発明上手の月英さん

左安倍虎

月英の大発明

「兄上、劉豫洲殿がおみえになっておりますが」


 自室で書見をしていると、弟の均が姿をみせた。いよいよ来るべきものが来た。こちらから出向こうと思っていたのに、まさか向こうからやってくるとは。今こそ長き雌伏の時を終え、この臥竜孔明が天下へと羽ばたく時なのだ。


「お会いになりますか?」

「もちろんだとも。粗相などしなかっただろうな」

「先ほど茶をお出ししたところです。あまりお待たせしてはいけませんから、どうか早くおいでください」

「わかっている」


 私はさっきまで読んでいた『六韜りくとう』から目をあげると、両の手で頬を叩いた。いよいよこれから、わが胸中の秘策を劉備殿に披露するのだ。しっかりと気を引き締めてかからなければ──


「ついにひらめきました!これは大発明ですよ!」


 均を押しのけるようにして部屋に入ってきたのは、わが妻月英だった。浅黒い顔に満面の笑みを浮かべ、奇妙な絵の描かれた図面を私の前にかかげている。


(これはいけない)


 妻は賢く気立てもよい女だが、ただひとつ欠点がある。ひとたび新しい発明品を考案すると、しばらく私をつかまえて離さないのだ。まるでさっき捕まえた虫を親に見せびらかそうとする童子のように。


「月英、すまないがその話は後にしてくれ。今は人を待たせてあるのだ」

「ならしばらく待たせておけばいいじゃありませんか。わたしは誰よりも早く、この発明についてあなたに語りたいんです」

「しかし、私はこれから劉豫洲殿と天下のゆくすえを語らなくては……」

「わたしと天下とどっちが大事なんですか?」


 月英は上目遣いで私を見た。この目には弱い。あの真剣なまなざしを向けられると、今は天下のほうが大事だ、などとは不思議といえなくなってしまう。


「均、劉将軍にはしばらく待ってもらってくれ」

「は、はあ」


 納得のいかない様子の均を残し、妻に手を引かれるまま、私は自室を後にした。


「……で、これはなんなのだ、月英」


 妻が自室の机のうえに並べた図面には、四つの車輪のついた牛のようなものが描かれていた。


「これはわたしが考案した木牛というものです。この牛の中は空洞になっているので、兵糧などを積んで運ぶことができるんです」

「だが、兵糧を運ぶなら、なにもこの形にしなくてもいいのではないか」

「そう思うでしょう?実はこの木牛、中に兵士を隠すこともできるんです!これを戦場に置いていけば、奇妙に思った敵が自陣に持ち帰るかもしれません。敵が勝利の宴に酔っている間に中から兵士が飛び出し、好き放題に暴れまわる、という使い方もできるんですよ」


 なんという恐ろしいことを考える女だ。わが妻ながら、私はときどき月英の発想が怖くなるときがある。


「ま、まあ、使い方によっては大いにこれで敵を攪乱することもできるかもしれないな。悪くない案だ」

「ありがとうございます。こんな話に耳を傾けてくださるのは、あなただけです」


 月英は黒目がちの目を輝かせた。そう、私はこの目に惚れ、月英との結婚を決めたのだ。世人は妻の容姿を笑い、孔明の嫁選びを真似るななどといっているようだが、私は月英を醜いと思ったことなど一度もない。才知の輝きを目に宿した女が、美しくないはずがあろうか。


 その後、私はしばらく木牛について妻と語りあった。自室へ戻る頃には、もう陽が傾いていた。均の冷たい視線が私を出迎える。


「劉豫洲殿はもうお帰りになられましたよ」

「そうか、いたしかたない」


 私は肩を落とすと、軽くため息をついた。




 

