姉が「蔓草病」という病に罹患してしまった少女アニマ。姉の肌には緑の曼荼羅じみた文様が浮かび上がり、病が進行するにつれ蔓草のようにはびこって、徐々に身体を衰弱させるという。
だが一方で、蔓草病が発症した地では、恵みの雨が降り、作物は豊かに実り潤い、人々の間には笑顔が満ちるという。
自らの意思とは関係なく、奇病に罹患してしまった姉妹の選択は――。
蔓草はなにものかに寄生し、そして、その表面を覆い隠します。覆い隠された部分は見えなくなり、なかったことにされてしまうのです。
何かと引き換えに何かを得る。搾取されるものと享受するもの。とても業の深いテーマなのでしょう。
しかし、このお話は、読んだ方をさらに一段深い場所へと連れて行きます。
持つものと持たざるもの、という構造から、ひとの凄まじさや、やるせなさという場所まで。
果たして蔓草は本当に何かを隠したのでしょうか。
見えない振りをしているのは、誰なのでしょうか。
あるはずのものを覆い隠した蔓草上に危ういバランスで組み上げられた楼閣は、妖しい曼荼羅模様で彩られています。
SFという事で読むのを躊躇されている方もいるかもしれませんが、ぜひ、ご一読を。
SFはSFでも、センチメンタルでファニーなお話なのです。
死に到る病に罹患したものを崇め、恩恵を受ける惑星の民と、不幸にもその病に侵された姉妹。肌に緑の紋様が浮かびあがる様は想像するだけでも美しく、されどもおそろしくもあります。
幻想と現実のあわい。その表現がほんとうに巧みで、息を呑みました。
〝寄生〟ではなく〝共生〟よ
読み終えた後、この言葉が頭のなかに繰りかえし響いております。
それは、病だけではなく人との繋がり、強いていうならば人と人のあいだに横たわるどろどろとした感情もそうなのではないかと、考える次第です。軽蔑、嫉妬、憎悪、優越。そうしたこころに寄生する感情とも、我々は、清濁を併せ呑むように、共生していかねばならないのでしょう。