Innocent Trapper

瓜生聖(noisy)

第1話

 昼下がりの大学の食堂。

 仲良く談笑する女子大生たちの輪の中心にいる由美さんは、おしゃれなクラスメートの中でもひときわ目立っていた。

 そんな由美さんを、僕――寺本春樹は隣のテーブルから眺めていた。

 つい先日までセーラー服とか着ていたはずなのに、なんだかものすごく大人っぽくて都会的で洗練されて綺麗で――。

 もし、高校のときに会っていたら恋に落ちていたかもしれない。でも、今はさすがに――さすがに、自分とは住む世界が違いすぎて「尊み」しかない。人との会話が苦手な僕としては、由美さんにかかわらず、女子とお近づきになるきっかけもないんだけど。

 高校時代、ずっとコンピュータ部の仲間とだけ付き合ってきたせいもあるのかもしれない。せっかくの共学だったんだから、少しは女の子と話す努力をしておけばよかったかなあ、と後悔する。

 まあ、それでも由美さんのような人が無理だってことは分かるけどさ。


「よう、由美、午後講義ねぇの」


 由美さんにさわやかに話しかけたのは慎吾。由美さんと同じテニスサークルで、長身細マッチョ、鼻筋の通った美形、その上さわやかで快活な性格。

 当然、おモテになる。

 伸吾はきわめて自然に由美さんの隣に座った。由美さんはそうだ、と思い出したように伸吾に話しかけた。


「ねえ、慎吾くんってパソコン詳しい?」

「ま、人並み程度にはね。どうしたの?」

「実はプロバイダからお知らせが届いたんだけど、どうすればいいかよくわかんなくって――。プロバイダの設定変更って簡単なの?」

「ん?」


 慎吾が聞き返す。


「なんか、それやんないと使えなくなるんだって」

「え、えっと……」


 慎吾は少し焦ったように目線を逸らした。きっとよくわかんないんだろう。なんの設定変更かな。僕なら多分、分かると思うけど――でも、ここで話しかけるのも変だよね、きっと。


「あ、はは、そういうネットワークのことはよくわかんないんだ。えーと、あ、寺本ぉ、ちょうどいいところにいた。おまえさ、コンピュータ詳しいよな」

「え、あ、ええ、うん」


 急に振られて慌てて答える。


「ちょっと由美を手伝ってやってくんね?」

「えー」


 小声で不服そうな声を出す由美さん。分かってはいたけど、ちょっとショック。


「大丈夫だって。俺もいっしょに行くから、な」


 由美さんは軽くウインクする慎吾に頬を赤らめた。


     *


 由美さんの部屋はワンルームマンションで、大人っぽいシックな雰囲気でまとめられていた。でも、ぬいぐるみとか、キャラクターもののマグカップとか、ところどころに女の子っぽいものがあるところが可愛い。

 僕はテーブルの上に置いたノートパソコンの設定を変更していた。僕の後ろにはベッドに並んで腰掛け、楽しそうに談笑する由美さんと慎吾がいる。


「……はさ、……なんだってよ」

「ほんとに? やだあ」


 僕に聞こえないように小さな声でしゃべる二人の距離が近くなる。

 後ろから衣擦れの音が聞こえるたびに、僕は昏い気持ちになる。世界が違うのは分かっていたけど、見せつけられるのは辛い。どんな形であれ、由美さんの部屋に入れる、とちょっと喜んだ過去の自分を殴りたい。

 設定が終わったらさっさと帰ろう。

 ルート証明書のインストールを終えると、僕は立ち上がった。


「あの……設定、終わったから」

「おう、ありがと」

「ありがとう、寺本くん」

「う、うん……」


 それでも由美さんに話しかけられるとうれしい。そして沈黙。


「まだなにかあるのか?」

「い、いや、終わりだけど……」


 威圧するような慎吾の声に、僕は慌てて帰り支度をする。部屋を出た途端にカチリと鍵がかかる音が聞こえた。


     *


 それから一週間後の夕方。

 僕は由美さんの家の近くの公園に呼び出された。

 公園に着くと、そこには怒りの形相の伸吾と、汚らわしいものを見るかのような視線を向ける由美さんがいた。


「ど、どうしたの」

「寺本ォ、おまえただのオタクだと思ってたら、最低のクズ野郎だったんだな」

「なんの……こと?」

「とぼけるな!」


 慎吾が僕の胸ぐらをつかむ。


「由美の部屋でパソコンの設定をしたとき、おまえ、偽ネームサーバを設定しただろ。もうばれてるんだよ」

「え、え?」


 伸吾は僕を睨み付けたまま、なにがあったのかを話し始めた。


 由美さんが最初に気がついた異変はMIXIの最終ログイン時刻だった。

 明らかに不在だった時間帯にログインしたことになっている。

 次にGmail。既読になっていたメールがすっと未読に戻った。中身を確認すると未読のはずのメールだった。まるで誰かが中身を読んで、その後に未読に戻したかのようだった。

