「こんなんよく書けるなぁ」と感心してしまいました。自分には絶対に書けない、発想すら浮かばない作品に出会うと新鮮ですね。
普段、夢を見ているような支離滅裂な内容のお話は好んで読まないのですが、この作品はすらすら読めました。不快感や嫌悪感が薄かったのは、なにかしら共感するものが散りばめられていたからだと思います。もしかしたら、女性の体を持っている人の方が感覚的に「なんか分かる(気がする)」かもしれません。
性行為に嫌悪感を抱く人はけっこうな数でいますし、でも子供はほしいという人も沢山いますし、そして子供はたいてい残酷だし、この小説ってすごくリアルなことを非現実な世界観にうまく織り交ぜてるんですよね。作品を通してふんわり漂う生々しさは、「生きている者」の匂いなんだろうなと思います。
分かったような、分からないような、分かりたくないような、笑って「うぁ~なんかやめて~!」と叫びたくなる、そんな面白さのある作品です。
何年か越しの再読でした。
当時、読み終えたあとのあの不穏な読後感はなんだったのか……数年の時を経た今、少しずつ飲み込めるようになってきました。
小説とは自身の切り売りである、とはよく言われる言葉ですね。自分も素人ながら小説執筆をかじっている身で、何作か書いているうちにたびたび不可思議な現象に出会うことがあります。単なる資料の読み込みや過去の人生経験だけでは説明出来ない、「自分そのもの」を表現している、という奇妙な体験です。
非常に勝手な解釈ながら、御作から滲み出る感情の仕組みは今の作者様でも説明出来ないものがあるのではないでしょうか。それほどこの小説が刹那的で、怪作であり、傑作であると感じました。
幻想小説と位置づけることにも納得がいくのですが、描写の一つ一つには現実とは引き離せないリアリティがあります。だからこそ読者の心をえぐるのでしょう。
詳しい内容にはあえて触れておりません。読み手を選ぶ内容ですが、冒頭を読んで琴線に触れるようであれば是非最後まで目を通してみてください。
Web小説には二種類ある。娯楽小説か否かだ。
もちろんこれは詭弁だが、しかしこの詭弁に従うならば、この「退屈な午後」は確実に後者に分類されるだろう。
本作に安寧はない。幸福はない。ただ、語り手たる「私」が倦んだ調子で退屈を噛み殺している。奇妙に歪んで捻じ曲がった日常の中で、彼女は子供を求め、セックスを拒絶し、市役所で堕胎された胎児を貰いに行く。
作中に登場するキャラクタは、どれも示唆に富んでおり、その歪みは嫌にリアリティのある重みを持っている。まるで読者の心の歪みを映しとったかのようである。
そして、歪んだ舞台と物語を絶妙な境界線で成立させているのが作者の繊細な文章力であり、それ故、この小説は幻想小説と評されてしかるべきだ。
この小説の閲読を推奨するにあたり、私は娯楽性を保証しない。健全な精神性を保証しない。読後感の良さを保証しない。
だがしかし、もしも貴方が人生という日常の連続性において、広大な社会における身の置き所に難儀し、他者との交流に窮し、自身の心を持て余してしまうことがあるならば、この小説が貴方の一助になりうるという可能性を提示する。