垓下の戦い ~しかし四面楚歌ははじまらない~
たかぱし かげる
西楚覇王四年十一月、項王率いる楚軍は垓下に於いて漢連合軍に包囲された。そして夜は更ける。
ツッコミ無用の垓下の戦い
今楚軍は、漢軍ひいては諸侯の軍によって囲まれている。敵の数は数える気にもなれないほどだ。
それに引き換え、今の楚軍は兵も少なく飢えと疲労に生気を失っている。
夜風に耳を済ませても、楚軍は死んだように静まり返るばかりだ。
項羽は腕を組んだまま、夜空を見上げた。
漢軍の篝火は天をも焦がさん勢いだが、しかし、天は未だ昏くそこにあった。
この気丈な若者は、まだ大丈夫であると思った。
今まで負けたことはなかった。幾重に取り囲まれようとも、相手は弱い寄せ集めである。
楚軍を今一度立て直しさえすれば。
「大王!」
従兄弟の
「……どうした?」
泡を吹きそうな勢いで項壮がまくし立てる。
「大王! 今年度の決算がなんど計算しても大幅な損失です!」
「……え。え、なに?」
項羽は体ごと向き直り、思わず聞き返した。
「え? 損失? え、今年度? え、うそ。だって。え、めっちゃ戦ってめっちゃ勝ったじゃん? え? 一回も負けてないのに? 損失? 意味分かんないんですけど」
「確かに、我ら西楚は百戦百勝しました。でも……多方面への遠征で戦費がかかりすぎ……」
「え、え、え。え、だって。勝ったから。勝ったからさ、ちゃんと利益回収したじゃん?」
「えっと、その。確かに勝って一時的に占領して収益は得られましたが。ほとんどが未回収の
「かし? え、かしだおれ? かしだおれちゃった?」
「はい。ほぼ。全て」
「か、
「ぶっちぎりました」
項羽が別の意味で天を仰ぐ。が、すぐにひらめいた。
「……大丈夫だ。俺たちには故郷という資本がある。本社に帰りさえすれば、すぐに株主会開いて、利益準備金を取り崩せる。俺、筆頭株主だから! 株、80%持ってるから!」
「……大王、それは、根本的解決になりません! 現金がないと」
「うう。や、でも。赤字なんだから法人税はかからない……んじゃ?」
「そうですね。でも消費税と法人住民税はかかります」
「! でもまぁ、現金と預金をかき集めれば……?」
「あと月末に
「な、なんだと……
項羽が呻く。
「大王、ここは……騅を売りませんか……?」
「だ、ダメだ! それだけはダメだ」
睨み合った二人の間に沈黙が流れる。もうどうしようもないのか、そんな思いにとらわれる。
「いや、まだだ。まだ俺は諦めない。項壮、うちの頼れる顧問税理士を呼んでくれ!」
「……顧問税理士の
「っ!」
遠い漢軍の篝火を瞳に映し、項羽はイライラと舌打ちをした。
「ってか! なんで俺だけ! こんな目に遭ってる!? なんで漢軍は困ってない!? あいつらも俺と同じぐらい戦争してるじゃないか!」
理不尽ではないか。漢軍もまた楚軍と同じように戦い、そしていつも負けてきたのだ。項羽以上に赤字にあえいでいなければおかしい。なぜあんなにも篝火を贅沢に燃やせているのか。うちは一本なのに!
「……あくまでも噂ですが」
項壮が暗い顔で声を潜める。
「
「はぁ!? ふ、扶養控除!?」
「で、幹部はみんな
「青色専従者!? ってかちょい待ち! え、あいつ、個人事業なの!? 一国経営してて、個人事業なの!?」
「……らしいですねー。漢の国内生産で結構な利益を上げてるのに、所得税は
項羽が絶句する。が、すぐに「でも」と声を上げた。
「だって、戦費は? あいつだって遠征だろ?」
「遠征は
「い、委託!? え、でも本店支店会計、だろ!?」
「いえ。ずいぶん前に韓信を斉王に任命したじゃないですか。もうあの頃から韓信は独立会計らしいですよ」
「え、ええーまじでー。独立許したんか!」
「はい。でもあの時劉邦はのれんでずいぶん
「……じゃ、なんで皆で仲良く俺を囲んでるんだ、畜生が」
わけが分からない。項羽の理解を超えている。不気味な笑顔を浮かべつつ頬を引き攣らせた。
「……さぁ? よっぽど色のいい報酬でも提示したんじゃないですか」
「そ、そうか。やつらの狙いはこの俺の、
「まぁ、首というか。大王所有の80%株でしょうね」
「え、そっち?」
「大王、法定相続人いないじゃないですか」
「や、まぁそうだけど。俺的には
今も帳の中にある、愛しい
かつて彭城に置き去りにしたがために怖い思いをさせたことがあり、それ以来彼女を守るため片時も側から離したことはない。なお、全く同じ理由で、項羽の大切な80%株券も今ちゃんと懐に入っている。
「うーん、内縁ですからねぇ」
「う、だって、戦で忙しかったから。つい婚姻届書く暇がなくって。でも息子だっているぞ!」
「ええ? 息子?」
「うん。隆ね」
「……いつの間に。というか大王、認知してます……?」
「う、だって、戦で忙しかったから。どっちにしろ血が繋がってればいっかなーって」
「……今から入籍……いやでも敵地の役所が受理してくれるかどうか。……せめて。せめて、正式な遺言書でもあれば……」
「え、え、え。正式な遺言状? え、行政書士? 弁護士? 司法書士? もう、どれでもいいから連れて来て!」
「……ですから。行政書士(范増)も弁護士(范増)も司法書士(范増)も大王がクビにしたでしょ」
項羽は幾度目かも分からぬ天を仰いだ。どんよりと昏い空には星ひとつ見えない。
「嗚呼! 天が俺を滅ぼすのか!」
「……天の所為にすな!」
垓下の戦い ~しかし四面楚歌ははじまらない~ たぶん、完
垓下の戦い ~しかし四面楚歌ははじまらない~ たかぱし かげる @takapashied
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます