指をさして面白がるな

花岡 柊

指をさして面白がるな

 いつだってそうなんだ。どうして、いつも俺の城で――――。


 一人暮らしの1DKの狭いアパートは、俺の城だ。築年数が二十年だろうが、時折黒く素早い影が、部屋のどこかでカサカサと音を立てようが、薄い壁のせいで隣からギターをかき鳴らす音が響いてこようが。ここはれっきとした俺の、俺のためだけの城なんだ。


 六畳の部屋は、意外にも陽当たりのいい南向きだ。部屋の真ん中には炬燵を配置し。今日の俺は、窓を背にしてその炬燵に入り座っている。俺の右手側には小ぶりのテレビラックが壁に沿って置かれ、その上に乗った32型の液晶テレビが正月番組を延々と垂れ流している。炬燵の上には、今年も一年よく頑張ったと自分へのご褒美のように、年末スーパーの特売で買ったみかんがいくつかバラバラと置かれていた。

「ねぇねぇ、みかん美味しいね」

 俺の真向かいに座った彼女が、玄関側を背にしてみかんの白い筋を丁寧に取り除きながら、一粒ずつ可愛らしい口へと運んでいる。

 コーラルピンクというのだろうか。とにかく控えめな色をしたピンク色のカーディガンを羽織った彼女は、先ほどからずっとみかんを食べ続けていた。彼女とテレビの間くらいに置かれた小さなゴミ箱の中には、みかんの皮がこんもりと盛り上がり捨てられている。

 俺の貴重なビタミン補給品が……。

「食いすぎだろ」

「だってー、美味しいんだもん」

 彼女は本当に美味しいという顔して、俺に向かって小首をかしげると、「ねぇ」などと同意を求めるような笑みを見せる。悔しいが、とても可愛らしい。

「俺も一個食う」

 先ほどまでゴロゴロと寝転がっていた体を起こし、まだテーブルに残るみかんに手を伸ばした。彼女とは違い、白い筋など気にすることもなく、パクパクとみかんを口へと運ぶ。

「マジ、うめぇ。このみかん、ちょー甘いじゃん」

「でしょー、でしょー」

 彼女は、まるでそのみかんをスーパーで選び買いもとめたのは自分だというように得意気な表情をすると、また次のみかんへ手を伸ばした。

「しっかし、みかんばっかじゃ飽きるな。冷蔵庫からビールと、なんか摘まみ持ってきてよ」

 みかんを頬張っていた彼女は、文句も言わずに温かい炬燵から出ると、ツードアの小さな冷蔵庫を当たり前のようにして開けて中をのぞいた。テレビでは、芸人が漫才を始めていた。

「このコンビ、面白いよね」

 彼女がテレビに向かって指をさし、冷蔵庫のドアを開けたまま漫才のネタを見てキャラキャラと笑う。

「ドア、ドアッ」

 俺は、早く閉めてとばかりに彼女へ言ったのだけれど、当の本人は、「ああ」と軽く言っただけで、そのまま冷蔵庫の中を鼻歌交じりに物色し始めた。

 冷蔵庫の中には、大したものなど入っていない。調味料が少しと、飲みかけの一リットルパックの牛乳がドア側に収まり。缶ビールが十日分ほどと、あとは加工品くらいのものだ。

 彼女は長らく開けっ放しにしていた冷蔵庫の中から、言われた通りに缶ビールを取り出し、摘まみになるだろう十枚入りのスライスチーズと魚肉ソーセージを取り出した。ちなみに、そのスライスチーズは、俺が朝食の際、食パンにのせてトースターで焼いて食べるために買い置いてあったものだった。

 彼女は、炬燵テーブルにそのスライスチーズと魚肉ソーセージ。それから、冷えた缶ビールを置き、満面の笑顔を添えて一本を俺にも手渡す。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがと」

 彼女の笑顔につられて、つい頬が緩んでしまった。

 ニヘラっとした笑いと共に礼を言ってから、いやいや待て待て。俺が買っておいた缶ビールなのだから、礼を言うのはおかしな話じゃないかと、慌ててだらしのない笑みを引っ込めた。そんな気持ちを悟ったように、彼女は俺を真正面から見据えて、ケチケチしちゃだめだよ、とばかりに可愛らしく顔を顰めてみせる。そんな顔でも、やっぱり可愛いのだから悔しくなる。

「うっし。飲むか」

 号令のような掛け声に缶ビールのプルタブを開けると、炭酸が勢いよく噴き出す音を立てた。彼女が缶ビールに缶ビールをぶつけて「カンパーイ」とニコニコ顔をする。この笑顔も、やはり可愛い。

「魚肉ソーセージって日持ちするし、なんもない時のつまみになるから便利だよな」

 もっともらしく言うと、早速口にして咀嚼し、それをビールで流し込む。

「ねぇねぇ。これさ、スライスチーズで巻いて食べたら、ちょっと豪華じゃない?」

 あまりに食料のない、この貧乏学生の部屋で見つけた唯一の豪華な食べ方を発見したとばかりに、彼女は意気揚々とそのための作業に取り掛かる。

 自分の発案に瞳をキラッキラと輝かせる彼女だけれど、そんな贅沢な食べ方などしないでもらいたい。ケチだと思われるかもしれないが、俺はただの貧乏大学生だ。冷蔵庫の中の缶ビールだって、一日一本と決めているし、スライスチーズだって、一日一枚と節約しているんだ。そもそも、その魚肉ソーセージだって、金欠になった際の非常食用に買い置いていたものだったのに……。

