則田ルルのルール

雅島貢@107kg

則田ルルのルール

 3月も中ごろを過ぎて、穏やかな日のことである。北海道の春は遅く、まだ雪も残っているけれど、少しずつ緑も増え、鳥たちも歌いだしている。少しずつ心が浮き立つようなそんな季節だ。きっともうすぐ、春が来る。

 法条定男ほうじょうさだおは高校の門をくぐり、ゆっくりと歩いて文芸部の部室――図書準備室に向かう。


 人は法条をまじめな人間というし、法条自身もそう思う。決まり事があったらそれを守りたいと思うし、守れなかったら気持ちが悪いと思う。そういう意味では、今、どこに、どんなルールがあるのか、いつも気を張り続けているような気がする。逆にルールがない場所では、どうやって振る舞っていいかわからなくなる。そんな法条にとって、はっきりとしたルールがないにもかかわらず、なんだかぬくぬくとした気持ちでいられる文芸部は貴重な場所だった。


 これから先の人生に、ああいう場所は見つけられるだろうか?


 そんなことを考えて、少しだけ表情を曇らせた法条は、首を振って、つとめて落ち着いた顔をしようとする。なんと言っても今日は、唯一の後輩、則田のりたルルが、卒業祝いをしてくれるというのだ。

 則田も自分に似て、ルールをきちんきちんと守る人間で、そして多分、ルールがないところではどうやって振る舞ったらいいかわからないタイプの人間だろう、と法条は思っていた。その則田が、ルールもなければ規則もないのに、卒業祝いを企画してくれるというのは、これはとてもありがたいことだと思った。だから、改めて落ち着いた表情を作り、法条は文芸部のドアを開けた。


「ウルトラッスーーパーーハイッパーールールッ! 当てッ!! クゥーーイズ!」

「あ? え? は? 何? なんて?」

「説明しようッ! ウルトラスーパーハイパールール当てクイズとは! ルールを守ることを生きがいにし、ルールを守るためなら人命も世界すらも踏み躙って憚らない! そんな私たちにぴったりだと思って私がしばらく夜も寝ずに考えたゲームであるッ!」

「どうしたの、本当に?」

「ウルトラスーパーハイパールール当てクイズの、ルールその1!」

「ねえ、なんかあった?」

「先輩、どうしました? 飲み込みが悪いですなァ。クスリでもやってんですか? ええ?」

「完全にこっちのセリフなんだけど」

「いいから説明を聞いてください! ウルトラスーパーハイパールール当てクイズの! ルールその1! ゲーム開始と同時に3つのルールが発動します!」

「3つのルール?」

「ルール当てクイズのルールその2! この3つのルールは、私にも先輩にも適用されます!」

「ウルトラなんとかはもういいの?」

「それは長いのでやめましたが、正式名称はあくまでウルトラハイパースーパールール当てクイズです。ルール当てクイズのルールその3! 先輩は、どれかのルールを3回以上違反した場合、負けになります! ルールに違反したときは、私が減点を宣言します!」

「えーっとそれは、このクイズのルールとは別にってこと?」

「その通りです! ルールその4! 先輩が『どんなルールがあるか』を宣言できれば、先輩の勝ちです! ルールは以上! ドゥ・ユウ・ハヴ・エニィ・クエスチョン?」

「聞きたいことはたくさんあるけれど――」

 あるけれど。正直面くらったけれど。


 たぶんこれが、則田なりのお祝いなのだ。明るく楽しい雰囲気で、法条を送り出そうとして、本当に夜も寝ないで考えたに違いない。なのだと思うと、法条はなんだかおかしくなって、唇の端が緩んでしまう。

「いいよ。受けて立とう。それで、勝ったら――あるいは、負けたらどうなるのかな?」

「はい。勝者は敗者にどんな命令でも一つだけ聞いてもらうことができる――というのはどうですか? もちろん法律とか決まりごとの範囲内に限られますけど。それでは私の宣言でゲームを始めますよ? いいですね?」

「わかったよ」

「では、ゲーームスタート! はい! 今から規則の適用開始です!」

 そう言うが早いか、則田は踊りのような、宗教的な儀式のような不思議な動きを始める。その動きを良く観察しつつ、法条は言う。

の一つって、『英語、あるいは外来語の使用禁止』じゃあない?」

「うぐ」

 そう言うと、則田はぴたりと動きをとめる。そして、混乱したように言う。

「……なんでわかったんですか?」

「まず、ゲー……と、危ない。この遊びの妙に長い名称だよね。それから、この遊びを始める前に急に則田さんがしてきた英語の質問も。そういう風に、英語に意識を振っておいて、僕に言わせようとしていたのかな、というのが一つ。決定的なのは、開始の合図の直後から、則田さんが『規則』って言葉に言い換えたこと。ついでに言うと、規則の問いかけ回数に制限が設定されていないから、別に間違っていたっていいわけで、これは聞き得だよね」

