その他2

まこちラーメン

 これは私がまだ学生だった頃の話です。夏休みの夜中に後輩の部屋で麻雀なんぞして遊んでいた私は、その部屋の主とは別の後輩から、


「叶さん、腹減りましたよね? 『まこちラーメン』行きませんか?」


と、唐突に言われました。少しニヤけ気味に。


 こういうのって考えるまでもなく、嫌な予感しかしないわけです。ただ、まだ学生の時分なのでそれなりに勘は働いても、それを回避する術がなかった私。とりあえず話を聞く事にしました。


 なんでも、付近にクソまずいラーメン屋があるそうで、どれだけまずいのか、行って食って確かめてみようじゃないか、そういう事らしいです。


 つまり人生において、ダメな後輩を持ってしまうと、こういう災厄がちょくちょく降りかかってくるわけです。ところが、生粋の臆病者である私は断る事ができず、引きずられるようにとあるラーメン屋に連れて行かれました。


 そのラーメン屋の名は……って、タイトルに書いてますよね。ふざけたネーミングですよ。やる気なさすぎ。


 けどね、くそ暑い夏の夜に煌々と灯る店内照明が男達の胃袋を誘うわけです。私自身はそこまでお腹は空いていなかったので「本当に入るの?」って内心思いつつ、どうせ後には引けないんだろうなと、観念してドアを開けた瞬間、


 めっちゃ後悔した。


 何この刺激臭???


 こんな店内に30分も居たら気が狂うんじゃないか? ってほどの悪臭にビビりながらも後ろの後輩たちから店内に押し込まれるホラー展開。これ死人が出るやつじゃん!


 と思うと同時に、


「へいらっしゃい!」


って声が。見るとマスターらしきおっさんがニヤリと笑ってた。谷村新司を10倍下品にしたようなおっさんだった。


 と、ここまで自分の記憶を掘り起こしながら書いてますけど、まったく話盛ってませんからね。普通にノンフィクションです。一つもウソは無いはずです。


 で、客が誰もいない店に入ってしまった我々男四名は、カウンター席に並んで座ることに。


 みんな無条件で「ラーメン」を頼みました。乗り気だった私以外の三人も、予想以上の悪臭にやられたのか、とにかくすぐに食べ終わって外に出ようとしたに違いないです。みんな決断が早く、ましてや大盛にするなんて選択肢はありませんでした。


 というわけでオーダー即決後は私は極力空気を吸わないよう我慢しながら、長いこと待たされる……かと思いきや、出て来るのがやたら早かった。


「へい、お待ち!」


って感じで速攻でラーメン完成してた。それも四杯分。

 そしてそして、まさかのアレですよ。


 ラーメン出すマスターの親指がスープの中に浸かってた。


 あれ、マンガのネタだと思ってる人いると思いますけどね、私はリアルに体験しました。その時の感覚は、なんていうか、寒気するんだけど、同時に汗が噴き出る感じです。交感神経も副交感神経もおかしくなってる状況です。


 とかなんとか、ここまでいろいろ書いてきましたが、まったく話盛ってませんからね。元々盛りぐせも無いのですけど、とにかくマジで指入ってました。私は見た。


 ただ、そのラーメン自体は、至極普通のラーメンに見えるんですよ。普通のラーメン注文したはずなのにトッピングちょっとサービスしすぎじゃね? って思うくらいで、普通に美味しそう。味付け海苔も多めに入ってるし、値段の割にボリューム感があるわけです。


 これはひょっとすると、博多ラーメンみたいに臭いけど食べたら美味しいパターンじゃないか? って考えも一瞬よぎりましたが、それ以前に私、博多ラーメンの店の臭いで嫌な思いした事がなかったんで、あまり期待しないように気を引き締めました。っていうか早く食えよって話なんですけど、逡巡してしまう何かがあったというかね。逡巡とか初めて書いたわ。


 そんなこんなで意を決して割り箸をどんぶりの中に突っ込み、食べようと口を近づけたまさにその瞬間でした。突如、鼻を針で突くような強烈な刺激に襲われた私は、思わず意識を失いそうになったのです。


 なんと、あの店内の悪臭を10倍に濃縮したような臭いが目の前のラーメンのスープから湧き起こり、私の鼻腔を直撃したのでした。この刺激臭を表現するとすれば、鮒寿司の臭いですかね? あれをも凌駕するレベルのものがもわーっと立ち昇ってきたわけで、蜂に刺されたようなインパクトに、たまらずのけぞって顔を上げてしまいました。いったい何が起こったのかわからないまま、思考力を8割以上持って行かれ、私はちょっとしたパニックに!


