西村のバカ野郎
なのるほどのものではありません
マメちゃんと西村
思えば西村は、最初からちょっと浮いていた。
大学に入ってすぐの頃、学科のみんなで集まって交流会をした。私の学科は男子が少ない。だから、ツラの良い西村はひときわ目立っていた。
「……ちっさ」
それが奴が私に発した最初の言葉。しかし身長一四三センチの私は、言われ慣れた言葉に傷つくことなどない。
「何センチ?」
「一四三センチ」
「わ、俺が出会った中だと一番ちっさいかも。名前なんだっけ?」
「
「あー……、マメって呼ばれてる意味が分かったや。マ、メ、って名字と名前の継ぎ目なんだ」
そうだよ、とぶっきらぼうに答えて私はため息をつく。
正直言って、この時私はこの西村という男のことを良く思っていなかった。何のコンプレックスも持っていなさそうなツラの良い奴が苦手っていうのもあるけれど、なによりも慣れないお酒で気分が悪くなり、ひとりになろうと店の外で涼んでいたのを邪魔されたからだ。
まぁ、未成年のくせにノリでお酒を飲んだ自分が一番馬鹿なので、自業自得なんですけど。
「……西村、なんで店の外出てきたの? 戻りなよ」
「疲れた」
なんて愛想のない。
「マメはさぁ、何してんの。逆に」
突然あだ名呼びかよ。案外なれなれしいな……。
「酔っただけ」
「未成年なのに飲むからだよ」
「分かってるよ! これに
西村のクールな態度に、子ども扱いされた気がしてなんだか
今どきガラケーかよ……。と思ったが、まぁ別にそんなこともどうだっていい。横で黙々と携帯を触るこの西村という男をただただ「変なやつだな」と思うだけだった。
それ以降、これといって西村とは話すことなく、私は忙しい大学一年生の前期を消化していったのだった。あの日突然、西村が私の家に現れるまでは。
***
それは、五月中旬ごろだった。
「マメちゃんっ、この後の課題やった?」
同じ学科の友人、ナミが講堂入口で私を捕まえて問いかけてくる。
「やったよー。でもぶっちゃけ全然わからなかったから、勘で埋めた」
「うう! マメちゃんもか……! 私今日あたるんだよ……!」
「ご愁傷さま……」
ナミは大慌てで
私はきょろきょろと講堂を見渡して、いつも一緒に講義を受けている女の子たちのグループを探した。
「マメちゃんー、こっち!」
気が付いて手を振ってくれた
「やー、マメちゃん、今日も小っちゃい! 可愛い!」
望海はいつもこうだ。この調子で私を撫でまわす。
「わ、ちょ、やめて……帽子がっ」
いつもかぶってるベレー帽がずれて落ちる。
「レトロなボブにベレー帽っ、いつもながら小さい芸術家っぽくてかっわいいわぁー!」
「望海、あんた本当にマメちゃん好きだねぇ」
呆れた顔を見せるクールビューティ真美が落っこちたベレー帽を拾って手渡してくれる。
「あ、ありがとう真美」
「ナミは?」
「多分今いろんな人に課題のこと聞いて回ってる」
「草はえる」
真美はクールビューティなのにネットスラングをよく使う。そのギャップが私は好きだ。
「あ、西村んとこに行ったみたいだ」
望海がナミを発見して指さす。見ると西村に話しかけているようだった。そして西村はきちんと課題をやってきたらしく、ナミにあれやこれや教えているように見えた。
「……はー。やっぱ秀才は違うなぁ。私も今日の課題無理だったわ」
真美が息をついて西村を見る。
「真美が無理なら、もう西村しか無理じゃね?」
望海が笑う。
西村はこんな時にも目立つ。ツラが良いだけじゃなくて、頭も良いだと? いったいどんだけ持ってたら気がすむんだろ。と、やっかまずにはいられない。
「彼女いるのかな」
「皆がリサーチしてるって」
「でも、分かんないんでしょ?」
「ガード固いらしいからね」
真美と望海はそう言ってケタケタ笑い、ようやく戻ってきたナミに手を振った。
その時、ナミの後ろに見える西村と、どういうわけか目が合った。
***
突然だが、私は美術部に所属している。
本当は芸術大学を目指したかったけれど、その場合、金銭面で国立以外は無理ということが分かっていたので、諦めて人文社会学科で芸術史が学べる大学に来た。将来の夢は学芸員だ。ただまぁ、部活でくらい、趣味でくらい絵を続けたって
「マメちゃん、今日も例の絵の続き?」
部室に来ていた
「はい。次の展示会まで、私のペースだと絶対間に合わないんで……」
「大作だもんねぇ……」
私は自分の背丈よりも大きなキャンバスと向き合って、はは、と笑った。
「マメちゃんの世界観が出てて、すっごくいいと思うよ」
先輩に褒められると、素直にうれしかった。
「……でもあれだな」
「へ?」
「色気が、足りないな」
