お盆休み

あじろ けい

第1話

 電車のドアが開くなり、私はホームに飛び降りた。ごった返す人混みを縫うようにして博史が小走りにかけてきた。


「小春、会いたかった」 

 人目も憚らず、博史は私をぎゅっと抱きしめた。


 夫の博史に会うのは一年ぶりだ。

 結婚したのは二年前。一緒に暮らしていた時間はわずかに一年だった。私は今、自分の両親と暮らしている。博史はアパートで独り暮らしだ。


 会いたいと思っても、私の身が自由になる時期はお盆休みの時だけだ。博史も仕事が忙しいらしく、お盆の時でもないと身動きとれない。


 迎え火が瞬き始め、私は博史の住む街へとむかう電車に飛び乗った。振り返ればあっという間の一年だが、過ごしていた一日一日はとてつもなく長かった。


 ホームに入った電車の車窓から博史の姿が見えた時から、女心がはしゃぎっぱなしだ。早く開けとばかりに入り口ドアを軽く叩き続けていた。


 改札口を出、私たちは真っ直ぐにアパートにむかった。駅から徒歩十五分。商店街を抜け、小さな川にかかる橋を渡る。幹線道路にかかる歩道橋を渡り、住宅街へと入っていく。走る車の音が遠くなり始めた頃、アパートに到着した。


 二階建て、一階に四部屋の小さなアパートだ。二階の角部屋が博史の、一年前までは私も一緒に住んでいた部屋だ。


 部屋に入るなり、博史は唇を押し当ててきた。服も下着もあっという間にはぎ取られ、博史は荒々しく私の中に押し入ってきた。



 飽きもせず、私の腕をさすり続けている博史の腹の虫が鳴った。


「お腹空いた?」

「うん」

「ちょっと待っててね」


 着替えた私は台所にむかった。カップ麺やコンビニ弁当の空き箱、ビールやコーヒーの空き缶が散乱している。期待せずに開けた冷蔵庫の中にはソフトドリンクとビール、スライスチーズしか入っていなかった。


「何もないね。買い物にいかないと」


 一緒にシャワーを浴び、二人そろって濡れ髪のまま、外に出た。正午の日差しが脳天をつきさした。駅前のスーパーまで歩いていくうちに髪が乾いてしまいそうだ。

 駅までの道のりを、私たちはゆっくりと歩いた。一年の間に、商店街にはいくつかの新しい店が出来ていた。どれも飲食店だった。前の店も確かレストランだかカフェだった。新しい店は来年来た時にあるのだろうか。


 野菜や果物をレジカゴに入れようとすると、「どうせ持たないから」と博史は止めた。


「小春がいてくれるのは三日間だけだし。俺、料理しないし」

「三日で使い切るか、あとは冷凍しておくかしておくから。コンビニ弁当ばっかりだと体によくないよ。ちゃんとしたものを食べて」

「へい」


 カレーが食べたいという博史のリクエストに応えて、必要な野菜と肉とルーを買い込んだ。


 私が料理をしている間、博史はビール片手にテレビを観ていたものだった。この日は珍しく台所にまで来て、野菜を切る私の手元をじっと観察していた。


「なあに?」

「うん。料理している小春を見ていたくてさ」

「邪魔だから、あっち行ってて」

「手料理っていいよね。出来合いのものは味にケンがある」

「味付けが濃いからね」

「小春の料理は優しい味がする。ずっと小春の料理を食べていたい」

「はい、甘えてもダメです。料理できるようになりましょう。自分の体のためでもあるんだからね」


 カレーを煮込んでいる間、私たちは愛し合った。カレーを食べた後も何度も愛し合った。食事の合間にセックスしているんだか、セックスしている間に食事をしているんだか、よくわからなかった。


 翌日は遊園地へむかった。初デートで行った同じ遊園地だった。博史がどうしても行きたいと言い張ったのだ。


 お盆休み中とあって、どのアトラクションも混雑していた。


「ジェットコースターに乗ろう」と博史が言い出した時、私は驚かずにはいられなかった。


「いいけど……。大丈夫なの? だって苦手でしょ?」

「一生に一度ぐらい、乗っておいてもいいかなってさ」


 私たちは列の最後尾についた。


 デジャブだった。初デートでも私たちは同じアトラクションに並んだ。その当時はまだ博史がジェットコースターは苦手だと知らなくて、私はワクワクしながら順番を待っていたが、博史は心臓をバクバクさせていたのだそうだ。


