扉を開ける方法
私誰 待文
扉を開ける方法
レンタルビデオ店から数本ばかり作品を借りてきた
「蒸すなぁ……」
思わず呟きが漏れ出てしまう七月上旬の夕暮れ時だった。蝉はまだ、岩野の暮らすこの町では鳴いていなかったが、夏のうだるような蒸し暑さはすでに到来していた。
例の家には、いつもより一分早く到着した。クリーム色の外壁をした一戸建てだ。隣家や斜向かいに同じような見た目の家が立ち並んでいる。岩野は慣れた手順でインターホンを押す。
「こんにちは。岩野です」
『あぁ、岩野君ね。いつもご苦労様』
緩やかな声がスピーカー越しに伝わり、数秒後に家のドアが開く。
出てきたのは年頃の子供がいるとは思えないほど、若々しい外見の女性だった。
「ごめんなさいね、いつも迷惑かけちゃって」
「いえ、迷惑だなんてそんなこと」
女性に導かれて、岩野は家の中へ入る。相変わらず広い玄関だな、と岩野は入るたびに思ってしまう。もっとも、これは岩野家と比較したらの場合であり、この辺りの家々の玄関構造は、概ね同じ作りである。
「お茶していかない? 会社の親戚さんがいい紅茶のバッグくれたの」
「へぇ、じゃあ、ご厚意に甘えて」
そう岩野が答えると、二人はいつもと違ってリビングの方へ向かっていった。
「おいしいですね、これ」
「本当? よかった、気に入ってもらえて」
広々としたリビング。ソファに深く腰を下ろして岩野は、紅茶をたしなんでいた。
この家のリビングに迎えられたことはあまりなかったこともあり、岩野は物珍しそうに周りに目を向ける。ダークブラウンの木枠が嵌められたガラステーブル。天井に埋め込まれた照明。どこで買ったのか分からない小物が綺麗に並べられた棚。
岩野家の二倍はありそうなテレビ。庭先が見渡せる大きなガラス窓。その他色々。
「何か気になるの?」
「えっ、あ、いえ。モデルルームみたいだなって」
「ふふっ、ありがとう」
誉め言葉か皮肉か判別できない言葉を受け取る。
「ところで」
女性が岩野に話しかける。先ほどとは変わった、神妙なトーンで。
「
「話す気力はあるみたいです。昨日も滞りなく会話できましたし」
「そう……。今日もご飯はちゃんと食べてくれたし、栄養面は大丈夫なんだけど……」
~ ~ ~ ~ ~
岩野とは中学二年度からの付き合いであり、中学は二年・三年、高校も共に同じ公立高校へと進学し、そこでも一年・二年と同クラスとなる仲である。
何がきっかけで知り合ったかは互いに覚えていなかった。課外活動でたまたま同じグループになったことか、アニメの趣味が一致し気が合ったことか、はたまたクラス内で流されるように二人が図書委員に任命されたことか。
そんな風に二人が顔を合わせる時間がだんだん増えてゆき、いつしか二人は親友関係を築いていた。
そうして二人が同じ高校へ進学し、一年度を恙なく過ごしていた、とある十月。
岩野たちが通う高校で、文化祭が開催された。文化祭自体は大きな事件もなく無事に幕を閉じた。が、問題はその後に起こった。
文化祭の熱気に当てられた男女合わせて数名の生徒が、度を越したパフォーマンスを廊下で披露してしまったのだ。その危険行為はスマートフォンのカメラに撮影され、SNSに投稿・拡散された。
その動画には、芸を披露しているメインの男子生徒二名、行為を囃し立てる女生徒三名、そして、カメラに映ってしまった、関係のない男女の生徒数名。その無関係の生徒の中に、意図せず光は映ってしまった。
例の危険行為動画はその後、内容を面白がった数人によって動画サイトに転載され、一気に大多数のユーザーの嘲笑と悦楽の的となった。さらに、動画内に高校の制服が映っていたことにより、撮影された高校が特定。あらゆる方法で動画及び映り込んだ生徒は、暇つぶしの玩具のように扱われた。
後日、目立った行為をした男子生徒二名、囃し立てた女生徒三名、撮影者は厳重注意を受け、年度を過ぎた現在でさえも、マスクなどで顔を隠している。
天戸はその動画を偶然閲覧してしまった。そして、動画を元に展開されたあらゆる事態を知ってしまった。人前に出ることがもとより苦手な天戸にとって、偶然映った自分の肖像が、面白がられ弄ばれることは、ある意味死よりも恐ろしいことだった。
天戸は、SNS含む一切の情報源を絶った。
それ以来、天戸は自室に引きこもるようになった。幸い、生活態度や試験成績に関してはそこそこ良かったので、学年主任や学校長の恩情により進級はできたものの、二学年になっても、天戸は一回も登校することはなかった。
~ ~ ~ ~ ~
「それじゃあ、そろそろ行ってきます」
「ごめんなさいね、苦労かけちゃって」
「いえ、好きでやっていることですから」
岩野は光の母にそう返すと、レンタルビデオを携えて、階段を上り始めた。
岩野はアルバイトの休日の日に、必ず天戸家を訪ねていた。
天戸が引きこもってからというもの、光は両親とも会話することを絶っていた。最低限の食事は摂るものの、それ以外は外との接触を拒んだ。彼女の娯楽は紙の書籍と映画が主だった。
