笑い合った夏の日を

家宇治 克

刹那の光

 町から少し離れた山沿いの川へ、俺は咲人さきとを連れて行った。


「なぁ、見せたいものってなんだよ」

「いいからいいから、黙ってついてこいよ」


 咲人を焦らし、俺は山沿いを歩き続ける。手入れの行き届いていた川は見えなくなり、少し茂った林道を抜け、道から外れて川に下った。

 流れの穏やかな綺麗な川は、月明かりに照らされて絹のような光沢を放つ。近所で見れる絶景だった。咲人も驚き、目を輝かせる。


「見せたかったのってこれか! すげーな! 俺全然知らなかった!」

「いや、これも見せたかったけどさ、本当に見せたいのはこれからだ」


 ──そう、これからなんだ。

 俺は草原に座り、咲人を隣に座らせた。そしてコンビニで買ってきたワンカップを、フタを外して渡す。咲人は頬を膨らませて受け取った。



「俺もう子供じゃねーよ!」



 ──知ってる。

 俺は笑うことしか出来なかった。

 日付が変わるまであと三分。それまでにどうしても見せたいものがあった。

 俺は内心焦りながらを待つ。

 咲人はワンカップをちびちびと呑みながら川を見つめていた。


「いやぁ、今年もあっという間だな。雄大ゆうだいとも、こんな時にしか会えねーし」

「そうだな」


 川のせせらぎに混じる咲人の声が心地良かった。


「大人になっても遊びたいのにさぁ、たった三日だけって嫌がらせだよなー!」

「そうだな」


 わがままを言う咲人が川に小石を投げ込んだ。

 俺は相槌あいづちを返しただけだった。


「でも雄大と遊べて楽しかった。川遊びもハイキングもさ、昔よくやってたよな」

「そうだな」



 俺は目頭が熱くなった。



「帰ってくる度にそればっかやんのも飽きるだろって言われんだろうけどさ、普段できない分何回やっても楽しいよな」

「そうだな」



 俺の視界が歪んだ。



「あーあー、また明日から『いつも通り』だ。ゆっくりしたくても出来ねーな」

「そうだな……」

「もっとやりたい事があったのに……はーぁ、あと一日伸びたりしねーかな?」

「そう、だな……」

「一昨日家に戻ったら、ばあちゃんが仏壇の前で泣いてやんの。じいちゃん待ってんだろうな。でもじいちゃん、今年はかえってこねーっての」

「……そう、だな…………」




「なぁ、頼む。泣かないでくれ」




 俺は目を擦り、子供のように泣いていた。咲人は俺に困ったような笑いを向ける。そして、泣きじゃくる俺につられて泣き出した。

 川のせせらぎだけが聞こえる夜に、俺たちは互いに肩を抱いて泣く。




「なぁ、頼む。いかないでくれ」




 俺は咲人にそう懇願こんがんした。

 だが、咲人は「それは出来ない」と首を振った。

 時計に目をやった。日付けが変わるまで一分を切った。

 俺は袖で鼻を拭き、川に目を向けた。

 川の周りからチラチラと淡い光が舞い始めた。咲人も川を見ると、その光に笑みをこぼした。



「見せたかったのってこれかよ」

「蛍が見たくて何が悪いんだよ」



 咲人のそばに一匹の蛍が飛んで来た。淡い光が泣き腫らした咲人を照らし、川へと戻っていく。

 ふわふわと漂う光の粒が川に映って銀河のような美しさを描く。

 ひと季節だけの、夜だけの、綺麗な川だけで見られる限定づくしの神秘に咲人は喜んでいた。

 そして、ふと立ち上がると山の奥を見やった。




「いかねーとな」




 俺は咲人の腕を掴んだ。咲人に何度も「いくな」と言った。咲人は振り返らなかった。

 俺は鼻を垂らし、泣きじゃくる醜態を晒して彼を止めた。だが咲人は俺の腕をそっと外した。


 咲人もまた、泣いていた。



 あと十秒。

 咲人は堪えるように泣いていた。



 あと七秒。

 咲人は泣きながら笑みを繕った。


 あと五秒。

「おいおい、違うだろ」と咲人が言った。



 あと一秒。




「笑って送ってくれよ」




 咲人は山の奥へと手を振って走っていった。


「また来年な!」


 その顔は泣きながら笑っていた。

 俺はふとおかしくなって笑って手を振った。そしてまた、彼が見えなくなると大粒の涙を草に与える。またそこに座って、川を見つめた。


 時計を見ると、無常にも日付けが変わっていた。

 ようやく俺は、自分のワンカップを開けると、咲人が残した半分のワンカップにコツン、と瓶を当てた。赤くなった目で今しがた咲人と見ていた蛍を眺めた。

 蛍の光をのせた酒をぐいと呑む。呑み慣れたそれは苦い味だった。



「……また来年だな」



 俺は半分呑むと、咲人のカップの隣に置いた。そのまま町へと歩き出した。

 蛍がチラチラと光っては消える。

 もう、夏も終わりだ。俺は新聞の切り抜きに涙を落とす。事故の様子が書かれた記事の端に、さっきまで見ていた笑顔があった。



 十六日の夜十二時に俺はまた一人になる。そしてまた、泣いて懇願するのだ。


「なぁ、頼む。生きてて欲しかった」と。


 咲人と約束した来年に向かって時間は流れ続ける。そしてまた、約束を過ごし、過ぎ去り、追いかけていくのだろう。



 蛍の光が一層濃くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

笑い合った夏の日を 家宇治 克 @mamiya-Katsumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