「しまった、そこを限定するべきでした……」

「そして質問。現状は二人とも規則に違反していない?」

「うう……してないです。先輩、お願いだからもう少し困ってくださいよぉ」

「まだ困るような段階じゃあないよ。ってことは、さっきの動きは関係ない……と」

「はい。先輩、減点1です」

「うぇ?」

 今度は法条が動きを止める番だった。今の言葉の中に、【違反】があったのだろうか? 自分が話した言葉を法条は反芻する。しかし、特別な言葉を使った覚えはないし、例えば『段階』という言葉を使ってはいけないというような、きわめて限定的なルールならば、この後【違反】すること自体が難しい。なにせ、一つのルールを2回までなら【違反】しても良いわけだ。そう考えて、法条は気を取り直した。


「やれやれ、そうかあ。少し『動き』があったね」

「そうですねえ、先輩。ふふ、一応言っておきますが、『動き』は禁止用語ではありませんよ」

「なるほど、『関係ない』言葉か」

「それもです」

 法条と則田はお互いに顔を見合わせて、不敵に笑いあった。


 いったん落ち着こう、と法条は思った。『動き』で誘導しようとしたからには、言葉以外のルールもあるはずだが、それはじっとしていたら分からない。何かのルールにすでに一度違反してしまったのは失策だが、一つ目のルールをすぐに発見できたことはアドバンテージのはずだ。法条はキャスターつきの椅子を引き寄せて、そこに座る。

「先輩、減点1です」

「ふむ……なるほど」

 答えながら法条は思考を巡らせる。仮に『座る』ことがルール違反だとしたならば、このまま立ち上がらなければ二度以上の【違反】はない。時間は定めていないが、まさか永遠にゲームを続けることはできないだろう。そう考えると、そう長くはない時間内に二度も三度も立ったり座ったりすることは考えにくいし、だいいち二度目に座った段階でほぼ確実に看破される、ということは則田にも分かるはずだ。そういうことではなく、この『座る』行動に付随する何かがルールのはず。


「ねえ則田さん、君も座ったらどう?」

「ええ、そうさせてもらいますね」

 落ち着いた様子で則田は言うと、北条の隣に椅子を持ってきて、しずしずと腰かけた。

「分かった。規則の二つ目は、『両足を同時に床から離してはいけない』だ」

「ええっ。な、なんで分かったんですか?」

「今則田さんの座り方を良く見ていたのが一つ。さっきの則田さんの動きに釣られて、僕がジャン……飛び跳ねでもすることを狙っていたのかな、と考えたのが一つ。則田さんがわざわざ僕の隣に椅子を持ってきたのが決定打だ。反対側に座ったら、机が邪魔で僕の足が見えないだろうからね」

「ああー。そうでしたか。鋭いですねえ」

「ふふ、意外と面白いね、この遊び」

「……だったら良かったですケド」

 則田は口を尖らせて言う。法条は一瞬、その表情にどきりとする。今までこんな顔を見たことがなかったな、と思う。そして、その表情は、なんだかとても素敵だな、とも。


「ねえ、先輩」

「うん」

「卒業しても、ちょいちょい遊びに来てくださいよ。また私、こういう遊び考えて、待ってますから」

 則田の声に不思議な色気が漂うような気がして、少しどぎまぎしながら法条は言う。

「いや……やっぱさ、四月からは部外者になるから。ちょっと難しいよ、それは。それに、新入生だって」

「先輩……減点2です」

 にやり、と笑って則田は言う。その顔も、法条が見たことのない顔だった。

「え、あ。え?」

「さあ、後がないですよ?」

 法条は考える。一体何がルールに違反しているのか? ここまでの会話を思い返して――法条は言う。

「そうか、もしかして」

「先輩、、ちょっと待ってください」

 そう言われたら待たざるを得ない。なぜならば――

「先輩。お願いだから。お願いだから、卒業しても、私とずっと一緒にいてください。ここじゃあなくてもいいです。別の場所でもいいんです。円山動物園に、珍しいトリが来たらしいですよ。それを見に行ったりとか。なんかその、……私、遊びに行く場所とかあまり知らないんですけど。でも、あの、色々考えますから。だから」

「いいよ。分かった」

 そう言うと、則田は不安そうに顔を伏せる。

「それは……その、ゲームに勝つためですか?」

「まだ終わってないから『その言葉』は減点1じゃあない? あと、そんなこと言うなら、『』なんて規則を作らなきゃあ良かったのに。その……えっと、なんていうか、今日はとても楽しかったよ。僕ももう少し則田さんの色々なことを知りたいと思った。だから、えっと、そう、敗者は勝者の命令を一つだけ聞くんだよね? だから……『これからも一緒にいよう』っていうのはどうかな」


 そう言って、照れ隠しのように法条は窓を開ける。柔らかな風が、図書準備室を吹き抜けていく。きっともうすぐ、春が来る。

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