終わらないホワイトデイ

薪槻暁

僕と君だけしか知らない記憶

「ねえ知ってる?この学校にはフクロウがいるって話」


「はあ?こんな都会に、森も山も近くに無いってのにいるわけないだろ?」


「そう思うよね。僕だって首都近郊の中学校と森を住処にするフクロウなんて縁がないと思ってたよ」


 教室の掃除用具前、廊下の水道付近、図書室の隅、体育館裏。何てことはないごく普通な中学校内。噂話が飛び交い、虚言と事実が入り混じるのはよくあること。


 トイレの花子さん。理科室の人体模型。口裂け女。


 どれも怖い話ばかりだけれど、例外的に、この都市部に近する中学校には真逆のものが存在する。


「幸運のフクロウって呼ばれているらしいよ」


 周辺には森も林もないというのに。


 とある一匹のフクロウがごく稀に上空を飛んでいく。そしてそれを目撃した生徒は幸福の道を辿るというのだ。


 都市伝説めいた話。これはその原点、最も初めに目撃した生徒の物語である。



***



 僕はバレンタインにとある女子からチョコレートを受け取った。


 あまりにも突然のことで、驚いて受け取ることを忘れてしまった。それもそのはず、小学6年間、中学1年間と今の今まで異性からプレゼントなど貰ったことが無かったからだ。しかも渡してくれた当の女子のことなど少しも知らなかったし、さらに言えば同じクラスになったことなど一度もなかった。


 だから驚いた。単純に、どうして僕なんだろうと。



「これ。あげる」


 僕とその子以外誰もいない教室で、微妙に笑みを浮かべながら渡してきたのだ。


 そして、あっけらかんとした表情で僕は受け取ってしまった。


 それが僕とその子の出会いでもあり、また運命的なものであったとは当時思いもしなかった。


 ***


 2月15日


 バレンタイン翌日。僕は何食わぬ顔で登校した。喜びはなかった。女子から贈り物が貰えて嬉しいとか、純粋な僕以外の男子だったら他の人に背筋を伸ばしてでも自慢するのだろうけれど、僕はしなかった。自分はひねくれ者、そう自覚していたら余計だった。


 それに、僕は少し迷惑にも思っていた。突然、面識もない女子からの好意なのではないかという予感がしたし、それに答えるのが厄介だと感じていたからだ。


 そして、今日もまた一日が終わった。


 ***


 2月20日


 さらに日が経ちバレンタイン当日から一週間を迎えようとしていた。放課後の教室に立ち寄ると僕を待ち構えていたように飛び出てきた少女の姿は未だに脳裏に残っていた。にこやかな笑みでただ一言だけ口にしてから渡してきた、その動き。まだ鮮明に当時の動作を覚えていたのだ。


 ただ現実には何も起こらず、今日はまたいつも通りの日常だった。鳥は飛ばず、校庭の庭に一本の大木があることだけが、なぜか記憶に残っていた。


 そうして、今日もまた同じ行為をして終えた。


 ***


 2月21日


 いつも通り行っていたことが今日は違った。いや変えたのは僕からじゃない。相手側、つまり敵側だった。普段なら2、3人。多くても4人なはずなのに、今日という日は倍。つまり10人弱いた。僕は相変わらずただ一人で迎え入れたから、案の定一瞬にして事は終えた。


 日に日に、痛みは増していく。そうどこかで思った。


 ***


 2月25日


 とうとう僕の方は応えたようだ。痛いというのもあるけれど、末梢神経が所々切れているような感覚で、手足が動かしづらい。意識はあるけれど、もうどうでもいい感じがした。せっかく貰った恩を果たせない悔いがあるけれど。


 目の前の男子生徒が僕の腹部に足蹴りを入れる。


 僕はいったい何の意味があってここにいるんだろう。こんな複数の人間に囲まれて何もせずのうのうと死ぬのだろうか。どうでもいいと思っているけれど…………やっぱり悔しいんだ。


 暗い闇の中へと沈み込むような心地。深海を巡ってさらにその奥へと沈む。


「教室にいないと思ったら、やっぱりこんなとこにいた」


 光。僕はそう思った。届きそうにない深海まで差し込む光。そんなものはこの世にはないと思うけれど、僕の心には、奥底まで光は届いた。


「数えて10数人ってとこね。で、あなたちに質問するわ。もし私がこの右手に持つビデオカメラで録画していたらどう思う?」


「は?何言ってんだよ?こいつが俺達よりも先に喧嘩振ってきたんだ。俺らは悪くねぇ」


 足蹴りを入れた男子が答える。が、彼女は悩みもせずに即答した。


「それをいったいどれくらいの人間が信用するだろうね。たった一人の男子と、約10倍の人数の男子。数の暴力という名の多数決ならばあなたたちが勝つだろうけど。でも、痛めつけていた、となると」