天戸が引きこもってから数週間経ったある日、岩野は久しぶりに天戸家を訪ねた。最初は、溜まった課題と、自分のアルバイト先が決まったことの報告をする予定だった。正直、中学からの
結果からすると、天戸家内にはすんなり迎えられた。階段を上り二階の廊下の突き当りの部屋。そこが光の部屋だった。
ドアには鍵がかかっていたが、下部にペットドアが施工されていた。そこから課題を渡してそれとはなしに様子を聞くと、ドア越しではあるが彼女はしっかりと会話をしてくれた。そこから、空白期間を埋めるように二人は談話し、最後に岩野が要望を聞くと、天戸は映画を要求した。彼女の気持ちが軽くなるならと、岩それからというもの、彼はレンタルビデオ店で映像作品や書籍を購入しては彼女に渡していた。
・ ・ ・
「天戸ー。頼まれてたやつ借りてきたぞー」
ドア越しに彼女へ声をかける。すると、間髪をいれずに声が返ってくる。
「岩くんキターー! 下から渡して!」
とドアから威勢のいい声。岩野は借りてきたビデオをペットドアから受け渡す。
「にしても変だよねー。ペット用の扉なのに、今じゃ物々の受け渡し口になってるの。海外の刑務所かよって」
「でもちょっと前に逃げ出したんだろ? 丸々っとした三毛猫だっけ」
「そー、元々ママが子猫をママ友から受け取ってきて。えのぐのやつ、今はどーこほっつき歩いてんだろね」
“えのぐ”は以前、天戸家で飼っていた三毛猫である。去年の時点で二歳になっていたえのぐは、今年の四月上旬に、天戸家を脱走し、以来帰ってきていない。
「おー、頼んでたやつ。あったんだ!」
「取り置きしてもらったんだよ。あそこの店長は事情知ってるからさ」
「ありがとー。申し訳ないね」
固いドアから彼女の弾んだ声が聞こえる。
「そういえば天戸」
「なにー?」
「『はれバレ』の二期が始まったな」
「……えっ? え、え、え!? マジ!? ホント!? なんで!?」
ちなみに『はれバレ』は『彼女は出遅れバレット!』という深夜アニメの略称で、第一期は岩野と天戸が知り合った約三年前の春に放送されていた。今年の二月、二期の放送が電撃発表され、ネット中が沸き立った。二人はこのアニメの熱烈なファンであり、二人が知り合ったきっかけの一つでもある。
「なんで!? ラフル役の声優が不祥事で捕まって、二期はもうないものだと思ってたのに!?」
ラフルは『はれバレ』の主人公である。
「ラフルは『はれバレ』ファンの新人声優がやってる。正直、一期よりもいい演技してるぞ」
「ガンアクションの作画は? 一期の時点で完成されてたけど」
「いぃや、優に超えてるね、二期は」
「うえぇぇ、知らなかった……」
無理はない。全てのSNSを絶っている彼女は、今年に入ってからの情報を一切知らない。映画なども、DVDプレーヤーを使って鑑賞するので、最新のアニメを見ることはできていない。
「そんで、今年の八月中旬」
「今年のコミッ」
「そこで『はれバレ』作画集が頒布される。しかも、当日は声優が直筆サインを書いてくれるぞ!」
「……うぅぅぅぅぅぅぅえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええ!?」
「一期の全12話分プラス二期のイベントまでの放送分の作画が!」
「はぁーーーー。マジかぁぁぁぁ……」
彼女の反応をみて、岩野は今日言おうとしていた本題を切り出した。
「天戸」
「んぇ?」
「一緒に行かないか?」
「……はっ、はえっ!?」
彼女は虚をつかれたようで、素っ頓狂な声をあげる。
「会場には、素顔晒してカメラに写るコスプレイヤーもいる。素人だってお祭りみたいな雰囲気に浮かれて、一般人が写る写真を撮りまくる。確かに天戸の時とは状況が違うけど、もう誰も気にしないさ」
「……」
「それに、もし誰かの写真に写ってもそのときは」
「俺が一緒だ。リア充になれる」
「……」
「どうだ? 駄目なら冬のときみたいに、代理で行こうか……?」
沈黙は暫く続いた。日はとっくに沈んでいた。
「岩くん……」
扉越しに彼女の声がする。
「私、一期の声優のほうが好き……」
ペットドアから彼女の手が伸びる。手元には彼女のスマホが乗せられ、『はれバレ』二期の一話ダイジェスト動画が映されていた。
「……でも、二期の声優も捨てがたい!」
彼女の手が、ぐっとスマホを握る。岩野は彼女の手をとって。
「先週一話が放送したばっかだよ! 二話は明後日やる!」
と力説した。
「分かった! 絶対リアタイで追う! だから!」
「だから?」
「私をお祭りに連れてって!」
「もちろん!」
ペットドア越しに、二人は両手を強く握りあった。
扉を開ける方法 私誰 待文 @Tsugomori3-0
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