 そんな風に日々節約に勤しみ、なるべく贅沢をしないように暮らしてきた俺の目の前で、彼女は遠慮の欠片もなく魚肉ソーセージの赤いセロファンを上手に剥くと、スライスチーズを巻き付けてパクリと一口頬張った。

 少し半開きにしながら齧り付くその口元が、ちょっとだけエッチだ……。

 彼女の仕草に反応して、俺の目がだらしなく垂れさがる。

「何見てんのぉ~」

 口をモゴモゴさせながら、彼女がニタニタとした顔を俺に向けてくる。まるで俺の胸の内など、丸ッとお見通しだと言わんばかりだ。

「べっ、別に」

 俺はエッチな妄想を悟られるのが嫌で、目の前の缶ビールに手を伸ばし、喉を鳴らして飲んだ。炭酸が沁みる。

「ムッツリだ」

 呟いた言葉に、彼女が可笑しそうにクスクスと口元を歪めるから、俺は恥ずかしくてならない。

「それにしても、邪道な食い方だなぁ」

 羞恥に赤く染まる顔をスルーし、彼女の食べ方に因縁をつける。

「何よ。本当は、自分もやってみたいんでしょ?」

 彼女は、ふふなんて可愛らしい声を漏らすと、突然チュッと音を立て唇に唇を重ねた。それは、ほんの一瞬の出来事だった。しかし、俺の顔は瞬時に赤く染まり、缶ビールを握る手に力が入る。

「信ちゃん。見過ぎ。刺激が強すぎた?」

 彼女がほんのちょっとだけ恥ずかしそうな顔を俺へと向けてくるから、慌てて視線を逸らし、テレビで大声を張り上げながらネタを披露している芸人を観て「ははっ……」と渇いた笑いを零した。

「あゆみが可愛いから、しょうがないだろ」

 突然したキスの理由が可愛いからだなんて、真っ当過ぎる答えだ。しかし、やっぱり悔しいが、彼女はとても可愛いのだ。

 それにしてもさっきからなんなんだ、この自由さ加減はっ。正月早々にやって来たかと思ったら、貧乏学生の俺の部屋で、みかんだの缶ビールだのスライスチーズに魚肉ソーセージだの。

 そもそも社会人なのだから、手土産の一つくらい持って訪ねてくるべきではないのか。こんな貧乏学生にたかるような真似をして、年上なのに恥ずかしくないのか。

 大体、こんな小さい炬燵の中に、自分以外の足があるというのが落ち着かない。何故に実家へ行かずにここへ来たのか。

 何の遠慮も気づかいもなく、俺の左隣で缶ビールを飲む輩を睨みつけた。すると目の前の彼女が言うんだ。

「もう。信ちゃん、怖い目しないの。折角のイケメンが台無しだよ」

 小首をかしげながら、彼女は自分の右隣に向かって、「ねぇ」と同意を求めている。

「こいつは、昔っからこうなんだよ。俺に対抗意識燃やしてんの」

 勝ち誇ったような顔を向けてくる奴に、悔しさが込み上げる。

「うっせー。大体、人んちに突然やって来て、何イチャコラしてんだよっ」

 缶ビールを握りしめ、テレビから漏れる芸人のネタになど負けないくらいの声を張り上げる。

「声がでかいって。信二が寂しいと思って、来てやってんのに。なぁ、あゆみ」

 彼女が同意するように、うんうんと頷きを返している。さっきから俺の隣でみかんを食い、テレビに声を上げて笑い、遠慮の欠片もなく缶ビールを飲んでいるのは、兄貴の健一だ。

「あっ。信二、お前。俺たちのこと、羨ましいんだろぉ~」

 兄貴はニヤニヤと得意気な顔をすると、恋人であるあゆみちゃんの体をグイッと引き寄せ、わざと俺の方を見ながらまたキスをした。今度は、ちょっと長い……。う、羨ましい……、じゃなくてっ。見せつけるなっ。

「だからっ。俺の部屋でイチャコラすんなって」

 顔を紅潮させて言い返す俺を、二人は面白そうに見てニヤニヤしている。

「羨ましいくせにーー」

 楽しそうな笑みを貼り付けた兄貴とあゆみちゃんが、人差し指を俺へと同時に向けて豪快に笑う。

「二人で指をさすなーーー!!」

 正月早々俺の城にやって来た兄貴とその彼女のあゆみちゃんは、どんな正月番組よりも面白いと言いながら、その後俺をひたすらにからかい続けた。

 くっそー。俺だっていつか兄貴の前でイチャコラしてやるからなっ。あゆみちゃんより可愛い彼女、作っちゃうかんなー。

 そんな俺のラブは、まだ微塵も目の前に現れていない。

 なので、まだしばらくは二人のイチャイチャぶりを、この俺の城で見せつけられる日々が続くのだろう――――。ちっ。

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