ギロチンの恋

koumoto

ギロチンの恋

 彼女の手が紐から離されれば、ぼくの首は断ち切られる。彼女の気分を損ねれば、ぼくの頭は旅に出る。それが断頭台の論理。それがギロチンの簡潔さ。

「まあ、待ってくれないかな……。こんなときに言うのもなんだけど、ぼくはきみが好きなんだよ」

 ギロチンの刃の下に首を据え置いているぼくは、最後のあがきに打って出る。といっても、これは本心だった。ぼくは彼女が子どもの頃からずっと好きだった。どす黒い血族に咲く一輪のゆかしい花が。

「わたしの父親を殺しておいて?」

 彼女は凍てついた声音で答える。なんてこった。不屈の恋情がくじけそうだ。だが幸いにも、彼女をいつも取り巻いている近衛兵たちはいない。ぼくをギロチンの刃の下に仰向けに固定すると、そそくさと立ち去っていった。彼女の意向によって、廃公園の刑場からは人払いがなされ、静かなそよ風だけが空気をざわめかせ、彼女の髪を揺らしている。なんて美しい。

 ふたりきりの、ときめかざるを得ない状況。心臓はバクバクだ。差し迫った死と恋が、胸を仮借なく責め立てる。人生でいま、いちばん胸が高鳴っている。なんという幸福。

「ボルダノン首長は、腐れ果てた独裁者だったからね。不正と賄賂の横行。民衆への抑圧。何千人もの聖なる反逆者が粛清された。だが悪は最後には滅ぶものだ。きみの父親は、死ぬべくして死んだんだよ」

「そう。なら、人を殺したあなたも、死ぬべくして死ぬのね」

 おっと、これは危ない。彼女の手がいまにもギロチンの刃を解き放ちそうだ。腐れ外道の独裁者などどうでもいいが、彼女の機嫌を損ねるのはまずい。

「いや、でも、思い返してみれば、あのおじさんにも愛すべき点はあったかな……。年齢のわりに、加齢臭はきつくなかったし……。至近距離から刺殺したぼくが言うんだから、それだけは間違いないよ」

「わたし、あの人の臭い嫌いだったな……。女の香水の残り香をぷんぷんさせて」

「――というのは、まったくの嘘でね。ちょっと死者に気を使いすぎたかな。実際は、ヘドロにまみれた蛙の死体みたいな臭いだったよ。鼻がひん曲がりそうだった。行いはやはり器を穢すものなんだね。それに比べると、きみは薔薇のように優美で馥郁ふくいくたる香り……。きみの清廉な人柄が伝わってくる」

「さっきお風呂に入ったからじゃない?」

 そう言いながらも、彼女はまんざらでもなさそうだ。ぽっと頬を赤く染めたりしている。これはひょっとして脈ありか?

「幼なじみのよしみで言うけれど。見逃してくれないかな? いまやきみが最高権力者なわけだし。何人なんぴともきみの思うがままだ。きみが口利きしてくれれば、ぼくは赦免される」

「うーん……どうしよっかな……」

 彼女は上の空のようなぼんやりした表情で、紐を掴む手が汗ばんできたのか、右手から左手に紐を持ちかえた。ひやひやする。彼女の双手にぼくの生死はかかっている。

「ぼくがきみのお父さんを殺したのは、きみが好きだからだよ。きみを解放したかったんだ。本当は、不正も粛清も悪も正義も、どうでもいいんだ。すべてはきみのため、きみへの尽きせぬ恋心のため。きみのためならなんでもする。きみのためなら死ねる」

「素敵。じゃあ、死んで」

「……まあ、でも、いまじゃないかなー、というか……何事もタイミングというものはあるわけだし……こんなに晴れた青空の日に死ぬのもみっともないし……もっときみと話していたいわけだし……」

「そうね。わたしも、あなたと話すのは好きよ」

 なんてありがたい言葉だろう。なんてかわいらしい声だろう。きっと生涯忘れることはないだろう。あと数秒で終わるかもしれない、ぼくの生涯。でもまあ、これなら死ぬとしても御の字だ。ハッピーエンド。めでたしめでたし。

「じゃあ、いつかわたしも殺してくれる?」

 彼女は不様に横たわるぼくを見下ろしながら、試すように言う。

「それは無理かな。でも……」

「だったらダメ。死んで」

 彼女は紐をぱっと離した。

 しゃーーーーーーーー、っと刃の落下する音が迫る。グッドバイ、ぼくの人生。

 と、ぼくの首を断ち切る寸前で、ギロチンの刃は止まっていた。

 紐を持ち直した彼女は、くすくすと笑っていた。なんて素敵な笑顔だろう。愛おし過ぎて死にたくなる。

「“でも”、なあに? なんて言おうとしたの?」

「………………でも、きみが死ぬときは、一緒に死ぬよ」

「ふうん。そんなのはどうでもいいけど。殺してはくれないんだ?」

「残念ながらね」

 そんなことはぼくには不可能だ。腐れ外道をぶち殺すのはためらわなかったのに、腐れ外道の娘である、性根の腐った彼女を殺すのは、どう考えてもぼくには無理だ。子どもの頃から気になっていた、その茫洋とした投げやりな眼を見捨てるのは無理だ。惚れたが悪いか。

「ま、でもいいや。生かしといてあげる」

 彼女はそう言って、にっこりと笑う。

「いつか必ず、一緒に死んでよね」


 そんなわけで、ぼくはギロチンから命からがら逃れることができた。ついでに言い添えると、彼女と結婚した。逆玉の輿ってやつだ。いぇーい。これで彼女とぼくのやりたい放題、気に入らないやつも粛清し放題だ。まあ、暗殺されない限りは。

 人生ってやっぱり最後まで諦めないのが肝心だね。たとえギロチンにかけられる寸前でも、諦めなければなんとかなる。なせばなる。夢は叶う。少年よ、大志を抱け。

 以上が、ぼくの初恋の経緯である。

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