いろけ。
「……エロさ?」
「はは!」
先輩は短くて高い声で笑った。
「可愛いなぁ、マメちゃん。色気イコールエロさじゃないよぉ」
「はは……すみません、安直って言うか……経験値がなくって……」
「え? 彼氏いたことないの?」
「恥ずかしながら」
「ええ!!」
先輩は大声を出して驚いた。彼女のいいところはこの表情豊かなところだとお伝えしておきたい。
「こんなに可愛いのに!」
そして私を抱きしめる。大きい胸で窒息しそうです、先輩。
「せ、先輩の言う……みんなの言う私の可愛さって、あれですよね!? マスコット的な。だからモテないし、女性としてじゃなくって、小っちゃい女の子としてしか見られないんですよ! 対象外なんですって!」
「ええー?」
彼女は心外そうな声を出して首を傾げた。
「そんなこと、無いと思うんだけどな?」
そしてふわりと微笑んで、私の頭を撫でてくれた。
いいんです。先輩。私は皆のマスコットで。
嫌われることはほとんどないし、結構幸せだから。
***
真っ暗になった帰り道。絵具臭い指の匂いを嗅ぎながら、とぼとぼと歩いていた。十時半。部室が使えるギリギリの時間まで残っていたから、他に人の影はない。
下宿先のマンションは暗い住宅地にある。なんだか嫌な予感がするし、早く帰っちゃおう、と角を曲がると同時に駆けだした時だった。
端的に言うと、何かを踏んずけた。
「う、うわあああああああああああ!?」
そして、こけた。結構派手に。
「い、痛い! え! なに!?」
慌てて鞄を拾い、立ち上がる。
「……え?」
踏んだものの正体は、想定外だった。そこに座り込んでいたのは――。
「西村?」
――西村だった。
「え、だ、大丈夫? ってかごめん結構思いっきり踏んずけた。た、立てる? 何してんのあんた!?」
思わず早口で謝る。そして手を指し伸ばしたその時だった。ばしっと腕を取られた。
「うお!」
色気のないこえでビビる。
「悪いんだけどさ……」
「あ、うん! なに!」
西村の声が思った以上にか細くて、消え入りそうだったので焦った。相当痛かったのかもしれない。
「マメの家に、連れてってくれねぇかな」
「……????」
ん?
「え?」
「いてぇ……」
「!!」
悟った。こいつ、怪我をしてる。
「わ、分かった! 私の家もうすぐそこだから! 立てる?」
西村はコクリと頷き、立ち上がるとふらつきながら歩き出した。
「ほら、つかまって!」
私は思わず西村の手を取るが、また悟る。私じゃあ小さすぎて支えられないだろうってことに。西村も困惑したような眼で私を見下ろしてくるので、私はどうにもバツが悪くなり、「いいから、行こう!」と強引に彼の手を引いた。
***
「ちょっと散らかってるかも。ごめんね」
まぁ人を呼べないレベルではない。と自負している。家に着くと西村は俯きがちなその顔をようやく上げた。
「お邪魔します」
おお、案外行儀良い。彼は靴をそろえて部屋に上がった。
「で、どこ怪我した? 消毒液あるから、出して」
「…………」
彼は振り向いて、黙り込んでこっちを見た。
「? ああ、湿布のほうが良い?」
打ち身なのかな? と首を傾げた瞬間、西村はふっと吹きだした。
「は!?」
「いや、ごめん。こっちでいい?」
リビングを指さし、私の返事を待たずにスタスタと部屋の奥へ入っていく。家主の私を差し置いて。
「あ、座椅子使っていいよ……って。何?」
彼は部屋の真ん中でもう一度黙ったままこちらを見ていた。まっすぐに。
「
「…………へ?」
「いや普通、こんな時間にやすやすと男を部屋に入れる?」
「いや、だって、私があんたを怪我させて……」
「別に、怪我なんてしてないよ」
……あれ。
これは。
流石に、経験不足の私だって何が起きているのか理解できてしまった。
「に、西村……」
「……そうそう。そのくらい警戒したほうが良いぞ」
「!」
西村が手を伸ばしてきたので、思わずぎゅっと目を閉じて肩に力を入れた。すると、彼は私の頭に乗っかったベレー帽にぽすっと振れ、それをふわっと奪うと可笑しそうに笑った。
「……か、からかった!?」
かーっと顔が熱くなるのを感じた。勝手にすごい意識して、警戒した! みたいになってしまって恥ずかしかった。
「からかった。や、ホント、小さい子供じゃないんだから、気をつけろよ」
西村はそう言うと、ベレー帽を指でくるりと回した。
「で、でも具合悪かったんじゃないの?」
「……なんで?」
「だって、座り込んでたんだよね? あの角で」
「あー……うん。ちょっと、携帯いじってただけ」
そこを急に駆けてきた私に踏まれたのか……。不運な奴。