 そうと知ったのはいざ自分たちの順番が来た時だった。博史は何もいわずにくるりと一回転し、そそくさと逃げ出したのだった。


「嫌われたかなと絶望したんだ」

「まさか。ジェットコースターが苦手なぐらいで?」


 当時の同じように順番待ちをしながら、私たちは初デートの話をした。

 博史と私は同じ本屋でバイトをしていた。同じ大学に通っていると知り、仲良くなった。デートに誘ったのは博史の方だった。博史が気になっていた私は踊るような気持ちで誘いを受けた。


 一年先に卒業した博史は書籍の卸業者に就職した。私は教育関連団体の事務職に就いた。その五年後、私たちは結婚した。


 思い出話をしている間、博史は私の手をずっと握りしめていた。乗ってみてもいいかなという気になったものの、緊張しているのが嫌でも伝わってきた。


 ジェットコースターに乗っている間中も、博史は私の手を握っていた。降りてからも手を離そうとはしなかった。


「一生に一度のジェットコースターの感想は?」

「一度でいいね……」


 その日の夜はこじゃれたレストランへと連れていかれた。


「一生に一度ぐらい、こんなところで食事をしてみてもいいかなって」


 値段に気後れする私にむかって博史は微笑んだ。


 その夜、私たちは一睡もしなかった。セックスもしなかった。ただ裸で抱き合っていた。博史は私の髪をさすったり、腕をさすってばかりいた。私は博史の胸の中で赤ん坊のように体を丸めていた。


 三日目の朝、掃除と洗濯を済ませてしまうと、私たちは駅前に出来たばかりだというカフェで昼食を取った。勧められてオムライスを注文したが、タマゴに火が通り過ぎていたうえに、チキンライスは何の味もしなかった。店を出て、さんざんにまずいと文句を言い合い、私たちはアパートに戻った。


 商店街の店の前に焚かれた送り火に見送られるようにして、私たちは駅へとむかった。博史は私の手を握り続けている。


 この三日間、博史は暇さえあれば私の手を握っている。アパートへむかう道すがらも速足で歩きながら私の手を握っていた。遊園地へ向かう時も、遊園地にいた間中も、レストランからアパートへ帰る途中もだ。付き合い出した頃にはよく手をつないでいたが、結婚してからはつながなくなったので、嬉しいような照れ臭いような気分だった。


 電車はすでにホームに到着していた。


 私たちは車内に乗り込み、席に着いた。発車時刻まで十分ほどの余裕があった。


「小春……俺、このまま小春と一緒に電車に乗っていていいかな」

「ダメだって、わかってるよね」

「この三日間、小春と過ごして、やっぱり一緒にいたいって思ったんだ」

「お盆には会えるから」

「一年に一度じゃ、嫌なんだ」

「そんなこと言ったって、お盆の時じゃないと都合がつかないじゃない」

「……」

「また来年会いにくるから」


 私は博史をなだめ、車外へと追いやった。発車時刻まであと三分と迫っていた。

 席に戻り、私はふうっとため息をついた。一緒にいたい気持ちは私だって同じだ。また来年と自分で言っておきながら一年は長いなあと思った。


 博史といない一年。


 私は電車のドアを見やった。ドアはまだ開いている。今なら降りられる。だが、私は降りられない。降りてはならないのだ。


 電車は死者を乗せてあの世へとむかう。一年前、私はがんで死んだ。結婚生活のほとんどは闘病生活だった。体が辛いばかりでいい思い出がなかった。


 死んだ今は体が楽だ。たった三日だったが、博史は楽しい思い出だけを作ってくれた。思い出にすがってまたあと一年、やりすごせるかもしれない。


 発車ベルが鳴った。ドアが閉まり、電車が動き始めた。


 次の一年が始まった。


 隣の席に男が座った。走り込んできたようで、息を切らしている。ギリギリまで別れを惜しんで、発車間際に電車に飛び乗ったのだろう。


 男は博史だった。


「三分も離れていられないなら、一年は無理だと思った」


 あっけに取られている私にむかって博史は満面の笑みを浮かべてみせた。


「ちょっ……この電車に乗るってことは死ぬってことなんだよ」

「小春と一緒にいたいんだ」

「よく考えもしないで、ぱっと電車に飛び乗っちゃったんでしょ」

「考えたよ。三日間考えて出なかった答えが、小春と別れた三分で出たんだ」


 博史は車窓を流れ去っていくこの世を見送っていた。


「三分もあれば十分だった。俺は小春とずっと一緒にいるって決めるのにね」

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