百日紅に語り、燕子花を手折る

あぷちろ

第1話


 その年は一際、夏の日差しが眩しかったように思えた。

 燕子花カキツバタ百日紅サルスベリの花が奇麗に咲く庭の中心。和の庭園に似つかわしく無い純白のパラソルつきの円卓の傍で、彼女は自嘲げに微笑む。

 薄く紅を引いた唇に陶磁器のティーカップを添えて、この家の書生である私に相手をせよと命じるのだ。私が街角で見聞きした取沙汰を話すと、興味深そうに凛々しい眉を上げ下げして緑の黒髪を揺らす。

 家主が彼女呼び立てる夕暮れまで、その会合は続き、終わる間際には決まって彼女は橙色に染められた頬を綿のハンカチで拭う。勿論、会合の事を家主はご存知である。だが不思議と何も云われないし、彼女も毎度おなじ時間に其処へ現れては私を手招く。

 このような二人の時間を過ごしている内に、私が彼女に惹かれるのは道理であった。

 私がその恋を意識していても、していなくとも、彼女は私を呼び出しては弁舌を振るえと指図なられるのだ。

 メイドによって、私に茶菓子が振舞われることはなかったが、彼女のころりころりと転がる顔ばせに喉の渇きを忘れるほど、私の熱弁はとどまる事を知らなかった。

 ある時、この家の奥様が私をお呼び出しになられた。私は何だろう、と奥様の待つ赤絨毯の広間へと足を運んだ。奥様は変わらず若々しいご様子で私に茶を勧め、私はご相伴に預かる。

 話題は、私が庭でお話しする彼女についてだった。

 何てことはない、旦那様の妾であるはずの彼女の事を奥様は気にかけていらっしゃったのだ。私は奥様の問いかけに簡素に簡潔にお答えした。奥様はそうやって気にかけていると誇示することによって、御身の立場を明確にして私に忠告なさったのだ。

 対外的にみればたかが、いち書生が家主の側女を手込めにしようとしているようにも見えなくはないのだ。

 そして奥様は最後に、“彼女は二番目であってもこの家の奥方なのよ”と釘を刺したのだ。

 私は当たり障りのない言葉を発し、その場を辞した。

 奥様は私の身を案じているようで、その実、自分と旦那様の名声の事しか考えていないのだ。それは、最後の捨て台詞のような、感情のない一言で理解できた。

 それまで奥様に抱いていたはずの畏敬は消え失せ、代わりに心を満たしたのは忌避感と嘲りであった。私が、家主の側妻である彼女を心憎からず想っているからであろうが、少なくとも奥様よりもは清廉にみえた。

 私は惜しく思うのだ。彼女は人並みより優れた容姿を持ちながらも、私のような木っ端を受け入れる器量を持ちながらも、花の檻のようなこの庭園に彼女という華は、囲われ、押し込められ、囚われていた。

 彼女からすれば、それは私の甚だ見当違いだと言及するだろうけれど、とうてい甘受はできなかった。

 受け入れる事が出来ない、出来なくとも時は過ぎてゆく。

 弱虫な私はこの想いを告げるのが怖くて恐ろしくて、口を閉ざすのだ。そして、この家から旅立つ頃に旦那様から労いの言葉をかけられ、気づくのだろう。

 彼女の姿をみて拳を強く握りしめる自分に。

 ――夏の想いは後悔に終わる。





 了

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