 誰かが自分のアカウントでログインしているのではないか――。他のサービスは大丈夫だろうか。由美さんはDropboxのサイトにアクセスし、セキュリティタブを開いた。

 そこには決定的な証拠が表示されていた。現在のログイン状況に2台のPCが表示されていたのだ。


「由美が不正アクセスされてるかもっていうから調べてみたら、まるで知らないネームサーバが設定されていた。おまえは自分のしかけたネームサーバを使って、どのサイトにアクセスしても自分の盗聴用サーバを経由するようにしたんだ。そうやって由美のパスワードを盗んだ、そうだろ」

「そ、そんなこと僕してないよ」

「嘘をつくな!設定をしたのはおまえだろうが!」

「ちょっと待ちなさいよ!」


 突然の声に振り返る二人。そこにいたのはツインテールの美少女だった。


「え、だれ?」

「お兄ちゃんがそんなことするわけないわ!」

「ミカ……」


 僕のつぶやきに伸吾が意外そうな顔をする。


「お兄ちゃん? 寺本の妹? あー、俺たちちょっと難しい話してるから、後にしてもらえるかな」


 さすがに妹の前で兄を罵倒することに気が引けたのか、伸吾が取り繕うように言う。


「そのネームサーバがお兄ちゃんのサーバだという証拠はあるの?」


 ミカの口から出た意外な単語に、伸吾は一瞬、ぎょっとした表情を浮かべたけれど、仕方ない、というように肩をすくめて見せた。


「だって、俺たちは君のお兄ちゃんが設定しているのを見ているんだよ。ネームサーバ自体は他の誰かのサーバを不正利用しているものかもしれないけど」

「お兄ちゃんは通知書に書いてあるとおりに設定しただけよ!」

「ありえないよ。それじゃプロバイダが犯人ってことになるじゃないか」


 苦笑しながら伸吾が言う。だがミカも負けてはいない。


「その通知書が本当にプロバイダから送られてきたものならね」

「偽造だとでもいうの?」

「へえ、栄養がぜんぶおっぱいと顔に行ってるかと思ったら、少しは頭の方にも回ってるのね。男に媚びを売る以外にも頭が使えるなんて驚きだわ」

「わーわーわー!」


 ミカの言葉が聞こえないようにわめいたけど無駄だった。由美さんは眉間に皺を寄せてミカを睨み付ける。


「いっしょに入ってたパンフレットとか、とても偽造したものとは思えなかったわ」

「じゃ、それは本物なんでしょ。窓付封筒で料金後納郵便なら再利用は簡単。宛名の入った通知書だけ印刷し直して、直接郵便受けに入れればそれでOKだもん。パンフレットが本物だから通知書も本物だなんて、ほんとおっぱいが大きい女の頭はおめでたいわね」


 ミカの言葉に、由美さんは目を大きく見開いた。


「まさか……いったい誰がそんなことを」

「そもそも犯人はあんたが自分で設定することを想定していた。そうすれば自分はいっさいパソコンに触ることもなく、思ったとおりに設定を変更できるからね。でも、あんたはちょっと顔立ちが整っていておっぱいが大きいからって甘ったれた猫なで声で言えば誰でも自分の思い通りになるなんて思ってるビッチの」

「ご、ごめんなさい由美さん。こいつ、特定部位のコンプレックスが強くって」


 途中から由美さんへの罵詈雑言でしかなくなったミカを慌てて止める。


「ともかくっ! あんたは自分でやろうとはせずに、あろうことか犯人その人に設定変更を依頼した。自分に頼まれるとは思っていなかった犯人は、慌ててその場にいた別の人――お兄ちゃんにやらせたのね。自分が設定したら、犯人であることがバレバレだもんね」

「それこそ言いがかりだ! なんの証拠があるんだ」


 ミカの言葉が終わらないうちに伸吾が叫ぶ。


「その通知書が証拠になるじゃない」

「通知書? フッ……」


 慎吾の口元にかすかな笑みが浮かぶ。


「そうだな。由美、その封筒を持ってきてくれよ。それを見れば寺本が通知書どおりに設定したのかどうかがわかる」


 伸吾に言われて踵を返そうとした由美さんを、ミカが制する。


「そっちじゃなくて、その鞄の中に入っている方よ。どうせさっきすり替えて回収してからお兄ちゃんを呼び出したんでしょ。いつまでも証拠を残しておくほどあんたもバカじゃないでしょうし」


 ミカが伸吾の持っている鞄を指さすと、伸吾は反射的に鞄を抱きかかえた。

 その仕草に由美さんが「うそ……」と、おびえたような視線を向ける。


「第一、『ネットワークには詳しくない』とか言ってたくせにずいぶんと詳しそうじゃないの」

「い、いや違うんだ由美、これはその」

「いや……近寄らないで」


 ずりっと後退し、走り去る由美さん。そしてそれを追う伸吾。


「ありがとう、ミカ……」


 二人の姿が見えなくなってから、僕はミカに礼を言う。


「ったく、しっかりしてよお兄ちゃん。せめて、ルート証明書をインストールするところで変だと気づいてよ」

「お前も……兄ちゃんのストーカーいい加減やめろよな……」

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