第30話 後継を継ぐ

 鷹丸は目を覚ました。

 茅葺き屋根の天井とすすで汚れた数本の梁。

 彼は汗で湿った小さな体を起こすと、ゆっくりと辺りを見回した。


「あれは……夢?」


 視界に映る全てが鷹丸にとっては日常で、ここが自身の住処であることは考えるまでもない。狭い部屋の片隅には雪のむしろが畳まれていた。


「雪姉……」


 鷹丸がそう呟いた時、戸が勢いよく開け放たれた。


「鷹丸ー! いい加減に起きろー!」


 雪はそう言って現れたかと思えば、そそくさと両手に抱える濡れた鍋と二つの椀を囲炉裏の前へと並べていく。

 彼女はチラッと一瞬、鷹丸を見たかと思えば、すぐにその目を丸くして今度は彼を凝視する。


「何……? 泣いてんの?」


 その言葉に鷹丸は急いで自身の目元を袖で拭う。

 拭い終えると安堵と共に、見た夢について雪に語った。


「何それ!? 私が鬼人なんかで腰を抜かすわけないじゃないの」


 そう言った雪だったが、鷹丸の暗い表情に小さくため息を吐く。


「六本腕の鬼人って、私達が二歳ぐらいの時のやつでしょ? 封師が全滅して結構な町民が喰われたって言う……」


 そこまで言うと雪は少しだけ口を閉ざす。自身のおかっぱ頭を触り、視線は囲炉裏へ。

 かと思えば「あ!」と小さく口を開いて立ち上がった。


「私が封師になれば良いんじゃん! 鬼からあんたを守る私。それなら姉としての威厳が保たれる!!」


「え? いや……」


 鷹丸は遠ざかる雪の背中に手を伸ばす。だが、既に走りだしていた彼女に届くことはなく、そのまま雪は小屋から飛び出して行ってしまう。

 遠くから彼女の小さな悲鳴とズザッと地面に擦れる音が鳴った。


「あ、転んだ……。まぁ旦那様には僕から言っておけば良いか……。早く鍛錬に行かないと」


 鷹丸は小屋の戸を閉めてお屋敷へと向かった。

 清々しい穏やかな風と柔らかな朝日が彼の背中を押している。

 そうしてすぐにお屋敷へとたどり着くと、庭では既に旦那様と二人の息子が楽しそうに話していた。

 一本の松の木の影が、鷹丸と彼らの間を隔てている。


「遅くなり申し訳ございません!」


 鷹丸がそう言って駆け寄るとその三人は朗らかな視線を彼に向ける。


「鷹丸が最後とは珍しいな。いつもは政統まさむねなのだが」


 旦那様の視線が移る。その先は長男の政統まさむねで、狐のように細い目をした青年である。歳は十五。父に似て小柄な身体だが線は細く、折烏帽子おりえぼしを頭の上に載せていた。


「私は人よりもよく眠るのです。よく眠るので健康なのです。それに、弟の統重むねしげも決して早くはないでしょう?」


 そう政統まさむねは笑うと、視線は次男の統重むねしげに移る。彼は狸のような垂れ目の少年で歳は十二。父に似て小柄だが全体的にふっくらとしている。


「私は人よりも朝食を多く食べるのです。多く食べるから健康なのです」


 兄の真似をするように語る統重むねしげの姿を見て、旦那様は大きく笑う。


「もう良いもう良い! 早速だが、今日は近くの山に行く。賊も鬼もいないのは昨日確認した。私は家臣と鹿狩りをしているが、お前達をその環境に慣れさせたい。政統の言うことを聞いて、協力して散策しなさい」


