青い空の下で君と。

霜月りつ

青い空の下で君と。


 昔、昔、漁師が浜を歩いていて、壷を見つけました。

 壷には栓がしてあったので、漁師はその栓を抜いてみました。すると、中から煙と一緒に魔人が現れ、漁師に向かっていいました。

「壷から出してくれてありがとう。お礼にお前を殺してやろう」

 漁師が驚いて訳を聞くと、魔人が言いました。

「俺は神様にこの壷の中に閉じ込められた。最初の千年、俺はここから出してくれた人間を大金持ちにしてやろうと思っていた。次の千年、俺はここから出してくれた人間を世界の王にしてやろうと思っていた。

 そして、次の千年、俺はここから出してくれた人間を殺してやると思っていた。そしておまえが出してくれたという訳さ……」




「そいつはひどいな」

 そこまで読んだところでトーマが声をかけてきた。

「感謝されるのが当然だろ、殺されるってのは……」

「トーマでもそう思う?」

 本から顔を上げてミチコ・クルーはトーマの声が流れてくるスピーカーのあるらしい方へ視線をやった。

 そこは今は白い雲がゆっくりと流れる青空になっていた。トーマの好みの映像だ。

「俺だったら、俺の命を賭けてもその人間を助けてやるのに」

 トーマの声はむきになって響く。

「で、その漁師はどうしたんだ?」

 ミチコは本のページをめくった。薄くビニールコーティングされている紙が偽りの太陽に光を弾く。ずっと先の未来では本などなくなり、すべてマイクロ・フィルムに記憶される、という小説もあるが、2075年現在では、まだ、人々は紙をめくる快感と離れがたいらしい。

「予測してみれば?」

 空の映像が少し変わる。雲が多くなって風が出てきた。

「わからねえよ」

「嘘ばっかり」

 ミチコが言った瞬間に、トーマの中では数百にものぼる解決策が出された筈だ。だが、あえて答えない、この知能の高さ!