 が、その刺激があまりに強かったせいか、逆に店内の臭いの影響が一瞬和らいだように感じられ、冷静さを取り戻した私は、諸悪の根源がどんぶり内のスープにあると即座に判断しました。


 しかし、それがわかったところで問題が解決するわけではありません。顔を近づける事すらできない、早く食べて帰りたいのになかなか食べさせてくれないこのラーメン、それを前にして自分はいったい何やってんだ? そんなジレンマに陥るのでした。


 とはいえ、このまま手をこまねいていると、店内に充満する毒ガスで苦しむ時間が続くだけです。となると取るべき行動は一つ。なんとかこの目の前の敵をやらなければならない、さもなくば自分がやられてしまう、早くやってしまえ、そんな感じで、勢いづいた私が麺を割り箸ですくい上げ、口にかき込んだその時、電流が走りました。


 意識して鼻を閉じ、嗅覚を封じていても自分の舌はしっかり機能していたのです。そして反射的に脳に次の信号を送りました。


 ドクイリタベタラシヌデ

 

 味覚がはっきり、そう告げたのです。これは生命の危機である、と。


 こんな時、人間ってどんな顔すると思います? 笑うんですよ。自分でもおかしいと思うんですけど、なぜか笑みがこぼれそうになる。あまりにヤバすぎてなんとか動揺を抑えようとするんだけどニヤケてしまう。作り話じゃなくて、本当にそのレベルでヤバかったんです。


 ただ、だからといって吐き出せるかと言えばそれもできない。曲がりなりにも今回のメンバーの中では自分が一番先輩なわけで、こんなお店でも礼儀に反するような態度を取るわけにはいかないわけです。それに「熱かったから思わず……」って言えないくらいスープがぬるかったし(なぜかこれは鮮明に記憶にある)、そのまま口の中身を飲み込むかどうするか、だが飲み込んだら死ぬ、そんな逆境でした。そう、逆境だったのです。良かった、なんとか今回のテーマを回収できました。


 というわけで「こんな時どんな顔すれば良いかわからないの」状態の私を更なる逆境が襲います。麺を口に含んだままでパニクってた私は、屈み腰の姿勢のまま、思わず隣の後輩の様子を伺ったんです。


 すると、



 その後輩も私と同じニヤけ顔でこっち見てた。



 マジで死ぬかと思いました。笑って口の中の麺を吐き出しそうになったのを我慢したまま死ぬかと思いました。こんな死にかた嫌だけど死んだ方がよっぽど楽だと思うレベルって言ったら不謹慎だけど死ぬかと思いました。っていうか卑怯すぎるだろ後輩よ。


 Dr.スランプの千兵衛さんがバケツラーメンを盛大に鼻や耳から噴出する、あれになる寸前だった(ちょっとでも飲み込んでたらきっと、ああなってたはず、って今の若い方は知らないですよね?)わけで、私にとっての人生最大の逆境だったと言っても過言ではなかったけど、何とか耐えた、のだと思います。


 思います、っていうのは、そこから先の記憶がかなり曖昧だからで、確か麺は自分の限界まで食べたはず(少なくともスープの下にすべて隠れる程度には)で、味はとにかく形容できないレベルで不味かったし、トッピングもすべて不味かった(完全にスープに汚染されていた)。頭の中はずっとWARNING振り切ってDANGERモードに突入し、視界は赤く染まってたし、その後店を出た我々の状態を見て、うっかりこの店に入ろうとしてた別のお客さんが回れ右したくらいにはダメージを負っていたし、その後数日、他の学生に対して、

「学食のラーメン、あれは決して不味いんじゃない、美味しくないってだけだ。世の中に本当に不味いと言えるものは少ない。『美味◯んぼ』の美食家どもの語彙が如何に貧困かわかるか? 奴らは美味い物を競って食って悦に入っているが、本当に不味い物を食った事があるのであれば、あんな物言いは絶対できないはず、つまり奴らは偽物だ」

 みたいな意味不明な内容を口走ってしまう程度には頭おかしかった時期があったので、事実としてはしっかりと身体に刻まれているのだけど、逆に最もヤバい部分は黒歴史として封印されている可能性もあるな?


 とはいえ、そんな逆境を乗り越えたからこそ今の私があるわけです。その一方で、まこちラーメンは逆境を乗り越えられなかったのか、2023年現在、すでに存在しません。つまりあの日、多大なる犠牲を払いながらも勝利した私は今、こうして生き長らえており、まこちラーメンは私を侮ってしまったがために閉店してしまったと。違いますか? 違いますね。きっとコロナのせいですね。いや、単に不味いからですね。


 っていうか、なんであんな店があったんだ?

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プロジェクトK(短編集) 叶良辰 @Quatro

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