 ◇





 数日ののち、ふたたび劉備殿が私のもとを訪れたと均が伝えてきた。私が椅子から腰を浮かすと、またもや快活な声が部屋の外から響いてきた。


「またまた大発明です!今度は木牛にさらに改良を加えてみましたよ」


 月英は興奮冷めやらぬといった様子で、部屋に駆けこんできた。


「しかし、さすがに二度もお待たせするのは……」

「大丈夫です。劉豫洲殿は仁者でいらっしゃいますから、少しくらいは待ってくれます」

「そうは言ってもだな」

「わたしの話なんて聞くに値しない、とおっしゃるのですか?あなたの口からそんなお言葉を聞く日がくるとは……」


 月英は目を潤ませながら私をみつめる。これでまた抗えなくなってしまった。我ながら本当に意志が弱い。いや、妻に弱いだけか。


「わ、わかった。その発明品とやらを見せてもらおう」


 渋面を作る均を尻目に、月英はふたたび私の袖を引いて自室へと連れていった。


「これが流馬か。木牛の外面を馬に変えただけではないのか」


 私は机の上の図面に目を落としつつ尋ねた。


「そう見えるでしょう?でもこれには実は仕掛けがあって、馬の首の中から弩を発射できるようになっています」

「弩手をこの中に潜ませることができるというわけか」

「ええ、油断して近づいてきた敵兵をこちらから狙い放題というわけです」


 やはりわが妻の発想は恐ろしい。こんなことを考える人材が曹操の陣営の中にいたならば、私は枕を高くして眠れないだろう。


「次から次へと、よくこれだけの案が湧いて出るものだ。これほど才知優れた妻を持てた私は、幸せ者だな」

「そんなことを言ってくださるのは、あなただけです」


 わずかに頬を染め、月英が微笑んだ。この笑顔があれば、ほかに何が要ろうか。この妻とともに世に埋もれたまま生きて、その何が悪いのか?劉豫洲殿を天下の舞台に押し上げるなどという野心を抱くほうが愚かなのではないか?そんな気持ちが頭をもたげてきた。


 しばらく妻と話し込んだ後、ふたたび私は均と顔を合わせた。均は私を見るなり、


「奥方と天下と、どちらが大事なのですか」


 と苛立たしげに問いかけてきた。私は、何も答えることができなかった。





 ◇





 しばらく日を置くと、三たび劉豫洲殿がお見えになった、と均が私に告げた。私はもう椅子から立ち上がる気力もなくしかけていた。私はこのまま妻とともに、晴耕雨読の日々を送れればそれでいい──そう考えていると、月英が無言で部屋に入ってきた。


「なにを腑抜けた顔をしておられるのですか。今すぐに劉豫洲殿にお会いください」


 いきなり叱声を浴び、私は戸惑いがちに答えた。


「今日はなにも発明しなかったのか」

「発明ならば、すでにしております。今この時から、あなたに私の発明を生かしてもらいます」

「なんだ、その発明とは」

「三顧の礼です」

「三顧の礼?」


 私は首をかしげた。そのような礼は聞いたことがない。


「劉豫洲殿は、三度もこの屋敷にお見えになりました。これだけ熱心にこの地を訪れるということは、諸葛亮というのはよほどの人物なのだろう、という評判が立つことでしょう。これから劉豫洲殿にお仕えするにあたり、できるだけあなたの名声を高めておいたほうがよいだろうと思い、益体もない発明品の話などをさせていただいたのです」

「で、では、長話をして私を引きとめたのはわざとか」

「はい、そのとおりです」


 妻はてらいもなく言ってのけた。月英は私と木牛や流馬の話などがしたかったのではない。劉備殿を二度も帰らせ、私の値をつりあげようとしていたのだ。


「加えて、これには劉豫洲殿の名声を高めてもらうという意味もありました。あの方がみずから三度も有為の人材のもとに足を運ぶ人物だと知れたら、多くの人材が劉豫洲殿のもとへ集まってくることでしょう」


 私は鳳雛ほうすう、と仇名される男のことを思い出していた。あの男と私とが劉備殿の左右にあれば、かの人を天下の主にも押し上げることができるだろう。ひさしぶりに胸が高鳴ってきた。


「さあ、お行きなさい。あまり劉豫洲殿をお待たせしてはいけません」

「月英」


 私はひとつ咳ばらいをすると、


「以前よりよくできた妻とは思っていたが、これほどとは思わなかった。惚れ直したぞ」


 そう言い残し、照れたように横をむいた妻を尻目に自室を出た。頭の中には、すでに三つに分かたれた中華の地図が描いてある。これから、この一角をあの方に取ってもらうのだ──そう思いつつ、私は心臓が強く脈打つのを感じていた。

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