萌え出づる病

坂水

萌え出づる病

 

 蔓草病に罹ったのは、姉のモイラが最初だった。

 リーガン星系の恒星オドを巡る辺境惑星エメニア。その砂風と岩石で構成された星の片田舎で、病に冒された姉は寿ことほがれた。

 母星では数十年に一度の割合で若い女が罹患したという、肌に緑の曼荼羅じみた文様が浮かび上がる奇病。それは蔓草のようにするするとはびこり、徐々に身体を衰弱させる。

 実はある種の寄星虫(星から星へと寄り飛ぶの意)の毒素への反応であり、その蜘蛛に似た外観の小さな星物の寄生に、人は緩やかに死へと縫い合わされるのだった。


 伏せった姉は、皆に〈苗床〉と呼ばれ、敬われた。

 なぜなら、それは吉兆だから。

 直接の因果関係は解明されていない。けれど、蔓草病が発症すると、恵みの雨が降り、作物は豊かに実り、子は健やかに生まれ育つという。実際、姉が発病した年、エメニアでは鉱床が発掘され、星は潤い、金は回り、人々の間には笑顔が満ちた。

 しかし、対照的に姉は病み、衰え、伏せった。

 発熱、嘔吐、痛み。看病に追われた私たちにとって、星の繁栄は姉の病――ひいては、世話する者の睡眠不足、嘔吐物の染み、擦り減った神経――の上に成り立っていると思えてならず、その繁栄も享受する人々の笑みも忌々しく感じられた。


 ・・・・・・そう、私たち。

 

 姉と私は二人きりの家族で、すでに両親は他界していた。けれど、隣家の幼なじみトルグが看病を手伝ってくれていたのだ。姉と同い年のトルグはまだ遊びたい年頃だったろうに、兄のごとき献身だった。


 姉とトルグは十七、私は一つ下の十六歳。

 どれだけ病人に尽くしても医者ではなく、また蔓草病は未知の宙病であり、私たちは無力な子どもに過ぎなかった。

 モイラの苦痛を少しでも和らげるためマッサージを施し、精をつけさせるため家畜を絞め、寝心地よくするためにシーツを洗い、布団の綿を貴重な青永鳥の羽毛に変えた。

 労を惜しまなかったが、実際のところ、どれほど彼女の苦痛を和らげるのに役立っていたろうか。畢竟、何もできない自分たちを認めたくなく足掻いていたに過ぎなく、ほとんど自己満足だったのだ。

 そのくせ、私は苛立った。お金も時間も楽しみも火にくべ、その熱量で姉の命の歯車を回している。時折、そんな妄想に囚われて。

 トルグは、そんなすさんだ気持ちに気付いていのだろう。


 ――モイラとアニマは全く似ていない。


 蔑みの眼差しを向け、怒気を孕み、吐き捨てる口調で、彼は言った。

 その見解が正しいかどうか、意見はわかれるところだろう。私と姉は、性格はともかく、姿形は一卵性双生児と間違われるほどよく似ていた。神様が同じ鋳型で造ったように。しかし、なんにでも出来不出来はある。毎朝、同じ手順で卵を割っても、焼き加減、味の濃さ、形が違う目玉焼きが出来上がるのと同様に。たまには殻も入るかもしれない。

 私の左目の下、頬骨のあたりには痣があった。ほくろと呼ぶには大きすぎる、くまのごとき一刷け。それは私を美人と呼ばれる容姿から遠ざけており、幼い頃からの悩みの種でもあった。トルグは痣をからかい、姉はトルグを諫め、私は泣いたがそのささやかな涙は砂地が吸い込み、風が乾かし、跡形もなしに消し去った。だが、消えたからといって心が癒やされたわけではない。 

 トルグは、昔は姉の気を引きたいがため、あるいは姉の美しさを賛美したいがため、私を引き合いに出して貶めたのだろう。モイラが蔓草病に倒れてからは、やりきれなさのため。姉と瓜二つの妹。なぜ、寄星虫は妹を選ばなかったのかと。モイラとトルグは恋仲だった。

 

