第四十五話 獣の性
湯浴みを終えたゲヴランツ。
給仕型の
防刃繊維で編み上げられた、先の尖ったフード付きの上等な僧衣の上に、手足や胸、胴などの要所のみに銀色の鎧を装備している。
そして上級の士官のみが着用を許される洒脱なデザインの蒼いコートを羽織っていた。
腰には剣。
左腕には赤い腕章、左胸に獅子を象った勲章を誇らし気に掲げている。
「フ……」
部屋に飾られた黄金鋼の鎧を眺め、空虚に微笑する。
視線はそのまま流れて、固く閉ざされた扉を横目に捉える。
結界が張られ、不可侵の聖域と化した空間。何者であろうと侵入を阻む壁が――突如、斬り裂かれた。
幾条もの斬撃が走り、直後に弾け飛ぶ。
その手には
突進のまま、凄まじい勢いで放たれる平突き。ゲヴランツはその不意の強襲を、抜剣して防ぐ。
しかし止められない。
「ほう―――」
感嘆の吐息を漏らすゲヴランツ。それ程までに、とんでもない
足裏が床を滑り、そのまま後方へ。敵の足もまた止まらず。そのまま対岸の壁へと激突し――石造りの外装、鉄筋コンクリートの基礎で出来た堅牢な壁を、紙細工も同然に容易く打ち砕いた。
嵐が、二人を飲み込む。
「シッ―――!」
黒い強襲者は、空中で身を捻りつつ戦鎌を反転。石突でゲヴランツを打ち据える。
剣での防御は不可能だった。
けれど直撃しない。聖術によって構築された光の壁――青白く電荷した
しかし衝撃と慣性までは止められず、ゲヴランツは城壁まで弾き飛ばされる。
強襲者――
目隠し越しに、憎き怨敵を睨み据える。金色の獣騎士もまた、難なく着地していた。
特にダメージは見受けられない。
精々が、吹き荒ぶ暴風で髪が乱れ、雨で氾濫した水溜りに
聖術による防御は元より。天使の加護によって、硬い壁を粉砕するほどの激突も、一切堪えていない。
「何か―――」
雨に濡れた髪を
「私に言いたいことがありそうだな、
軽口を受けて、コナは不快気に鼻を鳴らす。
「フン、お気遣いどーも。だけど生憎と、アタシは別にアンタと話がしたい訳じゃない。恨み言なんてあり過ぎてキリがなからね、とりあえずぶっ殺せればそれでいい」
「クククッ、それはそれは、随分と恨まれたものだな。となると……あの時の娘は死んだか? まあ、当然か。
口笛でも吹くような、軽やかな口調で。下衆な笑みすら乗せて。ゲヴランツは、相対する
コナの纏う空気が、
持ち前の
「……驚いたね。泣かした女のことなんて誰一人覚えちゃいないタイプだと思ってたよ、アンタは」
「否定はしない。実際、今までに
挑発を重ねつつ、ゲヴランツは自身が置かれた状況を客観的に分析する。
敵の得物は長柄。剣で相手取るのはあまりに不利。
その上、背後には壁。
下がることが出来ないのは元より、上からの奇襲も十分に有り得る。あまりにも立ち位置が悪い。
距離を維持したまま、円を描くように移動する。
無論、そんなゲヴランツの思惑に気付かないコナではない。攻撃を仕掛けるならば好機に見えるが、敢えて無視することを彼女は選択した。
戦鎌を下段に構え、油断なく穂先を向けたまま、敵の言葉に耳を傾けている。
「種族の違いか、あるいは妊婦だったからか。それとも死んだ夫の隣で抱いてやったのが良かったのか。私自身も
「そうかい、そりゃあ残念だったね。アンタには二度とそんな機会は訪れないよ。どうしてかって? ―――此処でアタシが、手前ェのその汚ェモンをぶっ潰してやるからさッ!」
気を吹くと同時、凄まじい瞬発力で一気に距離を詰める。
下段から跳ね上がる穂先。
ゲヴランツは正眼に構えた剣で受け止め、流した。刃が刃の側面を滑り、ゲヴランツから逸れて斜めに抜ける。
しかしコナの得物は
ゲヴランツは左腕の篭手を刀身に添えて押さえ、戦鎌を止めた。
コナは間髪入れず柄を
ゲヴランツが態勢を崩す。
一方、コナは勢いのままに戦鎌をぐるりと反転。
間断なく、ぐるぐると振るわれる分厚い刃。
左右を切り替えながら絶え間なく浴びせられる斬撃と石突の打突は、それそのものが竜巻である。巻き込まれれば命はない。加えて、そんな単調な攻撃に終始するコナではなかった。
