紙とペンと、文学と。

西藤有染

紙とペンと、文学と

 パソコン、スマホ、タブレット。様々な電子端末がこの世に登場してきた事は、実に素晴らしい事だと思う。正確には、それらを用いてアクセスできるインターネットが素晴らしいのだ。ネット上に保存することで、環境さえあれば、いついかなる場所からでも情報を得る事ができる。わざわざ紙を持ち歩かなくても済むのだ。


 紙は嫌いだ。量が多いと嵩張る。ファイルなどで挟んでおかないとよれる。すぐに破れる。水に濡れると字が読めなくなる。筆記用具を用意しなければ記録が出来ない。硬く平らなものの上でしか書けない。環境破壊に繋がる。少し考えただけでもこれだけの欠点が挙げられる程に、記録媒体としては問題が多過ぎる。電子化が進んだ今となっては、非効率の権化でしか無い。


 だから、今時にもなって紙とペンで原稿を書き続けているあいつの事も嫌いだった。大学の文芸サークルで知り合ったあいつは、周りが電子機器を使って作品を書き上げる中で、頑なに手書きに拘り続けていた。原稿用紙や筆記用具は消耗品で、一々金が掛かる上に、修正や推敲がし辛い。どうしてそんな非効率的なものに執着するのかと聞くと、彼はこう答えた。


「パソコンとかだと、確かに修正はやりやすいけど、どこをどう直したのか分からないでしょ? でも手書きだったら、自分がどう間違えながら、どう考えてこの形に辿り着いたのか、あとから見直したら分かる。そういう風に途中経過が見れるのって、大事だと思うんだよ」


 例え自分がどれだけ悩んだとしても、結局人に見せるのは完成したものだけだろうに、そんな所に拘っているのは非効率的だ。


「それに、物語を書くとは言うけど、打つとは言わないよね? 文学を志す者として、言葉には従うべきだと思うんだ」


 文章を打つと言うだろう。それに、言葉はあくまでただの道具だ。使うものであって従うものではない。そんな非科学的な所に対しても苛立ちを覚えた。

 だから、最初告白された時も断った。そんな非効率的な奴とは付き合い切れない。第一、長く付き合う事になるであろう相手を、一目見た雰囲気で決めるなんてどうかしている。お互いに得るものがある訳でもないのにパートナーになるのは無意味だ。そうはっきりと言ってやったら、何故か笑われた。無性に腹がたった。


 しかし、効率を求める私の作品よりも、彼の作品の方が、周りからの評価が高かった。サークルでも、褒められるのはいつも彼の作品ばかり。文学賞に応募しても、私はいつも中間選考止まりなのに対して、彼の作品は何度も最終選考まで残った。最終的に彼は卒業前に賞を受賞し、作家としてデビューする事となった。本の出版が決まったからと告白して来た時には、私への当てつけか嫌がらせの間違いだと思った。勿論断ってやった。


 卒業後、私は会社に就職し、仕事の傍ら賞への応募を続けた一方で、彼は作家として本格的に活動し始めた。とは言え、無名の新人作家が印税だけで生活できるわけが無い。当然、生計を立てる為にバイトをする必要があった。しかし、非効率性の塊である彼が、両立など出来る筈が無かった。


 想像通り、あいつは過労で倒れた。彼の利き手は酷い腱鞘炎を発症し、ペンを持つ形で固まってしまっていた。効率を追求しないからそんな事になるんだ。入院先に行って、そう言ってやったら、君が側にいてくれないと駄目だと、また告白された。それを聞いて、腸が煮えくり返った。

 必要なのは私の存在では無くて、私が働いて得た給料と、私がいる事で得られる執筆に集中できる空間と時間だろう。はっきりとそう言え。婉曲的なのは作品の中だけで十分だ。現時点ではこちらが得られるものなど何も無いが、いつか私以上に稼ぐ大作家になれ。そうなるまで、私が側にいてやる。

 そう捲し立ててやったら、あいつは、それでいいよ、これからよろしく、と笑いながら答えた。

 それから私は彼の専属マネージャーとなった。


 マネージャーとなったからには、彼をより合理的に、効率的に仕立て上げなければならない。そう考え、手始めに彼から紙とペンを取り上げた。腱鞘炎の影響で、そもそもペンを握って書けるような状態では無かったのだ。医者の見立てでは、完治するまでに1ヶ月以上は掛かるとの事だった。その間執筆作業ができないのは、新人作家として致命的である。だから、代わりにノートパソコンとタブレット端末を用意した。これであれば、速度は落ちるが、片手だけでも執筆が可能になる。しかし、いざそれらの機器を前にしても、彼の手は殆ど動かなかった。話が、文章が、言葉が、何一つ思いつかないと言っていた。彼はショックを受け、落ち込んでしまった。


 僕の作品が評価されていたのは、きっと紙とペンに愛されていたからなんだよ。ペンを使えなくなってしまった事で、彼女たちに見放されてしまったから、僕は物語を書けなくなってしまったんだ。


 そう弱々しく呟く彼の姿に苛立ったので、その唇を乱暴に奪ってやった。


 ちょっと書けなくなったからって落ち込むな。これから先そんな事はいくらでもある。作品を創り出せることや、それが評価されることに愛は関係無い。そもそも、紙やペンに意識なんて無いから愛する事はできないし、そんなに愛がほしいなら私がこれからくれてやる。だから、間違っても私以外のものを女性に見立てるな。


 暫くの間、私以外の事を何も考えられなくなる程に、彼を乱暴に愛してやった。

 結局、ペンを握れない間は少しも執筆作業が進まなかったが、たまには休止も必要だろう。必要経費だと思う事にした。


 2ヶ月近く経って、ようやく腱鞘炎が完治したので、彼に紙とペンを渡した。すると彼はおもむろに原稿用紙に文字を書き始めた。あれ程進まなかった執筆作業が嘘だったかのように、紙が文字で埋まっていく。何度も書き損じて、その度に修正テープやら2重線やらが増えていく。酷く非効率でどう見ても汚いその原稿用紙は、何故だか美しく見えた。これが、文学というものなのだろう。


 効率なんて、後回しでも良いのかもしれない。そう思えた。

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紙とペンと、文学と。 西藤有染 @Argentina_saito

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