いたずらな狸

玄月黒金

第1話

昔、老婆を惨殺し、その肉を老爺に食わせた悪い狸がいた。狸は老爺に敵討ちを頼まれたうさぎに退治された。ところが、その狸には弟がいたのだ。彼は兄の末路を知ると鼻で笑った。

俺ならそんなヘマはしない、と。弟もなかなかのワルである。


直近だと、忠犬と主人の仲を引き裂いたりした。主人の昼飯を度々盗み、その罪を忠犬に着せたのだ。主人はそうとは知らず、怒って犬を殺してしまった。こんなロクでもない狸は、雷にでも打たれてさっさと死ぬのが世のためであろう。


ある日狸は、雀に化けて町を飛び回っていた。もちろん、いいカモがいないか探していたのだ。狸の目に留まったのは、ある若い夫婦だった。二人は慎ましく、町外れの屋敷で暮らしいた。妻はとても美しい女だった。病弱らしく青白い肌をしていたが、襟から覗くうなじは色気があり、不思議な魅力を醸し出していた。


狸は夫を殺して、成り代わってやろうと考えた。機会はすぐやってきた。夫は妻にいい薬を買うため、隣町に出かけたのだ。狸は跡をつけ、人気が無くなった所で夫を殺してしまった。そして夫に化け、薬を買って何食わぬ顔で屋敷に帰った。この狸、とうとうやらかした。兄も兄なら、弟も弟である。


「お帰りなさい、あなた。隣町はどうでしたか?」

女は無邪気に土産話をせがんだ。彼女は病弱で、あまり外出ができなかったからだ。

狸が化けた夫は、面白おかしく町での人々の暮らしを話して聞かせた。

女はそれを聞いて、くすくすと楽しそうに笑いました。

「あなた、夕餉の準備が出来ています。さあさあ、一緒に食べましょう」


それから、偽りに満ちた生活が始まった。女はいつもと変わらず甲斐甲斐しく夫の世話をした。彼女は優しい夫を愛していたからだ。男は女が何も知らずに自分に尽くすのを見て、毎日毎日笑いをこらえるのに必死だった。ある日、女が外に出たいと言いだした。


「大丈夫なのかい?」

「ええ、今日はとても気分がいいの」

男が女の額に手を当ててみると、確かに熱はなかった。

二人は特に目的もなく町を散歩した。途中で茶屋に寄り、団子とお茶を頼んだ。

「美味しいかい?」

「はい」

「今日は楽しめたかい?」

「ええ」

気のない返事に、男は眉を寄せた。いつもは気の利いた事を言うのに、今は上の空のようだった。


「おい、どうしたんだ」

少し男が強い口調で尋ねると、女はようやく我に帰った。

「あ、すいません……」

「調子が悪くなったのか」

女は首を大きく横に振る。


「いえ、そうではないんです。ただ……」

「ただ?」

促されて、女は消え入るような声で呟いた。


「その……露店で売られていた櫛が気になって」

「はは、なんだそんな事か。では、今から買いに行こう」

女はぱっと顔を輝かせた。しかしすぐに顔を俯かせる。

「ありがとうございます。でも……申し訳ないですわ」

「気にするな。いつも世話になっているお礼だ」

男はまだ気後れしている様子の女の手を引いて歩いた。

女が求めた櫛は大して高くないものだが、とても嬉しそうだった。

「墓場まで持っていきます!」

「まったく、大袈裟だな」

女の明るい笑顔を見て、男は目を細めた。


ところが次の日の朝。女は寝込んでしまったのだ。


「申し訳ありません……」

布団から身体を起こし、女が深く頭を下げた。

「気にするな。しっかり養生しろ」

男は立ち去ろうとしたが、足を止めた。女が着物の裾を掴んだからだ。


「その……もう少し側にいて頂けませんか」

女の瞳は潤んでいた。昨日とは打って変わって弱気な様子に、男はなぜか立ち去ることが出来なかった。

「しょうがない奴だな」

男は枕元に腰を下ろした。男に化けた狸は自分に縋り付く女を見て、心の中でほくそ笑んだ。自分の正体を知ったら、どんな顔をするのだろう、と。

やはりこの狸、度し難い屑である。


だがその屑狸に、とうとうバチが当たった。女が寝込んでから二日が経った頃。男が仕事から家に帰ると、布団はもぬけの殻だった。家中どこを探しても、女の姿は見当たらない。男は家を飛び出て、通りすがりの者に妻を見なかったか尋ねて回った。


「ああ、あの別嬪さんかい?お侍様に連れられて、あっちの方に行ったのを見たな」


さらに幾人もの人に尋ねると、侍とともに居酒屋に入っていった事が分かった。狸は憤慨し、足音荒く居酒屋に踏み込む。ざっと店内に目を走らせると、見覚えのある着物を着た女が男にしなだれかかっていた。


「おいっ、そこで何してる!」

乱暴に女の肩を引っ張り、振り向かせる。


「何でしょうか」

「うわっ、何だお前っ」

男は驚いて腰を抜かした。


女は、首から上が犬だったのだ。


「この犬に、見覚えはあるでしょう?」


だが、男が瞬きすると犬の顔は掻き消え、女の顔がそこにあった。

「ふふ、騙された」

口の端を吊り上げ、皮肉な笑みを浮かべる。

男は逆上して、女に掴みかかった。


「きゃあああっ、ば、化け狸よっ。助けてっ」

全員の視線が男に集中する。


「な、何を馬鹿なことを」

男は慌てて否定するが、腰のあたりから生えた茶色い尻尾が男の正体を雄弁に物語っている。


驚きで初動が遅れた狸が客の一人に取り押さえられた。恐怖に見開かれた狸の瞳には嘲笑を浮かべた女が映っていた。どうして、と声にならない声が狸の口からこぼれた。

次の瞬間、侍が動けなくなった狸の首をはねた。


息絶え、化けの皮が完全にはがれるのを見届けると、女は声高に叫んだ。


「やーい、狸が狐に化かされた」


女は見る間に狐に姿を変えると扉を破り、空を飛んでどこかに去っていった。

後には、呆気にとられた人々のみが残された。






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いたずらな狸 玄月黒金 @hosimiyaruna

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