「逆効果よね?」


 薄ら笑いをしている。どうしてだろう。一人しかいないのに、それ以外は僕とこの男子生徒10人ほどしかいないのに。


 怖いのは同じはずなのに。


「ちっ。もういい。行こうぜ」


 調子を崩されたのか、それとも逆に彼女に不気味さを感じたのか。男子生徒はグループの主格たる人物の鶴の一声でこの場を去っていった。


 代わりに近づいてきたのはただ一人この場に現れたさっきの彼女だった。


「どうして僕を助ける。こんなことをしてもメリットなんてものはないはずだ」


 彼女、いや女子生徒曰く。


「理由なんてないわ。多勢に無勢。公平かつ正しく争わなくては、意味はないもの」


 何を言っているのか僕は分からなかった。純粋に惨めだから助けようと思った、なんて理由で事は足りるのに。


 やはり、僕はこの人のことが分からなかった。


「それに、この前の教室の件もだ。僕と君とは縁がないはず。それなのにどうして……」


 あの時と同じだ。不可解で、不敵で、不気味じゃない。そんな微妙な笑み。


 理由が分からない。嘲笑しているわけでもない。だが、見透かした目なのは分かる。


「だから、意味なんてないわ。私が手を出したいと思ったから出しただけ」


 そうして彼女は僕から去って行った。


 ***


 3月1日


 あの日、僕があの子と再会した日からははなくなった。


 その代償として彼女の悪い噂ばかり流されていた。有りもしないのに、それをあろうことか真実のように語られていた。学校にはカースト制度というものが少なからず存在する。まさにそれを実証していたようなものだった。


 僕を救ったから、そんな理由でだ。


 そして彼女は進級すると同時に、転校することになった。


 ***


 ●月●●日


 唐突にチョコレートを渡し、内臓を潰されかけていた僕を救ってくれた彼女。その彼女が最後、学校に訪れた日。


 放課後まで残り続け、夕日が沈む黄昏を眺める。教室から見える窓の向こうは、校庭とただ一つの校門のみ。校門の傍には大木が植わっている。まるで門番のように。


 結局何も出来なかった。訳も分からず、孤独の中にいた僕にチョコを渡してきたあの日から今まで。何を思って行動していたのかまったく読めなかった。


 それが悔しくて。何より、辛かった。


 再び誰も居ない教室の窓を覗く。部活を終えた野球部、グラウンド整備をするサッカー部。そして。


 ただ一人校門の前に佇むあの人の姿があった。


 ***


 彼女、あの人、その子。僕は名前を知らなかった。自分を救ってくれた人の名前を覚えていないということは情けないというか、人としてなっていないように思っていた。けれど、あの時、僕が窓の向こうにいたあの人の存在に気が付いた時。会いたかった気持ちはそれとは別だった。


「はあ……はあ……」


 教室から校門まで走ったせいか、どっとした疲れが背中辺りに感じる。


「どうしてここにいるの?忘れ物でもしたかな私?」


 散らばっていた記憶だったけど、どれをとっても変わっていない。口調も見た目も感じる想いも。


「いいや、何も忘れてない。けど、あえて君は残したものがある。それは僕を救ったことだ」


「何を言っているのか分からないなーー」


「覚えていなくたっていい。忘れていても、ああ、そうだったんだって思い返してくれればそれでいい。だから……だからせめて僕に言わせてくれ」


 もうこの学校では会えない。だからせめて、遭える機会を。そう僕は願った。すると、願ったと同時に大木から小さな実が目の前に落ちてきた。思わず拾い上げてみると、緑と橙赤色で染まった丸い実だった。


「再来年、この近くの高校でまた会ってくれないか」


 拾った実を右手の中に留め、僕は伝えた。


「ねえ?まだ返してもらってないよね?」


 彼女の顔を振り向くと笑っていた。微妙なんかじゃない、満面な笑みだった。


「その期限を来年まで待ってあげる。それと……」


「私の名前は美海みなよ」


 別れは酷く辛い。それにこれは僕が招いた結末。彼女は何も悪くない。


 だから僕はその恩を返す必要がある。たとえ学校が離れたとしても、されたものは感謝のしるしを送りたい。


 そんなちっぽけな理由だけじゃないけれど。


「分かった。そのときは今度は僕からさせてもらうから。だから、覚悟しておきなよ」


 そして僕は再び校舎の方へ踵を返す。すると、大木の端の方から一羽だけ空高く飛んで行った。


「あれは……フクロウなのか?」


 枝の上ーー拾った実が生っていた枝に留まっていたのは梟だった。


 ***


「それでどうなったんだよ!!」


 放課後の校舎で響く怒号。男子生徒複数人が集って一人の少年に聞き寄る。


「まあまあ、そう焦るなって。無事高校で再会できたらしいよ」


 「うおおお」と感激する生徒。噂話に明け暮れる彼らは変わらない。


「んでんで?それでどうなったんだ?付き合ったのか?」


 そしてまた一人の少年が答える。


「いや付き合うのはもうやめたらしいんだ」


 すると、群がっていた彼らは一目散に散らばる。具体的には帰宅だ。話が思うほどつまらなくなったらいつもこれだ。


 そうして僕も帰宅する。変わらない生活。見慣れた家族風景。


「みな姉!!今日も学校で話しちゃったよ」


「こらーーお母さんって呼びなさい。じゃないと怒るよ、ってそれとその話はしないのーー。あんまりいい思い出じゃないんだからね」


 幸せをもたらすフクロウ。これは、僕や息子が通う通った中学校の物語だ。 

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終わらないホワイトデイ 薪槻暁 @Saenaianiwota

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