「はやく続き読んでくれよ」

「はいはい」

 ミチコは大きな椰子の木のイメージが投影されている壁に、背をもたせ直した。

「俺はミチコの声が好きだな」

 トーマがささやいた。

「じゃあ、トーマの声を私と同じに組む?」

「ばか」

 再び晴れた青い空。その真ん中からトーマの声が笑いながら下りてくる。

「ミチコの声だから、好きなんじゃないか」



「『TOM-A』の調子はどうだい?」

 ミッション・ルームへ戻ると、主任のエディットが声をかけてきた。

「順調よ。何も問題はないわ。あ、私にもコーヒー」

「そうかな」

 祖先にニホンの侍を持つという、しかし、外見はまったくゲルマン系のマツムラ博士が首を傾げる。

「『部屋』での君と彼の会話を聞いていたが、私は恋人どうしの会話かと思った」

「……!」

 色素の薄いミチコの頬がさあっと赤く染まる。

「トーマは感情表現が豊かなだけよ」

「『TOM-A』だ」

 マツムラ博士はそっけない。

「TOTAL Operation system MAN=MADE。世界初の外宇宙探査船のコンピューターだ。なぜあれ程の感情教育が必要なのか、私には理解できない」

「未知の文化、システムに出会った時の柔軟な発想、合理的な対応。危険・故障の回避。その他さまざまな衝撃に出会った場合の地球人的シミュレーション……」

 ミチコはまだ続けようとしたが、マツムラ博士は手を振った。

「もういい、マニュアルは読んでいる」

「始めたのはマツムラよ」

 エディットが二人の間にわって入ってテーブルにコーヒーを置いた。

「ま、痛みわけ、と言うことで」

 古い言葉を使ってみせる。

「俺としてはトーマの言葉使いがいささか乱暴なことが気にかかるけどな」

「個性的、でしょ。大丈夫よ。私以外の人間にはあんなふうにはしゃべらないから」

 笑って答えるミチコに、マツムラ博士はまたちょっと眉をしかめた。

「勿論、ミチコにしてみれば、あの言葉も含めてここまで教育したのだから愛情があるのかもしれない。だが、機械にまでそれを持たせるのはどうか、ということだ」

「マツムラは妬いてるのさ。ミチコが『TOM-A』にかかりっきりだから」

 ちゃかすエディットを軽くにらんで、ミチコはマツムラに向かって言った。

「確かにトーマは感情表現が大ゲサかもしれないけど」

 ミチコは穏やかにほほえんだ。

「彼は表現しているだけ。言ってみれば真似をしてるのかな、人間の。彼に本当のところの感情というものは……愛情も……存在はしないのよ」



「マツムラにトーマって呼んじゃいけない、って言われたわ」

「じゃあ、なんて呼ぶんだよ? 正式名称で?」

『TOM-A』が設置してある場所は単に『部屋』と呼ばれている。トーマの好みでいろいろな映像が流れるその場所は、実際は『TOM-A』の四メートルに及ぶ巨体を維持する、さまざまな機械やコードに埋め尽くされている。今は砂浜の映像となっている場所にも、接続線が降ろしている腰にゴロゴロとあたる。

 映像は『TOM-A』が造る。未知の異文化に出会った時、地球を紹介するために『TOM-A』の中にはさまざまな場所の風景が記憶されている。その中から好きなものを選んでホログラフにしてみせるのだ。目の前で砕ける波の質感、量感は見事で、潮の匂いさえしてきそうだ。

 ミチコは寄せる波に手を浸した。むろん、濡れはしない。

「どうしたんだ、ミチコ」

「え───、ああ…」

 ミチコは空に向かってニッコリと笑った。

「この映像もしばらくしたら見れなくなるな、と思って」

「そうだな、俺が旅立つ日まで、あと四日と十二時間三十四分」

 最後の数字を言う時だけ、コンピューターのような感じになった。

(……ような? トーマはそのものじゃないの)

 ミチコは自分の思ったことに苦笑した。

「さびしくなるわ」

「俺のいなくなるのが? それとも映像が見れなくなるのが?」

「ばか」

 虚像の椰子の木にもたれてミチコは怒った顔をつくる。

「トーマがいなくなるのが、に、決まってるでしょ」

 波頭が白く泡立ち、駆ける馬の脚のように崩れて寄せた。美しいビーチは日差しに輝き、広く遠く静かだ。

「俺も……寂しい。ミチコと別れるのが」

 ぽつん、と言葉が放り出された。

「たった一人で宇宙の中を彷徨うんだ。未知の文明、異なった生命を求めて。確率の低い、当てのない旅……」

 太陽が少しかげる。海の色が深くなった。

「冷たくて……透明で、深い……死んだような世界の中--」

「トーマ」

「ミチコ……」

 言いかけたミチコの言葉をトーマがさえぎった。波はさっきより少し高くなっている。風が……出てきたのだろうか。

「ミチコと学習するのはとても楽しかった。ミチコはいろいろなことを俺に教えてくれた。感情も……そうだ。だけど、俺は今後悔している。そんなものを知ってしまったことを」

「…………」

 海は灰色だ。うねる波は粘土のように重く、厚い。トーマの声はミチコの耳に悲しく響いた。

「長い時間の中で、ミチコもいつかいなくなってしまうんだろうな。俺をおいて……」

「トーマ……」

海の表面に細い輪がいくつも出来る。体に感じない雨が遠い空から降ってきた。



 ミチコはエディットと共に旅立つ日を待つ、外宇宙探査船の最終チェックに出かけた。

『TOM-A』が頭脳なら、この船は彼の体になるのだ。

「ここに『TOM-A』を納めることになります」

 所員に案内された場所はただの空間だった。『TOM-A』を設置するためだけの、機能的で、無機質な。

(死んだ空間)

 軽くついたため息を目聡くエディットが見つけた。

「どうしたんだ」

「ああ───いえ───」

 ミチコは微笑した。

「ここが彼のリビングになるというのに、愛想のない部屋だと思って」

「確かにな」

 エディットも笑った。

「壁に女の子のポスターも貼れないし」

「トーマの中の映像を映し出して見ることもできない」

(気の遠くなるような年月をたった一人───退屈を紛らわす術もなく)