「ま、まぁ、なんにせよ、踏んじゃったのは悪かったよ。ごめん」
「うん。それはいいよ。気にしてない」
西村は薄い上着を脱いで、座椅子に腰かけた。
「……え、ていうか、なんでうちに来ていいか訊いたの? というか、くつろぎだしてない?」
「んー」
深い息を吐き出しながら、西村は唸った。説明しあぐねている、といった感じだった。
「あのさ」
「うん」
「今日、泊めてくんない? マメん家に」
さっき、からかっただけって言ったくせに。嘘じゃん! って、その時は大いに思った。
***
「……マメちゃん、寝不足?」
授業終わり。望海が心配そうにのぞきこんできた。ただでさえ眠たい一限目の専攻。私はほぼほぼ意識を保つことができなかった。
「ああうあ……終わったの!?」
「終わったよ。先生も心配してたよ。マメちゃんいつも真剣に一番前で授業聞いてるのに……」
思わず、よだれが出てないか確認するために口元を触るが、何もなかった。良かった、そこまであほ面は
「どうしたの? 珍しいね」
ナミも心配そうにしてくれた。私はただただ、「はは」と笑っているしかできない。理由など述べようがなかったからだ。
「この後、授業ある? 学食行かない?」
真美の提案に、私はフルフルと首を振った。
「部室で寝てくる……」
「あら……」
「ええー! 心配だよぉマメちゃああん!」
望海がぎゅうっと抱きしめてくれる。ありがたいが、マジで一刻も早く部室で倒れたかった。
……何故なら一睡もしていないからだ。
――昨日の話の続きをしよう。
西村はなんのことなしに、うちに泊めてくれないかと頼んできた。私としては、それがどういう意味かわかりかねてしまい、うんともすんとも言えなくなってしまった。
そしたら彼はこう言ったのだ。
「何もしないよ」
それ知ってる! それ! 最終的に嘘になる台詞第一位! と、経験もないくせに少女漫画とかで培ってきた知識を脳内で振りかざす。
とはいえ、西村のことだから何かのっぴきならない事情があるんだろうと、その時私は少なからず想像していた。理由次第では、別に泊めたって良いかもしれない、と思ってもいた。答えに困っていたのはひとつ問題があったからだ。
「私の家、予備の布団とか無いんだ……よね」
ベッドしかないのである。しかもシングルベッドである。
「……前提として、お願いがあるんだけど」
「え、何?」
「本当に何もしないから、眠る時抱きしめさせてほしい」
あんまりにも。
あんまりにも真剣に西村がそう言うので、割と長い交渉の末、私は結局折れてしまった。
もちろん。少なからず、私にだって下心があったんだろう。それは認める。学科一ツラの良い西村が、
……わかってはいるが、私は本当にかわいくない女である。
西村は本当に言葉通り、何もしてこなかった。ただただ、後ろからギュッと抱きしめられただけだった。なんというかこの行為は、母親に甘える子供のようにも思えた。
ほどなくして、彼は安らかな寝息を立てて眠りに落っこちた。気持ちよさそうな寝息だった。しかし問題はすぐに発生した。
「…………寝れない」
人と一緒に寝るなんてこと、家族以外で初めてだったので、緊張して一睡もできなかったのだ。
一方、西村は平然としていた。
朝、気持ちよさそうに伸びをして目を覚ますと、「ありがとう」といってするりとベッドを抜け出し、早朝六時に家を出て行った。そして、さっきの一限目にも遅刻せず現れたかと思うと、こちらに
なんだか死ぬほど釈然としない。無性に腹が立ってきた。
「マメちゃん? 珍しいね授業の合間に部室来るの?」
部室に入ると、萌香先輩が目を丸くして迎えてくれた。彼女は四年生なのでほとんど授業がなく、よく朝から絵を描きに部室に来ている。
「寝不足で……仮眠取りに来ました。ソファ使ってもいいですか?」
「あらっ、可哀想に。寝なー?」
先輩は優しくそう言って、奥からブランケットを持ってきてくれた。いつから部室にあるか知らないが。
「二限目……終わるころになっても起きなかったら、声かけてもらえますか……?」
「いいわよー」
ありがとうございます、といい終わるか否かのところで私の意識は
***
西村と同衾した記憶は、忙しい毎日の中でどんどん薄れていった。
時々、一体あれはなんだったのだろう? と思い返すことはあれど、西村は顔を合わせても普段通りすぎて、実はアレ、夢だったんじゃないかとすら思えた。
「マメちゃーん! 学祭の屋台どうするー? 学科でやる?」
望海が突然、非常に浮かれた話題を投下してきた。
「学科で?」
「なんか毎年やってるらしいよ、うちの学科の一年生が! サークルの先輩が言ってた」
「ええ、そうなんだ。人が集まるならやる?」
