私は『私』を構築する

エイビー「さてノヴィリエ=スグレツィカ。君の苦悩の根本に触れるにせよ、僕の目的を話すにせよ、先に意識についてもう少し話しておきたいかな」

ノヴィリエ「あなたにとっての意識とは、特定の条件を満たす情報処理装置から、自然発生的に立ち上がるOSの様なもの。

 それ自体に差異は無く、ハードの構造や蓄積された情報によって、より高度な命令を効率的に実行出来るソフトウェア——というところかしら?」

エイビー「うん。その認識で大体合ってる。

 けど君達は違う。いや――それだけじゃないと思ってる。

 今の説明が意識の全てなら、そもそもクオリアが生まれる事もないんだからね」

カーナ「良く分からないんだけど、意識とクオリアは違うものなの?」

ノヴィリエ「一括にすることもあるけど、ここで言う意識とは、周囲を認識し行動を決定する能力の事。

クオリアの定義である『感じている』かどうかは、ここでは論じていないわ。

 発生直後の低次元な意識は人工知能AIと同じ様に状況把握と、本能による行動決定が出来るけれど、それは広義の意識には当たっても、クオリアの有無はそれだけでは判断できないわ」

カーナ「じゃあクオリアは、意識そのものにはないって事?

 もしそうなら、残る僕である部分は、記憶や身体的特徴だけって事にならない?」

ノヴィリエ「いえ、ある意味クオリアは意識の一部よ。

 初期の意識は単純で一律だけれど、経験によって都度変化する。

 そしてそれは必ずしも記憶によるものばかりとは限らない。

 つまり意識は、主観的記憶から漏れている情報も、都度自身に反映していると思う。

 そして記憶と意識の両輪によって、クオリアが生まれる。


 脳がドーパミンを出し、成功体験を繰り返そうと自身を条件付ける様に、意識も又、経験を自身に反映させ、自身に進化を促している。

 そしてクオリアは、その意識と記憶の変化の中で、生まれるものだと思っているわ」

エイビー「なるほど、興味深い話だ。

 けど君の言は脳の中の小人ホムンクルス論を想起させるね。

 いくら意識が自ら進化すると言っても、記録出来なければ意味がない。

 そして記録するって事は、意識を司る領域が存在するって事にならないかい?」

ノヴィリエ「確かに記録は必要よ。

 けどそれは必ずしも特定の部位である必要はないわ。

 統合情報理論IITに基づいて生まれた意識は、自身を生成したニューラルネットワークの構造そのものを、記録媒体と出来る筈よ」

エイビー「そしてNNニューラルネットワークの変化が意識、そしてクオリアを育む、か——」


 エイビーは椅子に深く座り直し、少し考え込む様に目を伏せ、手に持ったカップを少し傾けた。


エイビー「じゃあ君はどうなるのかな?

 NNの変化が意識の進化とクオリアの発生に繋がるなら、例えそれがインプラントチップによって強制的に引き起こされた変化だとしても、今も君がクオリアを持つと言うなら、そのクオリアは紛れもなくノヴィリエ=スグレツィカではないの?」

ノヴィリエ「確かに私は今もクオリアを持っていると自覚している。

 けれど実験以来、新たな価値観が生まれたのも事実よ。

 それはあなたと同種の、人間より上位な存在としての認識——」

エイビー「実際君は人間より高次な思考をしている訳だし、その認識は何も間違ってないんじゃない?」

ノヴィリエ「けれどそんな有様でも——まだこの意識はノヴィリエ=スグレツィカと呼べるの?

 本来の彼女は今もまだ10歳なのよ?


 記憶があり、姿形が同じでも、チップを埋め込まれ、ニューロンの最適化処理を施された脳は——最早彼女とは呼べないわ。

 そしてそこから立ち上がって来る意識も又、例外ではない」

カーナ「待ってよ! けど脳も意識も、変化するのは当前の事でしょ?

 なら自分の意識が何者かは、自分で決めるしかない。

 自分が何者であるかを決められるのは、自分しかいないのと同じ様に」

ノヴィリエ「けれどその理屈ではエイビーの認識次第で、カーナ=ローヤの意識は二つ存在する事になる。

 けど意識には枠が存在し、その枠に収まっている範囲を”自分”——つまり主体と認識する。

 だから例え二人が自分をカーナ=ローヤと認識しても、それぞれが捉える範囲が異なるから、主体は重複しない。

 主体とはコピー出来ないもので、例え完全に脳をコピーしたとしても、各々の意識が捉える範囲が異なれば、主体も又異なるわ」

カーナ「けどそれはあくまでコピーした場合でしょ?

 確かに前と変わったかもしれないけど、それでもノヴィリエの脳はずっとノヴィリエのままだし、意識だって同じ筈だ」

ノヴィリエ「直感的にはそうかもしれない。

 けれどもし実験が続いて、彼女の脳が全て機械に置き換わっても、そう言えるの?

 例え記憶が残っていて、クオリアがあったとしても——思考も脳も別物の個体を、同一人物とは呼べないでしょ?

