Epilogue.











「教授、お早う御座います」


 研究室の扉を開く皆川。

 いつもの和装の薬師丸がいつもの笑顔で出迎える。


「お、響、お早うさん。……悠一はどうしたん? 一緒に来るって言うてたと思ったんやけど?」


「教授に頼まれてた書類を取りにちょっと寄るところがあるって言ってました。すぐに来ますよ」


 薬師丸に負けない笑顔で答える皆川。


「あぁ、そっか。……ほな、先に打ち合わせ始めよっか………ん? ちょっと待ってや」


 薬師丸が隣の部屋へと急ぐ。

 その部屋にある大きな測定器から警告音が鳴り出していた。


「あれ? 測定器の故障やろか? うーん、こんな値、今まで見た事無いなぁ……第一自然界でこないな量、発生する訳ないんやけどな」


 それは空気中のプラスイオンを測定する装置。

 朝から急に増加して測定器のメーターを振り切る値となっていた。


「……それにしても今日も暑くなるとは思うけど……なんや、変な蒸し暑さやなー」





 加賀谷が行方不明になってから一年が過ぎようとしていた。


 氷川と薬師丸の開発したレーダーは実験的に氷川世界貿易の船全てに付けられ、その正確な気象予報は航海の安全を飛躍的に伸ばした。

 そしてより正確な航海予定が組めるとあって、他の貿易会社、特に客船を扱っている会社から引き合いが後を絶たなかった。

 だが今以上に改良を加え、より正確な予報を立てようと薬師丸と氷川はその後も開発研究を続けていた。

 そしてようやく製品版としてこの秋から一般へ販売される事となった。

 価格的には決して安いものではなかったが、日本屈指の氷川世界貿易と日本海軍のお墨付きと合って予約が殺到し、当初の予定の台数はもう既に予約で完売だった。

 氷川はその最大手の貿易会社、氷川世界貿易の社長である父親にようやく認められようとしていた。












「……変わらないな。ここは……」


 けやきの木が大きく枝葉を広げ生い茂る。懐かしいその木の幹にそっと触れた。

 氷川は薬師丸の頼みで大学の図書館へ資料を取りに来ていた。その帰り、何かに導かれるようにして足が自然と中庭へ向かわせる。

 まぶしい日差しが緑の葉を揺らし、きらきらと零れていく。寮の赤い煉瓦を背景に光と緑が映えて、思わず目を細める。


「……やっと俺、会社でもみんなが認めてくれるようになって、いつの間にか親父のとなりの部屋に俺専用の部屋まで出来ててさ」


 一番側にあるけやきの木に寄りかかる。その太い幹を背にして体重を預けると照れたように俯く。


「……その部屋のドア『副社長室』なんて書いてあるんだぜ?」


 ふと頬にやさしい風を感じ、空を仰ぐ。

 澄みきった青い空の、一番高いところに薄く雲が線を引く。


「……喜んでくれるよな、加賀谷」


 微笑みながら空を見上げる。

 まぶしさに手をかざしたその瞬間、何処からとも無く不気味な轟音が響きだした。


「な、何の音だ!?」


 次の瞬間、足元から天に突き上げるとてつもない衝撃を感じた。音を立てて寮の壁の赤い煉瓦が崩れ落ちる。


「う、うわぁーっ!!」


 更に大地が縦にうねる。そのエネルギーは関東一円を襲った。……関東大震災である。


 辺りは一瞬にして全てのものが崩壊し、建物は見渡す限り屋根ばかり。あらゆるところから火の手が上がって瓦礫を燃やし始める。空はその黒煙で本来の色を失くし、真昼だというのにどんよりと薄暗くなっていた。煙と土埃で辺りが霞む。


 瓦礫の下になった氷川の両目はその衝撃で光を失っていた。

 見えないはずの目が、空から降りてくる光の梯子はしごをはっきりととらえていた。


「ああ…なんて綺麗なんだろう。……それに……あたたかい」


 目の前が真っ白にかすんでいく中、微かに緑が揺れるのが目に入った。


――けやきの木か……


 そこに見たのは……。


 見覚えのあるけやきの下、懐かしい加賀谷が天を仰いで歌っている。

 少し離れたところで息を呑んでそれを見つめている………自分がいた。


「僕に何か用ですか……?」


「えっ……あっその……お、俺、氷川悠一と言います。……よかったら俺と一緒に歌って下さい ! 」



 ……それは約束を果たしたふたりの、新しい物語の始まり。










Amazing Grace ―再会の約束― 完







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In My Heart ―木漏れ日の中で― 天沢真琴 @10s_labo

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