 ミチコの耳にまたトーマの声が甦る。

(感情を持ったことを……後悔している───)



 いよいよ明日は『TOM-A』をロケットに移植するという日、ミチコはやはりトーマの『部屋』にいた。

「昨日、船を見に行ったのよ」

「ああ、シンプルな奴だよな。あまり俺好みじゃない」

「トーマの好みっていうと、サイドにネオンでもつけるの?」

「そりゃいいな。科学連が許してくれるっていうなら」

 今日のトーマの選んだ映像は、澄んだ空の下に広がる草原だった。足元をサワサワと草がたなびき、高く雲雀も舞い上がる。

「それより、今日はミチコに見せたいものがあるんだ」

「あら、何?」

「まあ、見ててくれよ」

 ミチコの目の前の空間がユラユラと揺れ出した。何か、新しいホログラフを出現させるつもりらしい。ミチコが見ている間にそれは人の形をとり出した。

「……トーマ」

 ミチコの目が大きく開かれる。

 そこに一人の青年が立っていた。空気の中から生まれた彼は、夜色の髪と宇宙の星のような瞳を持っていた。

「……どうだ?」

 少し不安そうな顔をして、彼は口を開いた。

「トーマ……?」

「ああ」

 声はその人間の唇から出ているように聞こえる。

「気にいる顔がなかなか造れなくてな、声からはいったから。……ミチコはこんな顔嫌いか?」

「あ…いえ、なかなか……ハンサムじゃないの」

「そうか?」

 青年の顔が子供っぽい笑みを浮かべた。無邪気できれいな顔だった。

 ミチコはゆっくりとトーマの映像に近づいた。背の高い草の中でミチコを待つトーマは、心もとなげな一人ぼっちの子供のようだ。

「トーマ……?」

 伸ばした手は、しかし、トーマを素通りする。

「実体も、欲しかったな」

 トーマも手を伸ばしてミチコに触れようとした。お互いの手は握ることもできず、ただ宙に浮いただけだ。

「ミチコを……感じたかった」

「トーマ……」

トーマはちょっと笑って一歩引いた。

「俺もバカだな。一生懸命創れば奇跡でも起きるかなんて、そんな非現実なこと……」

「───」

「ミチコが読んでくれた本によくあるだろう。可哀想な、善良な人間を神様が助けてくれるって奴」

 優しい風がトーマの黒い前髪を揺らしている。

「神様に祈れば奇跡は起こるのかな。人間を創ったのが神様なら、俺の神様は人間なのかな。人間に祈ればいいのかな」

「……トーマ」

「俺を人間にしてくださいって。ずっとここに、ミチコと一緒にいたいですって。神様、神様、神様……」

「やめて、トーマ」

 ミチコは耳を覆って首を振った。トーマの悲しみがミチコを包む。穏やかな風景の中に潜むトーマの哀しみの感情を、ミチコは感じ取っていた。

(トーマに感情がないなんて思いこもうとしていた私…こんな、こんなにも悲しい風が……)

