紙とペンと迫撃砲
雪星/イル
あなたに返事をしたかった。
サクラダ・アベニューを
機甲戦闘力、航空勢力は敵優勢。
というより、我が方に機甲戦闘力は存在しない。航空戦力だって同じだ。
正面戦力の戦力比は1:1だが、おそらく厳しい戦いになるだろう。しかし第4中隊長及び砲迫中隊長は、一身を賭して任務達成に邁進せよ――我らが中隊長は、大隊長殿からそういう命令を受領したそうだ。
「つまり、お得意の
Rとはつまり、
そういって笑うミスマル中隊長殿は、しかし今までに一度として受領した任務を失敗したことがないという歴戦の名指揮官だった。
彼女は謎多き人物だった。この国の中枢機関が崩壊し、民族と民族、宗教と宗教が互いに反目し、共同体の利益と宗教的勝利のために銃を突きつけあう――そんな世界のどこにでもあるような内戦がこの国に生まれたとき、彼女はまだ、正規軍の一将校だったという。
そんな彼女がなぜ、自らのいた古巣を離れて、こんなレジスタンスに所属するようになったのかは誰も知らない。
けれどこういう人柄の人だったから、中隊長の周りにはいつも人が集まってきた。内戦で夫をなくした女性、この国の女性の地位を向上したいという女性、家族のために内戦を終わらせたいと願う女性、彼女の周囲にはそういう人たちがどんどん集まってきて、今や迫撃砲中隊と狙撃小隊は女性だけで構成されるに至っていた。まさに、戦場の女神ということだ。
わたしは彼女直属の通信手だった。
周囲の仲間より非力なわたしだって、スマホを持ち歩くことはできる。スマホ越しなら、他国が提供する翻訳サービスを介して民族も言語も違う同胞たちをまとめあげることができる。中隊長殿が行く場所にはどこにでもついていき、上級部隊の命令や警告警報を彼女に伝え、彼女の企図を正確に、瞬時に伝達する。それが私の任務だった。
中隊長殿の身の回りの世話だってわたしの仕事だった。今よりずっと小さかったころから、わたしはお母さんの家事を手伝っていた。浄水が限られた環境だけど、最小限の水で洗濯物を洗うこともできるし、パンを焼くことだって得意だ。アイロンがないことだけが悔しい。もしアイロンがあれば、中隊長殿をもっと格好良くできるのに。
わたしがそういうと、中隊長殿はいつも寂しげに笑ってわたしの頭を撫でてくれた。中隊長殿がなぜそういう顔をするのかわたしにはわからない。
こういうとき、気の利いた一言を返せない自分がもどかしいと思う。
ただ、中隊長殿に頭を撫でられることは、嫌いではなかった。
◇◆◇◆◇
わたしたちはサクラダ・アベニュー沿いの建造物から、地域一帯の現地偵察を実施していた。
この国の2月は肌寒い。太陽は出ているはずなのに心もとなく、北から吹き付ける風が否応なく体温を奪っていく。窓が割れ落ち、遮るもののない建造物の中は、まるで砂漠の夜のようだ。
「このビルの陰に射撃陣地を置く。1班から3班まではそこの広場、4班から6班はそっちの雑居ビルの裏だ。7班と8班、9班は第4中隊の
わたしは彼女が述べる言葉を一つ一つ正確に伝達する。
わたしたちが使うのはスマホだ。ブルートゥース接続したヘッドカムの同時通話モードを活用して、各班長と直接連絡をとるとともに、着弾観測用UAV・UGVの操作を行う。レーザー誘導砲弾のような高級品は使わない。わたしたちの戦いは情報と、そして数が勝負だ。
「全班、各射撃陣地を占領したらIEDを準備しろ。夜間のうちに設置して敵を待ち構える。設置箇所はこれから私が4中隊長と協議する。何か質問は」
「ここはな、昔は大学だったんだ」中隊長殿は言う。「お前より少し年上の人たちが、ここでたくさん勉強や研究をしていた」
「ミスマル中隊長殿も、ですか」
「ああ、そうだ」
そんな時代もあった、と。
中隊長殿は時々、わたしの知らない時代の話をする。
平和な国。
百年も戦乱を経験しなかった国。
わたしが知るのは廃墟だけだ。NBC兵器が国土を蹂躙し、公安組織崩れの民兵が我が物顔で闊歩し、浄水すら満足に手に入らなくなった、荒廃した国土だけだ。けれど中隊長殿は今も、この国がそんな美しい国だった時代をみている。この戦争にさえ勝てば、かつての美しい国を取り戻せると信じている。わたしが知らないこの国を。
その郷愁を、わたしは共有できない。
「ミシャ。お前はこういうのを知ってるか」
