帰ってきた仏法僧

山村 草

コノハズク


 祖父がなぜこの山を僕に遺したのか、僕は未だその真意を分からずにいる。

 三十代そこそこで結構な面積を持つ山の所有者となってしまった僕だが、その実、この土地に大した価値など無いことは知っている。遺言状さえ無ければ本来の相続者であった父もそれはよく分かっていて、

「お前に土地を所有する事がどういう事かを教えるためだろう、社会勉強というやつだな」

とか、

「売って結婚資金の足しにでもしろということだろう」

などと言って特にこの一代飛ばしの妙な相続に反対することはなかった。

 僕は「自分の」山を歩きながら祖父のその決定の理由を考えていた。ろくに手入れもされていない山に入るとそこは鬱蒼とした雑木林となっていて僕はその木漏れ日の中を歩いている。



 県と市が計画した新興住宅地の建設予定地にはこの山も入っている。確かにこの山を切り拓いて住宅地を建設しようというのは理に適っている。市の中心部には世界的な大企業がありその周辺には関連企業が山ほどある。そしてそこの従業員やその会社と取引をする人たちを客として大小様々な業種の店が出来た。県庁所在地まで行くのにそれなりに時間のかかる田舎町が今やちょっとした地方都市となっている。この山から市の中心部まで車で30分とかからない。この山は新興住宅地として打って付けの場所なのだ。

 祖父の真意はこの山を売って宅地化して世の中の役に立てということなのだろうか。だったら僕は祖父の意に背いている事になる。僕は他の地権者とともに県と市の計画に反対しているのだ。



 計画に反対する人達の理由は人それぞれで特に足取りを揃えて反対運動をしているわけではない。ある人は単に環境破壊に協力したくないと言う。また別の人はこんな山を崩さなくても余ってる土地ならいくらでもあるだろうと言う。またある人は先祖代々守ってきた土地を手放したくないなんて言う。その人は今やボケ老人扱いされてその子供たちに土地を手放せられようとしているが。

 なら僕はどうだ。別にこの山を大事だなんて思っていない。都市計画自体は多少税金の無駄遣いな気がしないでもないが特に気に入らないわけでもない。むしろそんなに悪いものではないと思っている。なら、なぜ頑なに手放そうとしないのか。

 それは単に祖父の真意が分からないからである。



 鬱蒼とした林の中を僕は下を向いて歩く。何も気落ちしているわけではなくこうして地面を見ながら歩くことで何かないかと探しながら歩いているのである。見つかるのは茸や動物の骨くらいだがこれは昔祖父に連れられて山に入った時に覚えた遊びだ。

 だが今日は遊びではない。計画に反対する口実となる物を探しているのだ。つまり例えばここに絶滅に瀕している植物が生えていたとする。この山にしかないという事ならここを切り拓いてしまう事はその植物の生息場所を奪うという事になる。そうなれば計画を中止させる理由になる。そうは言っても県が主体となっての調査自体はこれまで何度も行っている。目ぼしい物は未だ見つかっていない。

 それでも何か見つからないか、そう思ってこうして下を見ながら歩いているのである。



 休日を利用して朝九時から山に入ったのだがいつの間にか三時間経っていた。

 これまでに何も見つかってはいない。

 空を仰ぎ見ると木漏れ日とは言え強い日が差しこんで来ていた。春先だというのに既に夏のような暑さだった。再び林の中に目を向けると少し進んだ所で腰掛けるのに丁度良い根の浮き上がった太い杉の木が見える。時刻を意識した途端湧いて出た疲れと空腹を紛らわすため僕はそこで昼休憩とする事にした。

 コンビニで買っておいたおにぎりの包みを破り齧る。祖父と山に入った時もこうしておにぎりを(その時は祖母の作った手作りの物だったが)口にした覚えがある。祖父とは何度も山で遊んでいる。あの草の名前は、あの茸は、この木の上にいる虫は、あそこの落ちている骨は、僕が見つけて「あれは何?」と尋ねた事に祖父は一つ一つ答えてくれた。思い出だけならこの山に溢れている。結局、僕の内にあるこの山を手放したくない理由なんてそんなものなのかも知れない。ただの感傷だ。反面この山を持っていたってなんの得にもならない事は分かっている。手入れの事を考えればむしろ損する可能性だってある。頭で考えれば手放すべきだという結論になる。