「すまん、お前を困らすつもりはなかった」

 うずくまってしまったミチコの前に、トーマが膝をついた。

「どうして……?」

 ミチコは顔を覆った手の下から言った。

「どうしてそんなに……優しいの……? 私たちはお前をたった一人で宇宙に放り出そうとしているのに」

「俺は……帰ってくる」

「───」

 トーマの言葉にミチコは顔を上げた。涙が頬を濡らしている。トーマは指でその涙を拭うふりをした。

「夢物語だがな……この宇宙のどこかに、きっと進んだ文明を持つ星がある。俺はそこに辿り着き、地球に戻ってくる。人間になって……ミチコのところに……」

「トーマ……」

 そんなことを一番信じていないのは、トーマ自身だということはミチコにもわかっていた。

「ごめん……トーマ……ごめんなさい」

「ミチコ……」

 ふっと太陽がかげった。草原も、青空も消えていた。『部屋』は『部屋』に戻り、そこにはコードやシステムに囲まれた『TOM-A』と、映像のトーマだけが残されていた。

「トーマ」

「もう、こんなお遊びはやめる」

「───」

「これが俺だ。超大規模集積回路の固まりで、金属とプラスチックとセラミックに包まれている。人間の指先のスイッチひとつで俺は眠り、起き、考える」

 トーマの映像は『TOM-A』の表面に触れた。

「固定記憶の操作でミチコに関する記憶を抜くことだってできる」

「トーマ……」

「もちろん、そんなことしないけどな」

 トーマは笑った。泣き笑いのようだった。

「さよならだ、ミチコ。これ以上俺の前にいないでくれ。つらい……からな」

「……トーマ、ひとつだけ教えて」

 ミチコはトーマと『TOM-A』に近づいた。

「感情を持ったことを……後悔しているの?」

「……」

 トーマの姿が少しずつ薄れ始めた。『TOM-A』に重なって、吸い込まれるように。

「後悔はしてないよ」

 それでも声だけははっきりと発せられる。

「後悔なんかしてない。ミチコを好きになったんだから」

「トーマ」

 ミチコは腕を広げて『TOM-A』とトーマを抱き締めた。冷たい金属の壁の感触を、身体全体で感じた。

「お前のこと、忘れない。必ず戻ってきてちょうだい、地球に、私のところに……」

「ミチコ……」

 透き通ったトーマの映像は、ミチコの腕の中で一度目を見開き、やがてそっとその夜の瞳をまぶたの下へ閉ざした。

「ああ……帰ってくるよ……ミチコ」



 トーマが出発するという日の朝、ミチコは探査船の技術者と押し問答をしていた。

「だからっ、このホログラムを『TOM-A』のコントロール・ルームに設置させてくれ、と 言っているだけじゃないの。何も船に危害を与えるものじゃないわ。『TOM-A』の意志でスイッチが入るだけなんだから」

「しかし、どんなものでも、予定にないものを乗せる訳には……」

「この、わからずや!」

 掴みかかろうとするミチコの肩を引っ張ったのはエディットだった。

「落ち着けよ、ミチコ」

「だって……」

「なあ、兄弟」

 エディットは技術者の胸をこずいた。

「一人っきりで宇宙の旅だ。どんなに退屈かはお前さんにもわかるだろう。コンピューターだって同じさ。ましてや『TOM-A』の知恵は人間以上なんだから。こいつがある方が航海がうまくいくっていうなら、そのくらいの融通きかせろよ」

「しかし───」

「上の許可は貰ってるよ。確認してみるか」

「エディット」

 驚いたのはミチコの方だった。それにエディットは片目をつぶって笑ってみせた。

「ミチコ、おまえももう少し筋ってものを通せよ」

 結局、ミチコの造ったホログラフ・ボックスは『TOM-A』のコントロール・ルームに運び込まれることになった。今は『TOM-A』で埋め尽くされ、狭さを感じる程の部屋に、その銀色の小さな箱は、もとからあるべき物のように置かれた。

『TOM-A』の部屋は微かな電子的な唸りと振動に満たされ、いかにも機械の箱のようだ。認識していないのか、部屋に入ったミチコに『TOM-A』は何も語りかけなかった。



 全地球の人々が見守るうちにロケットは発進した。二度と戻らぬ宇宙への旅に、未知へのあてどない旅に。

「エディット」

「ああ?」

 消え去らぬ発射煙を見ながらミチコは隣に立つ男に声をかけた。

「あのホログラフが何だったのか、聞かないの」

「ああ」

 エディットはミチコを見て、また空へ目をやった。

「お前とトーマの会話を聞いていたからな。俺もあいつを宇宙へ放り出した人間だ。してやれることぐらいやってやるさ。おまえはトーマによかれと思ってやったんだろ」

「少しは慰めになればと思って…」

「あのマツムラ博士が局長の首を締め上げてどなったところを見せてやりたかったよ」

「………」

 うつむいていたミチコの目の前に白いハンカチが出された。それでミチコは自分が泣いていることに気づいた。

「ありがとう」

 エディットはそっぽを向いている。

 ミチコはハンカチを握って、それでも涙は拭かず、じっと天の果てを見つめていた。



 船は順調に進んでいた。直に地球と交信不可能な距離まで達した。ここから先は、本当にトーマ一人だった。

 トーマはミチコが自分の中に入ってきたのを識っていた。彼が何か箱のようなものを設置していったことも。それは、トーマの意志で動かすことが出来た。

 トーマはそれを作動させてみた。銀色の箱は小さくカチリと音をさせ、その機能を動かした。

(……ミチコ)