 ――苗床さま、苗床さま、苗床さま。どうか惑星ほしに緑を。


 見舞いというより、人々は現人神あらひとがみを詣でに病人の部屋を訪れた。緑の文様を刻まれた姉は、精緻な緑のヴェールを掛けられているようでもあり、神秘的な美しさを湛えていた。

 だからといって、どうして病み衰えた女に縋れるのか。私は心底、見舞客――参拝者を嫌悪した。

 

 ――どうぞ善く生きてください。皆様の御心こそが大地に降り注ぎ、やがて萌え出づるでしょう。


 彼らの祈りに、姉は過度な期待を抱かせず、また拒絶も感じさせない言葉を返した。聡明な彼女らしく。 

 姉は理解していたのだ。どれほど彼らを嫌悪しても、見舞いの品々――金銭、衣服、食料、燃料――すなわち、貢ぎ物が、自身だけでなく妹も生かしているのだと。

 人々は姉の緑はびこる肌を一目見ようと、両親が遺してくれた古い館へ押し寄せた。

 エメニアの民は緑への執着が凄まじい。なぜなら、私たちの祖先は美しかった母星を文明とエゴで穢し、嬲り、殺した。そして荒廃した大地を棄て去り、永きに亘る放浪の末、この砂と岩の惑星に辿り墜ちたのだった。

 人のさがと姉の病。どれほど嫌悪しようとも、どちらも押し止められはしない。

 トルグは十八歳になると、モイラを治すと医者を志し、リーガン星系で最も医学が発展した星へと留学した。彼が乗った宙船は、エメニア唯一の宙港から飛び立った。鉱床が発見され、頓挫していた公共事業が再開し、ようやく整備がなされ、つまりは蔓草病の恩恵に浴して。

 私は姉の傍を離れられるはずもなく、見送りには行かなかった。


 二年後に姉は亡くなり、けれどトルグは戻らなかった。こうなることは予想できていた。

 最期の二月の間、姉はよく喋った。いや、たんなる言葉のつぶてで気まぐれに虚空へと投げ、たまに落ちた破片が私に当たる程度か。あるいは断続的に天から舞い落ちる、儚いひとひら。脈絡はないようで、たまにある。私には見えない糸で繋がれ、紡がれ、文様を描いていたのかもしれない。それとも稚拙ならくがきか。どちらも同じだけの可能性があった。

 子ども時代の思い出を訥々と呟いたかと思えば、見舞客の様子について面白おかしく話し、エメニアの政治について厳しく論じる。四方八方、気ままな蔓草のごとく伸びゆく話に、私は返答しながらも随いていけなかった。

 後になって考える。一体、そのどれが姉の真実本当に遺したかった言葉なのか。それとも、生命維持の他、思考や会話に回せる活力は乏しいはずで、漏れ出た言葉は全て妄言や寝言と割り切ってしまって良かったのか。実際、姉の語りは矛盾、混沌、支離滅裂で、常人が理解できるものではなかった。 

 だから、姉がいなくなった後、思い起こされる言葉の数々には、私の無意識の選別が働いている。 


 ――〝寄生〟ではなく〝共生〟よ


 死にゆく者の全てに意味があったと思うほどうぶではない。

 けれど正解の有無さえ不明瞭な謎かけは、年々、私をとらえて放さない。

 寄生生物のみが得をし、宿主が一方的に損をする〝寄生〟。互いに得をする〝共生〟。

 因果関係は解明されていない。だが姉が、寄星虫に苗床として身を差し出し、惑星を繁栄させる人身御供であることを受け容れていたなら。ならば、私は。



 トルグが帰ってきたのは十年後、大規模な二つ目の鉱床が見つかり、エメニア中がさらなる好景気に沸いた時だった。

 再会した彼は、私を前にして固まった。砂除けのため目元以外を覆う長いヴェールを被っており、頬骨の痣が隠され、モイラと見間違えたのだろう。

 高名な医者となり、故郷に錦を飾った彼は皆から歓迎され、宴が催された。愛想良く挨拶し、彼の硝子杯にはなみなみと赤酒が注がれる。宴もたけなわになり、トルグがまだ独身だと知れると、年頃の娘を持つ親たちは色めき立った。開業するのなら融資をしよう、いやさせてくれ、そのかわりぜひうちの娘を。おい、抜け駆けするな、方々から声が挙がる。

