現代版「一まいの羽」

八島清聡

第1話 Quel homme chouette!(なんていい人なんだ!)



 俺は、私立の小学校で国語の教師をしている。

 大学卒業後、何年も教員採用試験を受けてやっと手にした仕事だった。

 子供の頃から教師になるのが夢で、やっと夢が叶った三年目。今は六年生のクラスを担任し、女子バスケットボール部の顧問も務めていて多忙ながらも充実した日々だった。

 その夜も残業をして帰りは遅くなり、深夜自宅で今度の授業参観の教材を何にするか考えていた。

「古今東西の有名な童話を用いて、子どもたちに道徳を教える」というのが、職員会議で決まった今回の授業方針。

 童話、童話ねぇ……。あんまりマイナーなのをやっても、子どもたちはわからないだろうしなぁ。アンデルセンやグリム童話あたりが無難かな。それもプリント一枚に収まる程度の短いものにしよう。

 まずはみんなで読み合わせをして、活発に意見を交換して、最後にまとめて感想を書かせなくちゃいけないし。教材が他のクラスとかぶってもまずいし、作品を決めたら他の先生たちと摺り合わせしないといけない。


 ある程度指針を固めると、コーヒーを入れてひと息ついた。時計を見れば午前二時。

 仕事はおしまいにして、ネットを開く。ここからは趣味の時間。人気アイドルグループ「Cest chouette」で、センターを張るMYUちゃんの画像を漁る。

 MYUちゃんは俺の推しで、忙しい日々における数少ない楽しみでもある。

 あ~今日もめちゃんこカワイイ。マジ天使。疲れた頭にMYUちゃんの笑顔が溶けてゆく。これで十五歳だっていうんだから、今の子は大人びてるよな……。

 MYUちゃんに萌えるあまりSNSに

「今日も俺の推しがかわいすぎて目がつぶれそう。はぁ~MYUちゃんと結婚したいw」

 と書きこんだ。そうすると書きこみを見たオタク仲間が、レスや画像を貼ってくれたりする。


 ……のだが、三分後にミスに気づいた。

 書きこむアカウントを間違えたのだ。俺はアカウントを2つ持っていて、ドルアカではなく本名でやっているリアルアカウントにMYUちゃんのことを書いてしまった。

 リアルアカウントは大学時代のつながりや、職場の同僚、生徒や保護者にもフォローされている。書いていることも、仕事中心の至って真面目な内容ばかりだ。

「あぶねーあぶねー」

 俺はすぐさま書きこみを削除した。リアアカに誤爆してしまうなんて、やっぱ疲れてんな。

 人の少ない深夜でよかった……。



 翌日、いつものように出勤すると、校門の前に教頭先生が立っていた。

 俺を見ると「あああああっ!」と叫びながら駆け寄ってきて、むんずと腕を掴まれた。

「全く君は! なんてことをしてくれたんだ。朝から電話が鳴りっぱなしだぞ! こんなことは前代未聞だ。私が採用したのに。信じていたのにこれは重大な裏切りじゃないか。どうしてくれるんだ」

 いきなり怒鳴られて面喰らう。

「は? 一体どうしたんです? 電話が鳴りっぱなしって、なんで……」

「いいから来い。ここじゃまずい。マスコミが来たら大騒ぎになる」

 俺はわけもわからぬまま引き摺られるようにして、裏口から校舎に入った。


 校長室に入ると、教頭と校長、真っ青な顔をした学年主任の三人がマシンガンのようにしゃべり出した。

「謹慎だ、とりあえず謹慎させろ」

「休職の方がよいのでは……?」

「申し訳ありません、私の監督不行き届きです。本当に申し訳ありません……」

「PTA会長が、性犯罪者を庇うなら学園への寄付をうち切ると言ってきています。生徒たちも不安がっていますし。処分を下すまで登校させないと言っている保護者も」

 俺は騒ぐ三人を前にして、茫然と突っ立ったままだった。何がなんだか全くわからない。

 廊下の方から騒ぐ声が聞こえてくる。どうやら人が集まってきているようだった。

 ガンガンとドアが乱暴にノックされる。返事を待たずに同僚の女性教師が飛び込んできた。

「すみません、先生。外にテレビ局のクルーが。校門の前で生中継を始めようとしています。登校した生徒が中に入れず立ち往生しています」

「なんだって? もうそこまで知られたのか?」

 校長が叫ぶ。女性教師は泣きそうな顔をして、俺をぎっと睨みつけた。鬼のような形相だった。


 結局、俺は教頭に自宅待機を命じられ、早々に部屋から出された。

 用務員のおじさんが呼ばれ、俺を車で送っていくことになった。おじさんについていく間、何人もの生徒や職員とすれ違った。皆、俺のことを虫けらを見るような目で見た。

 担任をしている六年C組に立ち寄ることも許されなかった。本来ならホームルームを始めている時間に、俺はこそこそと身を屈めて裏口から出て車に乗り込むしかなかった。


 ……どういうことなんだ。何が起きているんだ。不安で胸が押しつぶされそうになる。車の中でスマホを開いた。着信とメッセージが何十件もきていた。見知った番号もあったし、元カノからのメールもあった。学生時代の恩師、地方の両親、全く知らない非通知の着信もいっぱい……。未成年略取、淫行、殺人事件、精神病、ソシオパス……俺はづらづらと流れる文字の洪水に戦慄した。