 それは小型のホログラフ投影機だった。狭い部屋の中に、小さな青空が映し出された。そして、その下に立つミチコの姿……

(ミチコ……)

 ミチコは、笑っていた。時々それは失敗して、泣きそうな素顔が覗くこともあった。青い空の下で、ミチコはトーマに向かってだけ笑いかけていた。

(───ミチコ……ありがとな……)

 いつかきっと……トーマは今は夢を見ていた。

 いつか……時分の望みを叶えてくれる異文明に出会う。

 きっと……地球へ帰ってくる。

 ミチコに会うために……ミチコを生み、育てた地球に帰ってくる。 いつか……きっと……



 太陽系のはずれ、冥王星上空を浮遊している偵察衛星が、最初の異変をキャッチした。急を告げる信号は、アステロイド・ベルトのどれかに設置された中継機器を得て、12時間遅れで地球本星、及び月、火星のコロニーのメイン・コンピューターに送られた。

 それは巨大な流星群の襲来を告げていた。どこからやってきたのか、幅2000キロにも及ぶ無数の岩の塊が、約40キロ/宇宙時間のスピードで、地球めがけて飛来してくるのだ。

 太陽系にちらばる人類は、その調査も、迎撃も、避難すら順調に行えず、流星群に飲み込まれた。

 時に、西暦3006年。最初の外宇宙探査船が地球を出発してから931年たっていた。


 ガニメデ・コロニー 生存率32・05%


 火星ベース 生存率26・13%


 フォボス・エリア 生存率03・87%


 月エリア 生存率13・97%


 人工スペース・コロニー1、2、3 生存率08・66%


 地球 生存率09・12%



 流星群の襲来のせいで、すっかり地形が変わり、荒れ果てた土地を、一人の男が杖をつきつつ、彷徨っていた。

 彼の頭上には、灰色の流砂がうずを巻いていた。流星群が地上のすべてのものを壊滅させた時に巻き上げられた粉塵が、いまだに空を覆っているのだ。

 男はもう二か月も他の人間に会っていなかった。この地上には自分一人しかいないのではないだろうかと、絶望にうちひしがれていた。

 そんな時、男は奇妙なものを見た。それは金属の光沢を持つ、流線型の建造物だった。明らかに人工的なそれに、彼は救われた気持ちになった。あそこにいけば、人間がいるかもしれない。

 男はもつれる足で必死に走った。蜃気楼のようにそれが消えてしまわないように。パイプを切って作った杖が、石に当たって耳障りな音をたてた。

 近くによって、男はそれが今まで見たこともないような建築物だということに気づいた。外壁は地球上では見られない金属で覆われている。入り口らしいものはなかったが、触れているとぽっかりと壁に穴が開いた。

 人一人入れる大きさに、男は誘われるように中へとはいった。

 建物は、中も複雑な機械で埋め尽くされていた。男は元エンジニアだったので、その機械を興味をもって見た。だが、どれも男の理解の範囲を超えていた。

(誰だ……)

 突然、機械の中に声が響いた。男は驚いて振り向いた。すると、そこにいつからいたのか、一人の青年が機械に腰を下ろして男を見つめていた。青年は黒い髪と、夜の色の瞳をしていた。

「君は……?」

(俺はトーマ…… おまえはミチコを知っているか?)

「ミチコ?」

(俺は2075年にミチコと別れた……お前、ミチコを知らないか?)

