳のせいといえば……これもそうなのかね。最近な、よく夢を見るんだ。それも、子どもの頃の夢を。おれが時計塔をあおぎみながら草笛を吹いて遊んでいると、おれのばあさんが隣に来て、にこにこ笑いながら、“いっぱい遊びなさいよ。もうすぐこの世界は終わってしまうんだから”って言って、ばあさんも一緒に草笛を吹いてくれるんだ」

「……なんだそりゃ。妙な夢だな。ぼけてたのか、そのばあさん」

「さあな。夢を見て思い出したが、これは実際にあったことなんだ。おれもばあさんと同じくらいの歳になったが、いまだによくわからん。でもな、思い返してみると、ガキの頃は、老人がよくそんなことを口にしていた気がするんだよな」

「……ああ。そういや、思い出したよ。おれのじいさんも、よく変なこと言っていたな。なんだったかな……そう、たしか、こんなだった。“われわれは夢でしかない。もうすぐ夢みるものが目覚める。もうすぐわれわれは終わってしまう”ってな。……妙な話だな」

「もうすぐ終わるったって、いつの話なんだかな。結局、おれたちもじじいになっちまった。ただよ、最近はそのじいさんばあさんの戯言たわごとが、変に懐かしくてな。……まだまだ元気なつもりだが、やっぱ歳なんだろうな」

「おれたちの老い先が、もうすぐ終わってしまうことはたしかだからな」

 違いないな、とふたりの老人は笑った。

 そのとき、カフェの外からだれかの大声が聞こえてきた。窓から見える往来を、ひとりの狂人があるいていく。

「世界の終わりが来るぞ! 世界の終わりが来るぞ! もうすぐ目覚める! もうすぐ目覚める!」

 同じことを繰り返しがなりたてながら、狂人はふらふらした足取りで歩いていく。

 それを見ながら、老人のひとりは、憐れむようにため息をついた。

「……あいつも、昔に生まれてたら、おかしなやつ扱いはされなかったのかね」

「たしかにな。言ってること自体は、じいさんたちと似ているよ。でも、狂ったやつに居場所がないのは、いまも昔も同じだろう」

「じいさんばあさんたちは、少しだけ狂っていたのかね」

 さあな、と言って、老人はコーヒーをすすった。

 カフェから遠ざかっていく狂人の声が、なおもかすかに響いている。

「世界の終わりが来るぞ! 世界の終わりが来るぞ! もうすぐ目覚める! もうすぐ目覚める!」


 その予言どおり、終わりはやってきた。丘の上の竜が、ぶるっ、と身じろぎした。竜に群がっていた数知れない鳥たちが、一斉に飛び立った。花火のように散っていく凶鳥まがどりたち。空を埋めつくす滅びの前兆。

 竜の身じろぎに呼応するように、遠くかすんで見える街は揺れた。中心部の時計塔が、ゆっくりと崩れ落ちていくのが見える。街のそこかしこで地割れが起きて、聖堂も、会館も、診療所も、すべてが瓦礫と化して、大地の裂け目に呑み込まれてゆく。

 瞼からぱりぱりと堆積物が剥がれ、竜の眼が開いた。

 丘の上にまで届いた、時計塔の崩落した音は、かすかな残響に空気を震わせて、やんだ。空を舞う鳥たちは、終わってしまった、崩壊した、夢でしかなかった街を見下ろしている。

 竜もまた、自分の目覚めによって滅んだその街を見下ろした。清々しい気分で、折り畳まれていた翼を広げた。丘の上に、巨大な花が咲いたように、竜の体躯が広がった。

 千年の眠りから目覚めた竜は、丘を蹴りたてて、空へと飛び立った。風がどよめくように鳴った。

 忘れられた丘から、廃城のような眠り竜は去ってしまった。丘から見下ろせる平和で穏やかだった街は、見捨てられた夢として朽ち果てていた。

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