 自宅に戻ると、すぐにパソコンを立ち上げた。SNSのアカウントを開いて俺は驚愕した。

 深夜に削除したはずのアイドル萌えツイートはキャプチャをとられて保存され、捨てアカで「有名私立M学園のロリコン教師、10年前に起きたK市女子中学生殺人事件の容疑者」と書かれて投稿されていた。俺の顔写真や本名、職場までばっちり書いてあった。ドルアカも暴かれていた。

 投稿はすでに何万回もリツイートされ、拡散されている。

 内容も改変されており、とんでもない尾ひれがついていた。

「子供にしか欲情できない変態アイドルオタク。小学生のDVDや写真を集めるのが趣味」

「前の学校は買春がばれて解雇された」

「駅前で小学生くらいの女の子と歩いているのを見た」

「M学園に子供を通わせる保護者だけど、あの教師は前からヤバイ噂があった。バスケ部員の女の子を指導する振りをして胸やお尻を触ったりしてたみたい。被害者多数」

「親は地方の暴力団関係者でラブホテルを経営している」

「妹は鼻を整形しているソープ嬢」

 など、誹謗中傷の嵐だった。


 俺は愕然とした。なんなんだこれ。部活の部員を触ったことなんてないし、妹もいない。前に勤めていた学校も存在しない……。十年前のK市女子中学生殺人事件なんて、大学のあったK市で殺人事件が起きたというだけだ。全く関係ない。

 恐る恐るリプ欄を開くと、

「キメえんだよ社会のゴミは死ねwww」

「名門のM学園も終わったな。総理の息子も通ってんのにな。転校かな」

「三十過ぎて独身て時点で犯罪者予備軍でしょ」

「犯罪者を産んだ親も同罪だろ。首吊れや」

「同じMYUちゃんファンとして反吐がでる」

 と、何百何千もの罵詈雑言で溢れていた。読んでいるだけで眩暈と吐き気がした。


 俺は絶句し、パソコンの前で完全に固まってしまった。

 誰が、一体誰がこんなことを……? 何のために……? 

 俺は知らないうちに誰かの恨みを買ったのか? わからない。全然理解できない。

 投稿はさらにリツイートされ、専用のスレッドが立てられ、分単位秒単位で書きこみが増えていく。通知が止まらない。スマホは着信と受信でずっと震えている。

 突然、ピンポーンとチャイムの音が響いた。

 俺はハッとし、弾かれたように立ち上がった。椅子がひっくり返って大きな音を立てた。

 玄関に走っていって、勢いよくドアを開く。嫌だ。勘弁してくれ。

 誰でもいいから助けて欲しい。俺の話を聞いて欲しい。俺が何をしたのか、何がいけなかったのか教えて欲しかった。


 ドアを開け放つと、そこには厳しい顔つきをしたスーツ姿の男が二人立っていた。



 ***



 俺の前には、透明の分厚いアクリル板がでんとそびえたっている。

 その向こう側には、大学時代の先輩が腕組みをして座っていた。先輩は弁護士をしている。

 今回の事件を聞いて、真っ先に駆けつけてくれたのだ。

 先輩は俺の話を聞き終わると、うーんと唸って天井を仰いだ。

「お前も災難だったなぁ。端的に言うと『一まいの羽』つーか」

「一まいの羽?」

 俺が胡乱気に問い返すと、先輩は苦笑いした。いや、笑いごとじゃないんだけど。

「アンデルセンの童話だよ。知らないの?」

「文学部ですけど児童文学の専攻じゃなかったんで」

 ふて腐れたように答えると、先輩はニヤリと笑った。

「じゃあ、説明してやるよ。こういう話だ。冗談好きのニワトリがいて、夜に誰も聞いてないと思って冗談を言ったら、それを聞いていたフクロウが話を曲解してデマを流すんだ。そのデマに次々尾ひれがついて、デマを信じた五羽のニワトリが死ぬ。人間なら犠牲者は五人てとこか」

「最悪じゃないですか……。なんなんですかそれ。後味悪い」

「まーな。話をよく読めば、そもそもの原因はフクロウなんだけどな。こいつが余計なことをしなければ五羽は死なずに済んだ。ただ、フクロウに悪意はないんだよ。そこが厄介だよなぁ」

「フクロウ……が原因?」

「そう。フクロウ」

 先輩は、そこで目を細め俺の顔をじいっと見た。まるで商品を値踏みするかのような粘ついた視線だった。

「でもさ、大丈夫だから。今は無責任な正義漢気取りがピーチクパーチクやかましいけど、みんな三ヶ月後にはきれいさっぱり忘れてる。俺がついてりゃ、こんなとこすぐに出してやるよ。ホントよかったよ。お前が投稿したら通知が来るように設定しといて。ああ、親御さんには俺から言っておくから安心しな。弁護料も分割でいいから」

「……」

 俺は言葉を失い、膝の上でぎゅっとこぶしを握った。

 この人は何を言っているんだ。

 大丈夫……? 安心……? 

 みんな三ヶ月後にはきれいさっぱり忘れてる……?


 ここは拘置所の面会室で、俺は未成年への淫行疑惑と殺人容疑で逮捕されて、もう何日も拘留されている。

 仕事も社会的信用も……何もかも失ったんだぞ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

現代版「一まいの羽」 八島清聡 @y_kiyoaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