時に急制動を掛けて刃を振り下ろし、時に身を捻って側面から鎌を捻じ込む。
絶えず前進。獣の如く、飛んで跳ねて。
攻撃の手を一切緩めることなく、コナは戦鎌を振るう。その技量は卓越しており、恐らくは元々の所有者のソレを優に超えている。人間が生み出した武器を、
―――裏を返せば、その程度。
交合する剣と戦鎌の応酬は、既に百を超えている。しかしゲヴランツに傷はない。
猛進する敵に合わせて下がってこそいるものの、ゲヴランツは、コナの攻撃のほぼ全てを剣技によって防いでいた。どうしても防御が間に合わないと判断したものだけ、聖術によって構築した防壁で弾いている。
通常、長柄の武器を剣で相手取るのは極めて不利である。
そもそも槍とは、剣の間合いの外から一方的に相手を殺すために開発された兵器なのだ。それは鎌も同様で、防ぎ難い側面から切先を捻じ込む代物である。
防戦一方とはいえ――コナの攻撃を防ぎ続けるゲヴランツの剣の技量は、彼がその肩書に相応しい実力を持った武人であることの証左だ。
否―――
本当に、防ぐことで手一杯なのか?
「手前ェ―――! どうして本気を出さない!」
力任せに戦鎌を叩き付け、間近でコナが
コナは確信していた。
以前の戦い――犯されているパーピュラシナを救うために乱入し、刃を交えた際は、彼我の実力差が有り過ぎて分からなかった。
技量は兎も角、地の能力値で大きく劣っていたが故に、自分は叩き潰される蠅でしかないと理解していたからだ。
だが、今は違う。
相手は天使の加護を受け、自分は魔王の祝福によって力を得た。多少の差はあれど、ある程度は同じ土俵に立っている。にも
しかも今の状況は、彼等人間にとって著しく不利であるというのに。
「まさか、本当に自分の置かれた状況を分かってないってのかい!? 第005号砦はもう終わりだ! 兵士も住民も、粗方アタシ達が制圧してる! 後は迅猪騎士のブタ野郎と、アンタを
「―――ククク」
「なにが可笑しい!?」
正確な分析を告げられても尚、ゲヴランツの態度は変わらない。この期に及んで不敵に笑う彼に、コナは食って掛かった。
「いや、なに。『お前は追い詰められた』――などという割には、あまりにもそちらが必死なのでな。流石は
「…………」
目の前の酷薄な薄ら笑みを睨み付け、コナは眼を細める。
……もしかして、本当にコイツは馬鹿なのではないか?
頭に浮かんだ疑念を、直ぐに振り払う。
相手は〈円卓〉に名を連ねる騎士、第005号砦を治める領主――偉大なる獣騎士だ。馬鹿に務まる役職ではない。
「……他の砦から応援が来るまで、のらりくらりとダラダラやろうって腹かい?」
「別にそれでも構わんがな。だがいい加減、この嵐も鬱陶しくなってきたところだ。早めに決着を付けられるなら、それに越したことはないだろうな」
「だ、か、らァ……―――どうしてそう他人事みてェな言い方が出来るんだ、手前は!」
膝を上げて折り畳み、一気に打ち出す横蹴り。
不意に炸裂した衝撃は、青白い光の防壁によって防がれた。それでも慣性によって、ゲヴランツの靴底が地面を滑る。
「そういうところさ! パーピュラシナや他の子供達――同族への仕打ちだけじゃない。アンタ個人のそういうところが、やっぱ無性に気に食わないんだよアタシは!」
「ハ――ハハハハハ! 知ったことか!」
放たれる戦鎌の突き。
それに反応し、ゲヴランツは――防御しなかった。するりと抜けて、懐に入る。
突然の行動パターンの変化に、コナは
お返しとばかりに、ゲヴランツがコナの顔面目掛けて突きを放つ。
仰け反ることで回避したが、刃金が顔を掠めた。頬から眉間まで薄く灼熱が走る。褐色の皮膚が赤く裂け、目隠しが解けた。
露になる
琥珀色の瞳と――息が掛かるほど近い位置で、闇のように澱んだ金色の瞳の視線が交錯する。
「この世の全ては些事だ!」
「はあっ!?」
振るわれる剣。
コナは懐で炸裂したその一撃を、柄でかろうじて防ぐ。
だが当然、それで終わりではない。
ゲヴランツは立て続けに剣を振るう。
「愛、絆、情――如何なる関係性を築いても、私の渇きが!