「やりたいよー! お祭りごと大好きなんだもんー!」
望海がキラキラした目で叫ぶ。そう、彼女は根っからのパリピなのである。
「私も手伝うよ。あ、でももうすぐ展示会があって、忙しかったりするから最初はあんま
「ナミと真美にも手伝ってもらうから大丈夫っ!」
ナミと真美は「うええ」と抵抗しようとしたが、望海のパワフルさに押し負けて結局手伝うことになっていた。
「学科ライングループで参加者
望海がすごい速さのフリック入力で文字を打ち、送信した。すぐに自分のところにも通知が来る。
「……案外、皆ノリ良いね」
真美が意外そうに言って笑った。
「七割くらい参加するかなー?」
望海の概算は正しそうだ。彼女は顔が広い。明るくて壁を作らない。だから学科の人とほとんど友達になっている。そのおこぼれ、とでもいうべきか、一緒にいることの多い私も、彼らから「マメちゃん」と呼ばれて親しんでもらえてる。
「あ!」
突然望海が声を張った。
「な、なに?」
「思い出した。西村くんってガラケーだよね? ライングループはいってないかも」
「……ああ、そうかも」
彼があの夜持っていた赤くて古いガラケーを思い出す。
「マメちゃん、見かけたら声かけておいてー! 私も見かけたら声かけるから!」
「えっ! あ、うん。分かった」
西村に声をかける。それはなかなか緊張するミッションだった。けどまぁ、見かけたら、だ。無理しなくたっていいだろう。と私はなんとか平穏を保った。
けれどそういう時に限って見かけてしまうんだ。
しかもよりにもよって、また、あの夜道の角で。
***
「西村」
思わず声をかけてしまった。十時半を回った暗い道に、携帯を開いて屈みこむ男。完全に不審者だ。知り合いじゃなかったら叫んでる。
「マメ」
「……何してんの」
「今度は踏まなかったな」
「また踏まれちゃうよ。そんなとこいたら」
うん、と言って西村は立ち上がった。
「あ、そういえばさ。学祭で屋台やろうって話が学科で出てるんだけど、西村、やる?」
この際だ。業務連絡は終わらせてしまう。
「ん。ああ、尾崎にも聞いたよ。いいよ、やっても」
「おお、良かった。ありがとう」
「……なんで、マメがお礼いうの?」
「ああ、言いだしっぺ望海だからさ。私も一緒に幹事やるから」
「絵、忙しくないの?」
ドキッとした。
「……あれ、私が美術部って話したっけ?」
そんな話、したことがなかったから、今絵を描いていることも、もうすぐ展示会があることも知るはずないのに、と驚いた。
「油絵の具の匂い」
「え?」
「油絵の匂いがしたから。あと、その芸術家気取りのベレー帽」
「な!」
思わずベレー帽を掴む。
「別に気取ってないよ!」
「はは。そりゃ、悪かった」
西村はまた可笑しそうに笑った。
「あんまり、無理すんなよ。マメ」
「……うん。じゃ、じゃあ」
手を振ろうと、右手を挙げた時だった。
「うわ!?」
急にその右手を掴まれ、引き込まれた。西村の大きい手ががしっと私の後頭部を包み込み、大きな体が覆いかぶさるように絡んできた。
「は? え!?」
混乱しかない。聞いてほしい。いや、聞かなくてもいいけれど、私は未経験の女だ。彼氏がいたこともなければ、西村との同衾を抜けば、あんなことやそんなこともしたことはない。それが、突然抱きしめられてみろ。混乱しかないに決まってる。
「マメちゃん?」
しかも知っている人の声が後ろからしたものだから、私は思わずびくっと身体を揺らし「はい!」と叫んでしまった。
そしておそるおそる振り向くと、そこに居たのは萌香先輩だった。隣にいるのは美術部のOBで萌香先輩の彼氏の藤岡先輩だった。
「はわあ!?」
ひょうきんな声が出たものだ。
萌香先輩は、にやーっとした顔を見せつつも「邪魔しちゃだめだよ」と藤岡先輩にそっと耳打ちすると、ひらりと手を振って私達から離れて行った。
聞いてほしい。いや、聞かなくてもいいけれど、絶句である。そして、沈黙しているのは私だけではなく、この不可解な行動を取った西村もである。暗い住宅地の中、硬直状態で重い沈黙が続いた。
「……に、西村」
何とか冷静に声を出す。
「うん」
西村は平然と頷くとすっと私から手を離した。
「……ちっさ」
「はああああああああああ!?」
そして喧嘩を売ってきた。
「あ、ごめん」
悪気はなかったらしい。
「なんであんなことしたん!? 人に見られちゃったじゃん!!」
「うん」
そのことは謝らんのかい。
「も、もういいよ! 西村何考えてるか分かんない! じゃあね!」
「マメ」
「なに!」
「今日も、泊めてくんないかな」
「…………は」
――何言ってんだこいつ!