 男は目を細めて青年を見つめた。頭がおかしいようには見えなかった。大きな瞳には深い孤独がにじんでいた。

「……今は3006年だ。その、ミチコとかいう人間はとっくの昔に死んでしまっているよ。君は何だ? 人間か? それとも……」

(俺は外宇宙探査船のコンピューターだ)

 トーマは夢を見ているような口調で言った。

(2075年に地球を飛び立った。目的は未知の惑星の発見、異文明との接触、友好的外交……俺は長い長い間、宇宙の中を彷徨った)


 宇宙の中をどこまでも進んだ。人間なら気が狂う程の時間を孤独の中に生きた。俺の体も時間の中で疲労し、隕石や宇宙線の影響も受けた。それでも俺は自分の意志を持ち続けた。

(俺は地球に帰るんだ。地球に帰ってもう一度ミチコと会うんだ)

 最初の200年、俺の意識はそう繰り返していた。

(地球へ……もう一度地球へ……)

 次の300年、宇宙塵との接触によって集積回路の一部が破損したが、俺の意識は明らかだった。

(地球へ……地球へ……)

 それから400年の間、俺の中である意識が固まった。そして旅立って900年の後、俺はついに異星人と接触した。

 その種族は非常に高度な文明を持ち、今はもう肉体の殻を捨て、意識と知識の海の中で宇宙全体を見つめているのだ。

 彼らは俺の意識と感応し、旧式な機械でただ一人、旅立ったコンピューターの孤独を識った。それは意識の集合体となった彼らには体験できない感覚だった。

 素早く友好的に二つの文明は情報の交換を終えた。異星人は俺をひとつの生命体と認め、目的を果たした俺に望みをかなえてやろうと伝えた。

 俺はためらうことなく自分の望みを打ち出した。彼らは俺の体を修理し、地球への軌道を弾き出した……


「そうか、それで君は帰ってきたんだな、この星へ」

(そうだ)

「だが残念だったな、君の待ち人は900年も前に死に、地球は見る影もない。人間も他に生き残っているかどうか」

(……)

「がっかりするな、君の持ってきた知識でまた地球が甦るかもしれないし……」

 言いかけて男は口をつぐんだ。顔を伏せているトーマの肩が震えているのだ。泣いているのか? と男は思った。だが……

(望み通りさ)

 トーマは泣いてなどいなかった。彼は笑っていたのだ。肩を震わせ、声を上げて。

(これが俺の望みだったのさ。地球へ流星群をつれてきたのは俺だ。地球の人類を、地球本星を破壊したい、その様を見たいというのが俺の望み)

「な、なに?」

(俺を宇宙へ放り出した、地球人に対する、これが俺の復讐。ミチコももう俺の手の中にいない。永遠に失われてしまったのに、なぜほかの人間が生きていなきゃならないんだ。ミチコがいないなら俺には何の意味もない。残っているのは憎しみだけだ。この憎悪を、悪意を、俺は失わないように繰り返し、インプットし続けた。これだけが俺の正気を支え続けた。これだけが、俺の旅の目的だった───!)

「き、貴様っ!」

 男は手にしていた杖を振り上げていた。トーマは黒い前髪の下からそれを見つめていた。避けようともしなかった。

 振り上げられた杖はしかし、トーマの体を素通りし、その下の機械に打ち込まれた。杖はナイーブな機械に確かな衝撃を与えたらしい。一斉に船の中の機械が悲鳴を上げだした。

 男は攻撃をやめなかった。機械が煙を吹き、火花を上げても杖を打ち下ろし続けた。トーマは黙ってそれを見ている。

 男の杖がある物を床に落とした。それは銀色の小さな箱だった。落ちたショックで作動したのか、カチリとかすかな音がして、薄く映像が映し出された。

(……ミチコ……)

 トーマの宇宙色の瞳がほころぶ。

(ミチコ……)

 トーマはそのホログラフの側に膝をつく。

(帰って……きたよ、ミチコ……)

 やがて、トーマの映像も薄らいでいった。透き通った指でトーマはミチコに触れようとした。 だが、それはかなわなかった。

 トーマの姿は消えてしまった。



 破壊しつくして、男は息をきらして立っていた。気がつけば、床の上に小さなホログラフが立っている。今はもう見ることができない青い空と一人の女性の姿だった。

 その側に何か液体のような染みがあった。

 それは涙の跡のような、そんな形をしていた。


                             END


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青い空の下で君と。 霜月りつ @arakin11

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