「だから踏み
「違うな! それでは楽しくないだろう! 命は皆、尊いものだ。人権は須らく護られなければならない。だからこそ――台無しにするのが愉快なのではないか!」
聖職者を手籠めにし、誰かの妻や誰かの想い人を寝取り。そうすることでしか気持ち良くなれないのだと、獣が吼える。
「だがそうして得られる快楽も、所詮は一時の
多数の斬撃を浴びて、コナの総身から血飛沫が飛び散る。
更に柄で叩き伏せる一撃が、頭蓋を打ち据えた。
前のめりに崩れた上半身に、ゲヴランツは無造作に蹴りを叩き込む。コナは呻きを漏らして水浸しの地面に転がった。
戦鎌の柄を杖代わりにして立ち上がろうと試みるが、水の中でもがくことしか出来ない―――
「―――見え透いた芝居はやめろ、興が削がれる」
「…………」
「知っているぞ。貴様、眼が視えているだろう。全ての
「……チッ、
舌打ちを零し、軽やかに立ち上がるコナ。
盲目の振り、重傷の偽装、不意打ちの構え。
いずれも武人からすれば卑怯な一手であろうが、ゲヴランツはその辺りに頓着していない。ただ玩具が急に動かなくなったので文句を言っただけだ。
天上天下、唯我独尊。
世界を感じる己のみが真。己が知覚できない全てのことは偽であり些事。
人として当たり前の道徳と倫理を備えてはいるものの、だからといって
まさに獣だ。
防戦していたのは集って来る羽虫を払っていただけ。それから一転して攻勢に出たのは、遊ぶ気になったから。どうでもいいことにはとにかく無関心。それこそ、自分の部下や領民が凌辱・拷問されようが知ったことではない。
仮に、次の瞬間に世界が滅んだとしても――自分に害がないのなら、平然と嗤うことだろう。
なるほど、紛れもない馬鹿だ。
知能に問題があるのではなく、感性が狂っている類いの。
「―――……大体分かった。やっぱ、アンタは此処で去勢しとくのが世の為みたいだね」
半歩前に出て、戦鎌を構え直す。仕切り直しだ。
瞬間―――
巨大な質量を持った物体が飛来し、ゲヴランツの横を掠める。
それは彼が召喚した真紅の天使――〈ぷりあぷす〉だった。
その姿は見るも無残な有り様であり、触手は全て千切られ、
「―――――」
「翁様ッ!」
片手に二体の〈ぷりあぷす〉を纏めて引き摺って現れた、
黒衣の死神の姿に、コナは歓喜した。
対して――ゲヴランツは一顧だにしない。
彼はただ、コナを視ている。
「何を得心したのかは知らんが――いいだろう。私も
黒い装束と頑丈な革鎧に包まれた身体を。
戦いには到底不向きであろう豊満な胸を、引き締まって割れた腹筋を、発達し張り出した臀部と太腿を。野性的な色香が特徴的な、美しい半人半獣の女の性を。
闇のように澱んだ金色の瞳が、俄かに邪な光を帯びる。
知らず、コナの背筋が
「先程も言ったが……お前の娘の具合はとても良かったぞ、
ゲヴランツは顔に掛かる髪を掻き上げて、獣性を剝き出しにした陰惨な笑みを顔に浮かべた。
「―――――決めたぞ。
「ふざけんなセクハラ野郎! ぶっ殺してやるッ!!」
いきり立ち吼えるコナ。
今度こそ仕切り直しだ。
ダンジョンマスターの刑を執行します。 瑞雨ねるね @unknown996
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