 二つ目のおにぎりを食べ終えペットボトルのお茶を飲む。感情的な意味で言えばやはり手放す気にはならなかった。せめてハッキリとした理由があれば良いのだが。



 カバンにペットボトルを仕舞い立ち上がり辺りを見渡す。ただ鬱蒼とした木々と光が差し込んでいるのが分かる。そして当て所もなく歩き出した僕の視界にふと何かがよぎった。


「なんだ?」

 その何かを確かめようと辺りを見渡す。だが何処にも変化はない。鬱蒼とした木々が広がるだけだ。

「うわっ!」

 突然後頭部に何かが当たった感じがして身をかがめる。それでも再び後頭部に何かが当たる。僕は慌てて払い避けようと手を振り回す。だが手にはなんの感触もなくただ空を切る。

「な、なんだ⁉ 一体⁉」

 頭上では何かの鳴き声が聞こえる。カラスではない事は分かるがその鳴き声の正体は分からなかった。とにかくその襲撃から避難しようと斜面を降りる。

 鳴き声はその杉の大木から離れるほど遠くなった。僕はその正体が気になって遠くのから先程いた杉を見る。すると鳥のような何かが飛んでいるのが分かる。

 その鳥は杉の木の丁度二階建ての建物の窓辺りほどの高さにあったウロに止まった。僕は持っていたカメラを取り出してズームする。

 僕は野鳥には詳しくないし特にカメラが趣味というわけではない。だからこうして見た所でその正体はハッキリとは分からなかった。だがそれでもその鳥がフクロウに似ているのは分かった。

 もしかして、と予感があった。

 僕はより鮮明に撮るために少しずつ杉の大木に近付く。先程のように気取られて飛び立たれないように気を付けながらゆっくりと。

 カメラでズームすると羽の一本一本が分かるほど鮮明に見ることが出来た。

 僕は夢中でシャッターを切った。カメラなんてつい最近まで全く縁がなかったから上手く撮れるか自信がなかった。だから撮り逃さないように何度もシャッターを押す。あの鳥がなんという名前なのか判別出来るように角度を変えて撮る。

 そうして何回シャッターを押したか分からない程カメラに収めるとその鳥はウロの中に入っていって、それきり姿を現すことはなかった。



 それから一週間ほど経ってあの鳥が「コノハズク」というフクロウの一種である事が分かった。そして調べている最中に昔聞いた祖父の言葉を思い出した。

「いつかこの山にもブッポウソウが帰ってくる。いつかお前にもこの山で鳴き声を聞かせてやりたい」

 ブッポウソウはコノハズクの別名だ。鳴き声がブッ、ポウ、ソウと聞こえるらしい。らしいと言うのは僕はまだこの鳴き声を聞いていないからだ。襲われた時はとてもそんな鳴き声は出していなかった。猫が声色を変えるようなものだろう。

 父にも確かめてみたがやはり祖父は「コノハズク」があの山にいたと話していたらしい。だがそれは祖父が子供の頃の事でいつしかあの山でコノハズクの鳴き声を聞くことはなくなった。それでも祖父はいつかあの山にコノハズクが帰ってくる事を信じていたのだ。



 この「コノハズク」が山に営巣していた事を僕は計画に反対する地権者達に話し写真を見せた。どうやらこれが僕ら反対派の「切り札」になりそうだ。

 実はコノハズク自体は絶滅危惧種でもなんでもない。だが僕らの住む県では、となると話は別だ。県で作成したレッドリストに載っている。それによると県内では数つがいしかいないとされている。

 それにコノハズクは県の鳥、県鳥でもあった。県と市が主体となって行う事業でそんな鳥を邪険に扱えるはずがない。

 計画が中止になるかは分からないが再調査の必要性は出てくるだろう。そう話した僕らはこの写真を持って市の担当者に会いに行くことを決めて解散した。



 その帰り道、辺りはすっかり夜になっていたが僕は山のそばで車を止めた。コノハズクについて調べる中で夜に鳴くと知り、ひょっとしたらその鳴き声を聞けるのではないかと思ったのだ。


 車のエンジンを止めて外に出て耳を澄ます。


 遠くから鳥の鳴き声が聞こえた気がした。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

帰ってきた仏法僧 山村 草 @SouYamamura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