そういいながら、中隊長殿は散乱した机の中から何かをとりだした。
タブレット端末程度の四角い紙の束と、みたこともない文様の刻まれたペン。
彼女は紙の束から一枚の紙を引きちぎって、そこに何事かを書き留める。
「お前はスマホ世代だから、よく知らないだろうが」
中隊長殿は紙を半分に折った。それから半分になった紙をさらに折り、折って、折って、戻して、折り目と折り目を合わせるように降り畳む。長年60迫を扱い続け、油脂の染み込んだ皺だらけの指を滑らせて、綺麗に紙を折っていく。
「昔の女生徒はな、」中隊長殿は言う。「メモを書いた手紙を小さく折り畳んで、授業の合間に回し読みしていたのさ。放課後どうしようとか、今日の授業ダリぃとか」
「……そんなの、メールでいいじゃないですか」
「今みたいにスマホもなければ軽HMDもなかったんだよ。多感な少女の思いを文字に込めた、そういう時代さ。ほら、」
中隊長殿はわたしにその紙を投げて渡す。
メールアプリの形だと伝えると、それはこっちが大元だ、といって中隊長殿は大笑いした。
手紙。
これはきっと、中隊長殿の思い出の一部。中隊長殿が知る、この国の残滓。
わたしは手紙を開いてみる。わたしはそこに書かれた言葉を読んで、息を呑む。
そんなものをもらっても、どうしたらいいのかわからない。
「……これは、どうすればいいんですか」
「返事を書けばいい。手紙というのはそういうもんだ」
「でも、あの、なんと書けばいいのか……」
「今すぐじゃなくていい。堅苦しく考えず、思ったことを書けばいい。
文字は残る。手紙だって残る。だからその手紙はいつまでも持っていていいし、返事も好きなときにかけばいい」
「……
「
休憩は終わりだ、さぁ、行くぞ」
中隊長殿は立ち上がる。わたしは慌ててリュックサックを背負いなおす。
ああ、手紙。
ぐしゃぐしゃになってしまわないように、畳みなおす。
「返事、かけよ。約束だぞ」
そういって中隊長殿は笑う。
約束。
そう。わたしに命じるのではなく、約束だといった中隊長殿の、
透明ではない暖かな笑みが、なぜか、眩しかった。
◇◆◇◆◇
皆が、死んでいる。
皆が死んでいた。
敵は我々の活動を察知していた。正規軍は、最後の非政府武装組織となったわたしたちを殺しにきた。
情報戦は完敗だった。奇襲的
燃えている。
いまや大学は完全な廃墟と化している。逃げ道のすべてに火をかけられ、僅かに残った硝子の窓や扉は全て割れ落ちた。コンクリート壁は小銃弾が蜂の巣状の小穴を開き、むき出しになった鉄筋は熱に歪み始めている。
最初の爆発の瞬間に、中隊長殿はわたしの上に覆い被さった。
わたしが盾になろうとするよりずっと早かった。
閃光と爆音。
たららっ、たららっ。
念入りに銃弾が打ち込まれて、生暖かい血が頬を伝う。
動かないで。
音響弾でバカになった聴覚に中隊長殿の声が響く。中隊長殿の大きな体に包まれて、わたしの全身が血に濡れる。血が流れ落ちる。暖かい命が。
そうして、中隊長殿は全身から血を垂れ流して無様に死んだ。
わたしは。
動けなかった。
動くことができなかった。
やがて部屋から誰もいなくなったと気づいても。
わたしは、動くことができなかった。
ああ。
ごめんなさい。
ごめんなさい、中隊長殿。
嗚咽が口から漏れ出す。
わたし、読めないんです。
文字が読めないし、書けないんです。
だって私は、この国で一度だって教育を受けたことがなかったから。
わたしがここにいるのは、この国で生まれ育ったからではなく。
ただ、この国の民兵にわたしが売られたから。
遠い異国の地から。
みなしごの殉教者として。
スマホを通して、未だに接続が維持されている衛星通信システムを介して行う自動翻訳が、言葉を知らないわたしにも、居場所を与えてくれたから。
あなたが何を書き残したのか知りたかった。
かつて友人としたように、紙とペンで何を伝えようとしたか知りたかった。
この言葉がわたしだけの、特別なものであったらいいだなんて。
そんなことを、分不相応に、思ってしまったのです。
だからこれは、きっとわたしへの罰なのです。
わたしへの。
わたしへの。
わたしだけの。
紙とペンと迫撃砲 雪星/イル @Yrrsys
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