梟剣
テンガ・オカモト
梟剣
閃光が走った、と思ったときには、既に身体を斬り裂かれた後だった。
どばっ、と飛び散る鮮血。それが自分のものであると理解が追いつかないまま、男は倒れる。血の海に染まっていく自室、薄れゆく視界の隅に野太い脚を捉える。もはや用は済んだ、と言わんばかりに足早に立ち去ろうとする執行人がいた。
「き、さま」
掠れた声が聞こえたのか、首だけを男へ向けてぐいっ、と曲げる刺客。黒い頭巾のようなもので頭部を覆い、はっきりと顔かたちを判別できないが、無精髭を生やした口元がにんまりとしているのが見えた。
「何で俺が、って顔してるな。けど心当たりあるだろう、領主様よぉ」
ありすぎて分からないってか、と刺客が嗤う。
品の無い、卑しい口調。下品な笑い声だ。
「しかし、領主様とだけあっていい身なりをしてんなぁ。その腰にぶら下げてる刀、ちょいと拝借するぜ」
領主と呼ばれた男を一切敬わず、小馬鹿にするような言い草。領主にとって、それは斬り付けられた以上に耐えがたい屈辱であった。
「ごっ、がああああああああああっ」
もはや言語ですらない、憤怒の叫び。それは止め処なく溢れる血によって遮られる。憎しみを込めた視線を背に受けながら、音も無く立ち去って行く刺客。月明かりに照らされた表情は、やはりというべきか、この上なく愉悦に歪んでいた。
***
時は遡り、村の外れにそびえる山中にて。松明の火に照らされ見えるのは、二、三の人影。 夜の森は視界が悪く、足を取られやすい。しかしこの一団は、何か明確な目的があるかのように、生い茂る草木を掻き分け迷わず進んでいく。
やがて少し開けた場所に出ると、遠くからパチパチと何かを燃やす音と、焦げた肉の匂いが漂ってきた。ケモノ特有の生臭さに一人が顔をしかめたその時、
「止まりな」
野太い男の声。ごくり、と誰かが唾を飲んだ音がした。慌てて松明を消す。ここから目的地までは十分に距離があるというのに、この察しの早さ。噂通り目が良いのか、あるいは動物的直感か。
三人が恐る恐る近づくと、目的の人物がそこにいた。背丈の大きな男だ。丸々とした厳つい顔にギョロッと大きな目玉が特徴的で、土汚れた着物や袴は所々が継ぎはぎだらけである。男は伸び放題の髭をぼりぼりと掻きながら、値踏みするかのように一団をじろじろ見つめる。
「何だ、とうとう殺しの追っ手が来たかと思ったんだが、てんで丸腰じゃねぇか。あんたら何もんだ」
「我々は麓の村に住む者たちを代表してきた。貴様の腕を見込んで、一つ頼み事がある」
「ほう。おれの腕を、ね。そいつは穏やかじゃねぇな」
男はまぁ座ってくれや、と一行を焚き火の前へと促す。男が狩ったであろう、兎かなにかの肉が炎の中で艶を放っていた。
「単刀直入に言おう。殺しを一つ頼みたい。つまり、暗殺だ」
「へぇ」
興味深そうに男が頷く。
「夜な夜な金目のある屋敷に忍び込み、金品財宝をかっさらっては音も無く消えて行く。邪魔者は誰であろうと容赦無し、森に潜むことから付いた渾名は"梟"、まさに貴様のことで間違いあるまい」
「おう、確かにおれがその"梟"よ。で、今の話から分かる通り、専門は盗みなんだがねぇ。殺しはあくまで手段の一つよ」
「よく言う。その手並み、並大抵のものではないと専らの噂だ。その身なりから察するに」
「それ以上の詮索はやめておくのが賢明だぜ」
言外に殺す、という意味を匂わせる梟。そう脅されては村人も黙るしかない。
「それより本題の続きだ。領主様を殺めようなんざ随分と大胆な試みだが、どんな理由があるか、一つ聞かせてもらおうじゃないか」
自分は無理矢理黙らせたにも関わらず、こちらの話は洗いざらいに聞こうとする厚顔な態度に腹が立つ村人だが、依頼する以上伝えない訳にはいかない。
「つまるところ、理不尽な領主様の圧政により、碌に飯にもありつけず、いつ飢え死にしてもおかしくないって訳か。まっ、あんたらのみすぼらしい身なりを見た時から、大方の予想は付いてたんだがな」
自分の格好に関しては棚に上げて告げる梟。
「無論、報酬は払う。手持ちは少ないが、村の者たちから少しずつ掻き集めた。謂わば我らの血肉も当然だ」
「なるほど、そいつは責任重大だ」
かかかっ、と嘲笑する梟。
「見え透いた嘘をつきやがる」
広がる動揺、吹き付ける一陣の風。騒つく木々が緊迫感を駆り立てる。