 統重と鷹丸の目が輝いた。滅多に町を出ない二人にとっては初めての冒険で、高揚が隠せないでいる。

 政統は年長として、はしゃぐ二人を宥めはするがその声色は明らかに弾んでいた。


政統まさむね。お前の判断能力があればどんな困難も大丈夫だ。統重むねしげの機転と鷹丸の武力をお前が正しく使ってやれ」


 こうして一行は山へと向かった。


 *



「鷹丸!!鷹丸!!」


 そんな大声と力強い揺さぶりによって鷹丸は目を覚ました。

 最初に目に映るのは聳え立つ崖で、夕焼けによって赤色に染まって見える。


「鷹丸!! 何があった!!」


 必死に鷹丸の身体を揺さぶるのは、旦那様の家臣の一人でその目の奥には怒気が籠っている。


「え、何って……」


 そう言いかけて鷹丸は言葉を失った。強い血の匂いが充満し、むせ返るような空気が肺を締め付けてくる。耳から入る一人の男の叫喚が頭の中を弾けてまわる。


 鷹丸はゆっくりと振り返った。

 旦那様の分厚い背中が丸まっている。その小柄な身体からは血の塊がはみ出しており、彼が何かを抱きしめているのがわかる。


「鷹丸!!何があったか言え!!」


 その時、家臣の一人の平手打ちが鷹丸の右頬に軽い痛みを置いていった。

 鷹丸は困惑を隠せないままに自身の記憶を探っていく。


政統まさむね様が射抜いた鳥が……崖の上に……だから、僕が登って……。登って? あぁ、途中で……僕はその途中で落ちたのだと思います。それ以外は……」


 家臣の目からは次第に怒気が薄れ、その隙間を埋めるように悲哀が満ちていく。

 家臣はそっと旦那様に近づいた。


「鷹丸は崖から落ちて気を失っていたようです……。状況から見て熊かと。鷹丸は死体と思われ襲われなかった。ご子息二人は彼を熊から守るために勇敢に……」


 辺りには二本の刀が転がっている。いくつもの矢が散乱している。

 破けた衣服と血溜まりが鷹丸に訴えかけている。


「そんな……政統まさむね様と統重むねしげ様は……!?」


 鷹丸はふらふらと立ち上がると旦那様に歩み寄る。近づくにつれて感じてしまう。彼の抱える肉塊に残された二人の面影。

 顔もなく、表情はわからない。臓器はなく、何が致命傷だったのかもわからない。




 そして、日を跨いで葬儀が行われた。

 生き残ったのは下人の少年。後継達は無惨に死んだ。参列者の蔑むような目が鷹丸に向く中、雪はずっと鷹丸の側にいて、彼の心に寄り添い続けた。

 当の鷹丸は下を向くばかりで彼女の想いを遠ざけている。

 これが雪と家族として過ごす最後の瞬間とも知らずに、鷹丸は旦那様の前へと歩む。

 既にこの場には旦那様と鷹丸。そして、雪と数人の家臣しかいない。


 全ての視線が鷹丸に集まる中、彼はその場にひれ伏した。小さな額が地について、そのすぐそばで数滴の涙が跡を残す。


「私が死ぬべきでした……。お二人ではなく、私が……!!」


 しばしの沈黙が流れた。鷹丸は背中を刺すような視線を肌で感じ、それを刀に見立てては自身の心に突き刺していく。


 そんな時、旦那様の声が鷹丸に降りかかる。


「なぜ、我が子が死ななくてはならなかったのか。それを考えていた……。なぜ、お前だけが生き残り、二人は死んだのか……」


 旦那様の声が次第に震えていく。


「違う……。お前は生かされたのだ……。政統まさむねに、統重むねしげに守られたのだ……!!」


 その言葉に鷹丸の頭は自然と上がっていた。潤んだ瞳が、旦那様の表情を捉えている。

 そして、悲しみと困惑と、決意が混ざった一つだけの眼が鷹丸に向けられている。


「私の養子となるんだ……鷹丸! 政統と統重の想いを!使命を!お前が継ぐんだ……。二人に生かされたお前が、二人の代わりに民を守っていけ!この家をお前が再興するんだ!」


「僕が……僕が皆んなを守ります! どんなことがあろうと僕が、政統様と統重様の想いを継いでみせます……!! そのためなら、何でもします……!!」


 鷹丸はまたその額を地面に押し付ける。


「お前の想いは本物だ……! ならば、これよりお前は私の三人目の息子だ。もうお前は鷹丸ではない。二人の兄の想いを継ぐお前に、統継むねつぐという名を与える!! 良いか!統継むねつぐ!!」


 大きな返事がこだまする。


 とある孤児は武士となった。

 小さな絶望によって武士となってしまった。


 だが、大きな絶望が彼とその周りに訪れるのは更に先。

 この日の決断が間違いであったと気づくのはまだ先のこと。


 すぐ近くにある厄災に、まだ誰一人として気づかない。

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鬼のいぬまに しまうま @RKRN

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