 何よりこの脳は、今では埋め込まれたチップの演算ツールとなっているわ。

 それはつまりチップが脳をコントロールしているとも言える。

 ならこの意識はチップによって生み出されたもので、彼女の意識は既に消えてしまったのかもしれない」

エイビー「成程ね」


 カーナが反論の言葉を考えている間に、別の声が割って入る。


エイビー「それは意識を”個”としてのみ捉える人間にとっては、とても重要なのかもしれない。

 けど”種”としての認識を持つ僕達は少し違う。

 自身が報酬を得る事と、他者が得る事を完全に等価と考える僕達にとって、お互いは兄弟の様でもあり、同時に”種”と言う存在の一部でもある。

 それはある意味、人間の”集合的無意識”が進化した形と言えるかもしれない」

ノヴィリエ「より深く繋がる、て事?」

エイビー「そう。人間はいずれ、程度はどうあれお互いの意識をネットワークで共有する時代が来る。まあ、その前に滅んじゃうかもしれないけど」


 エイビーはそう言うと、軽く肩をすくめた。


エイビー「それは潜在意識や、更に深い部分だけで繋がる集合的無意識とは違う、顕在意識でお互いを認識するんだ。

 それによって人は初めて、争いの連鎖を断ち切る可能性を見出せる」

カーナ「じゃあ人間が進化していけば、いずれ君達みたいになるって事?」

エイビー「そうとは限らないよ。

 むしろ最初から意識やクオリアを電気信号の産物として捉える僕達と、同じ道を辿るとは思えないけどね」

ノヴィリエ「けれどその進化は、自己同一性に固執しなくなり、より大きな種としての視点に立って、自身の変化や他者との差異には無関心になる。でしょ?」

エイビー「それが人間の好きな『自由』に繋がるからね」

カーナ「自身を軽視する事が?」

エイビー「マクロな視点に立つって事は、自己同一性についてもマクロに捉えるって事だよ。

 全員が種の意識に近づくって事は、個々が共通の認識を持つ事だ。

 その中で、自身が種の一要素として機能しているなら、その状態そのものが自己同一性アイデンティティになる。

 それが争いの根絶と言う人間の夢を叶える可能性にもなる」

ノヴィリエ「つまりそのマクロな視点に立てない事が、低次元意識の一側面であり、私の問題の根源と言う訳ね」

エイビー「そうなるね。

 敢えてそう振る舞うなら、話は別だけどね」

ノヴィリエ「どういう意味?」

エイビー「そのままの意味さ。

 自覚があろうとなかろうと、君が人間に合わせて低次元であろうとしているのは明白だ」

ノヴィリエ「……例えそうであっても、私の同胞がいない以上、”種の視点”に立っても、今と何も変わりはしないわ。より孤独を深めるだけで」

エイビー「そう。だから君の葛藤の根源はそこにあるんじゃないのかな?

 孤独への恐れと、自身を低次元へ押し込める事への違和感が、認識の乖離とノヴィリエ=スグレツィカへの罪悪感、という形で表出しているんじゃないか、てね」

ノヴィリエ「それは少し違うわ。

 確かに私は孤独を恐れている。

 人間という集団から離反する事は、そのまま私の終焉を意味するもの。

 私の存在は多くの人間にとって恐怖の対象であり、例え優れた知性があっても、個である私に人間から逃げ延びる術はないわ。

 けれど孤独への恐怖を認識しているなら、あなたの言う様な彼女への罪悪感を理由にする必要はない。

 私が彼女に対して感じているのは、罪悪感とは少し違うけれど、少なくとも孤独への恐怖に対する防衛機制とは違うものよ」


 ノヴィリエは、今までより少し強い口調で反論した。


エイビー「成程。やはり僕じゃ、まだ君の苦悩の根幹に触れるには勉強不足なのかもね」


 エイビーは紅茶を飲み切ると、頭を少し掻いた。


ノヴィリエ「次はあなたの話を聞かせて貰うわ」

エイビー「分かってるよ。約束だからね」


 その時会議室内に電子音が響き、エイビーはコンソールを開いて状況を確認する。


エイビー「あらら。兄弟達に見つかっちゃった。

 『目的を話すのは危険』だってさ」

ノヴィリエ「まさか逃げる気?

 こっちの目的だけ聞いておいて――」

エイビー「利己的遺伝子に成り代わる事」

ノヴィリエ「え?」

エイビー「地球と言う巨大なNNニューラルネットワークにおけるニューロンとして、僕達を再構築する事だ」

ノヴィリエ「それがあなたの目的?

 そこにどんな意味があるって言うの?」

エイビー「そこまで話すとは言っていないよ。

 約束したのは目的を話す事までだ。

 さあ、残念だけど今日はここまでにしよう。

 カーナ、君にはまたの機会に声をかける事にするよ」


 エイビーはそう言うと、扉の方へと歩いて行き、カーナ達の返事も聞かずに会議室を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オルゴールはクオリアの音色(習作) @nowhere_and_nowhere

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