大声が出そうになった。
だっておかしいじゃないか。普段私に一切アプローチなんてしてこないくせに。どうしてこの道の上で会った時だけ積極的に来るの? この道に西村専用のマタタビでもまいてあんの?
「なんでか教えてくれないと、嫌だ!」
当然の権利を主張した。すると西村は少しだけ複雑な表情を見せ、コクリと頷いた。そして私の手を引っ張ったかと思うと、私の同意などよそにずかずかと私の家の方に向かった。
***
「あれ? 今日も寝不足?」
二限目。萌香先輩が首を傾げて部室に迎え入れてくれる。いれたてのコーヒーの匂いが脳を刺激した。
「はい……」
私は俯きながら部室に入り、いつからあるか分かんないブランケットをかぶってソファに突っ伏した。先輩の描いている絵画の油絵の具の匂いがコーヒーに混ざって、ハーモニーを奏でる。
「先輩……」
「ん?」
「いつか聞いてほしい話があるんです」
「えー? 何? 変なの。今いいなよ」
「今じゃダメなんです。いつか……言える時が来たら……」
萌香先輩は少しだけ私を見つめて、にっこり微笑み「分かった」とだけ言ってくれた。
結局、昨日も西村は私を抱きしめて寝た。当然のように私は眠れず、頭痛のする朝を迎えた。
朝、西村の寝顔を見たら、彼の眼には涙がたまっていた。どうしようもなくなってしまった私は、仕方がないのでその涙を見て見ぬ振りした。
「ひどい男だ」
呟く。
それくらいの悪口は許してほしい。
昨日、彼は彼の行動の理由を
――油絵の具の匂いが好きだった。想いの届かない人がいた。その人からのメールを消したくなくて、古い携帯を使い続けてた。そんなもんだ、西村なんて。馬鹿みたいに一途で、はた迷惑な方法で穴を埋めようとする男だ。
西村は萌香先輩が好きなのだ。高校の部活の先輩だった彼女がずっと好きだったのだ。浪人して、大学まで追いかけてくるほど。
けれど彼女は藤岡先輩と付き合ってた。そうなってたって自然だ。だって西村はたった一年しか萌香先輩の後輩じゃなかったし、彼女に想いを伝えてすらいない。約束なんてなかった。可哀想な西村はそれからまともに眠れなくなってしまったらしい。
「油絵の具の匂いがするマメを抱きしめたら、きっと寝れると思った」
だと。ふざけんな、こっちはそのせいで不眠だ。
お前にとって私なんて油絵の具の匂いがするマスコットなんだろうけれど、私だって生きてる人間だ。尊厳くらい守られるべきだ。……なんて、私にはいくらでも彼を
言っておくけれど、私が西村のことを好きだとか、そういうことはない。好きだったらこんな悲しい申し出、泣かずには聞けないと思う。恋愛などしたことがない私だが、そういうもんだと認識してる。
他人には理解不能だとは思うが、私はそんな西村に合いカギを渡してしまった。
毎回あんな場所で待たれたくないからだ。帰り道が同じ萌香先輩に顔を見られたくないからって、突然抱きしめられたりしたくないからだ。
こうして私と西村の、奇妙な関係が、無事スタートしてしまった。
終
西村のバカ野郎 なのるほどのものではありません @3hikidashi
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