 私は空になった杯と汚れた皿を下げるのに集中した。別段、命じられたわけではない。役割は時に隠れ蓑として有用だ。折を見て酒宴から抜け出し、風に当たりに外へ出た。

 銀の月と縞の月、世界を黄砂と二分する濃紺の夜空を背景に、どちらも美しく照り映えた晩だった。このまま帰ってしまおうか。さんさん歩けば、郊外の館まで一時間で着く。

 そう算段していると、アニマと呼び掛けられた。

 振り返れば主賓たる男が背後にいる。帰るのならば、砂車バギーで送ろう。代わりに泊めてくれないか。自宅は何年もほったらかしていたから、どこもかしこも砂が入り込み、とても寝れたものではないのだと。トルグの両親は、とおの昔に他星に移住していた。彼の帰る場所はすでにこの惑星ではない。

 砂車の運転は危なげなかった。多分、彼は赤酒には口を付けたふりをするだけで飲んでいない。私も酒は嗜まない。いつ何が起きるとわからない病人と暮らしていれば、自然と酒精は遠ざかり、その強迫観念のようなものは未だ根を張っていた。


 ――モイラが亡くなった時はすまなかった。どうしても研究を離れらなくて。


 彼が謝ることなど何一つない。家族でも親族でもなく、単なる隣人だっただけ。少なくとも私にとっては。二人にとってはまた違う色味があったのかもしれないが。

 館に着くと入浴を勧めたが、疲れたから眠ると言ってトルグはシャツを脱ぎ、長椅子にクッションを並べると早々に横になってしまった。

 一方の私は浴室へと向かった。石造りの室内にまず蒸気を充満させる。ヴェールを剥ぎ、衣服を脱ぎ、濛々たる白煙に包まれる。その中で一房ごとに髪を洗い、丹念に身体を磨き、繰り返し湯を浴びた。浴室の戸口に人影が浮かんだのも気付かず。

 唐突に戸が開き、蒸気が逃げる。はっとして腕で漠然と身を隠そうとするが、足りるものではない。腕を掴まれるが、なんとか身を捩り、背を向けた。

 アニマ、はっきりと傷ついた声音が絞り出される。私は見た。濡れた黒髪が顔に貼り付き視界の半分を閉ざす中、骨張った手が緑の蔓草這う腕を掴むのを。

 

 トルグは私にそれまで就いていた教職を辞させ、療養生活に入らせた。周囲には夫婦になったと言い、しばらくは二人だけの生活を愉しみたいとうそぶいて。

 彼は留学先で寄星虫病の症例を収集しており、近親者が同病に罹る例が多数あることを突き止めていた。寄星虫は、ある種の魚が生まれた川に産卵のため遡上してくるのと同様、近しい血に還ってくるのだと。 

 エメニアは再びの好景気に沸き、私は全身をヴェールで覆い隠し、病にそれ以上の意味を与えたくはなかった。寄生するのもされるのもまっぴらだった。トルグは懺悔の機会を待っていた。あるいは報復かもしれない。

 トルグは私に治療を施す。かつて姉にしたように献身的に、そしてより高度に、適切に。恋人のために遠い星で学んだ医術で。

 私の涙は消えたが、癒えたわけではない。かつての貶めを許したわけではなかった。けれど今、目の下の痣には緑の蔓草が萌え、すっかり隠れている。消えてしまったと錯覚するほどに。


 ――〝寄生〟ではなく〝共生〟よ


 私は、その呟きに遺言のレッテルを貼り、都合の良い解釈をする。共に生きようとするのなら。

 トルグ、私は意識して甘い音調で呼びかけた。私は本当はモイラなの、と。


「あなたは立ち会ってないから知らなかったでしょうけど、は治って、アニマが入れ替わりに病に罹って亡くなったのよ」


 マッサージの手を止め、トルグは笑うような泣くような怒るような、曖昧な表情を浮かべた。

 緑の蔓草が萌え出づる。腕に、足に、痣に。いつかエメニア中を覆い、緩やかに朽ち、私たちも土に還って、再び大地は緑芽吹く――そんな夢想をする。

 果たして彼が私の妄言を遺言とするかは、私が死んでみなければわからないことだった。


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