「どう見ても報酬が用意できるほどの余裕はねぇだろ、あんたら。大体の魂胆は見えてるぜぇ。暗殺が上手くいったらさっさとおれの名前を喧伝して、罪を全部背負わせようってんだろ。そうしてあんたらは今まで通り、何食わぬ顔で生活しようって腹づもりだ」
俺も顔負けの大した悪党ぶりだ、と感心したように呟く梟。しかし表情からは次第に笑みが消えて行き、鋭く獰猛な目つきが現れる。
「けど甘いな、あんたら。そんな弱腰じゃ、たとえ領主が変わろうが少しも好転しないぜ」
「何だと」「悪党風情が偉そうなことを」「我々がどれほどひもじい思いをして暮らしているか知りもせずに」と反射的に言葉を返す男達。梟、ハッと鼻で笑いこれらを一蹴する。
「上が変わりゃ全て丸く収まるだなんて、とんだ幻想よ。数日経てば新しい領主様が出てくるだろうぜ。もしかしたら、もっと取り立てが激しくなるかもなぁ」
「知ったような口を」
「だが否定も出来ない、そうだろう。一度暗殺騒ぎが起これば御付きの護衛も増える。二度目はまず無いわな」
それに、と仰々しく身振り手振りを交えながら、
「おれがこの話を領主様に持っていけば、あんたらはお終いだってこと、理解してるよな」
「な、何を馬鹿なことを」
「悪党でお尋ね者の言葉を信じるはずがない、なんて思い込みは良くないぜ。疑わしきは何とやら、って言うだろ。元々領主様はあんたらの命を軽く見てるようだしなぁ、見せしめに数人、なんてことは考えられる訳よ」
その場合真っ先に処刑されるのはおれだがな、と高笑いをする梟。自分の死すら客観的に楽しんでいるような、得体の知れない態度を前に、村人たちは恐怖を感じずにはいられない。
「要は単純な話さ。殺すか、殺されるか、その二択でしかない。おれに暗殺をせがむほど切羽詰まってるなら尚更だ。村人の中にもいたんじゃないか、悪人に頼むぐらいなら自分たちの手で、と言う奴はよ」
事実だった。反乱の機運は日に日に高まっており、それを抑える上での暗殺計画だったのだ。
黙り込む三人に対し、最後の追い討ちと言わんばかりに言葉を続ける梟。
「安心しろ、俺は仕事を全うするぜ。報酬も要らん、あんたらのような貧しい連中なんぞより、領主様の処からぶん取ったほうが、はるかに儲かりそうだ。その後にどうするか、選択は自由だが……」
いい返事を期待してるぜ、と心底楽しそうな笑みを浮かべて、梟は立ち去って行く。それまで焚き火の中で燻っていた薪が、勢いよく燃え始めていた。
***
時は戻り、暗殺決行の夜。既に一仕事を終えた梟は、村から離れた山の頂よりその結末を見届ける。
「かかかっ、痛快痛快」
火の手の上がった村を見て、梟が腹を抱えて笑う。自らの凶行を少しでも揉み消そうと案じた一計が、思いのほかに功を奏しているからだ。
立ち去り際に梟が残した一発の狼煙。それは暗殺成功の合図であり、村人たちの決起の瞬間だった。また、領主側を撹乱させ、自身が逃走しやすい状況を作る意図もあった。
圧政を強いられ、溜まりに溜まった不満を爆発させた村人側と、領主を殺められ頭に血が昇っているであろう領主側。両者の衝突は大きな犠牲を生むに違いない。今頃炎に包まれたあの村は、怒号と血飛沫が入り混じる地獄絵図と化しているだろう。
「真相は全て炎と共に消えた、なんて上手いこと行けば苦労はないんだがねぇ。遅かれ早かれ、足が付いてバレちまうだろうからな。さっさとずらかるに限るぜ」
そうぼやく梟の手には、何やらぎっしりと詰まった小袋。中身はぎゅうぎゅうに詰められた小判の山だ。領主の暗殺後、いつのまにか盗めていたらしい。ぽん、ぽんと袋が跳ねるたびに、ジャラジャラと心地よい音が耳を満たして行く。
一際大きく上へ放り投げられた小袋、綺麗な放物線を描き、再び持ち主の手へと戻る。腰にぶら下げる刀は、二本。増えたのは領主から永遠に拝借した、あの刀だ。
その足取りは軽く、闇の中でギラつく眼が、次の獲物を見定めているかのように妖しく光る。
「さぁて、お次はどいつを喰らうとするか」
かっかっか、と快活な笑い声が森に響く。その在り方は、さながら餌を求めて次の居住地へと移る猛禽類のごとし。
間もなく一匹の"梟雄"は、月明かりの当たらない暗闇へ、溶け入るように消えていった。
梟剣 テンガ・オカモト @paiotsu
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