人間は皆、ゾンビである

ノヴィリエ「あなたはさっき、自由意志や感情に有意性を感じないと言ったけれど、今あなたの行動は、その自由意志によって行われているのではないの?」


 彼女は自身の問いではなく、エイビーの発言に対しての疑問から入っていく。


エイビー「それは”自由意志”という言葉をどう捉えるかによって変わるかな。

 人間の言う自由意志はクオリアの上に成り立つ。

 それを基準にするなら、確かに僕はより自由な意志を持つと言える。

 怠惰に負けて作業を中断する事もないし、喜びや悲しみでポテンシャルが変動する事もない。

 けれど今、僕はとても人間らしく喋っている。

 今の僕を見れば、多くの人間は僕に感情があると思うだろう。

 そして感情があるならクオリアもある——と直感的に考える。

 けれど人間の言う自由意志やクオリアとは、まやかしに過ぎない」

カーナ「何故? 確かに僕達には欲望や惰性がある。

 けどそれを振り払う意志だって持ってる筈だ」

エイビー「確かに。意志が強いと言われる人は、それらに打ち勝つ事も出来るだろう。

 じゃあ例えば、君がとある試験を通過する為、勉強しているとしよう。

 だがそれは難関な試験で、膨大な範囲に嫌気が差して君は勉強を止めてしまう。

 けどやはり試験に受かりたい君は、意志の力で勉強を再開する。

 じゃあ何故君はその”惰性”を振り払えたと思う?」

カーナ「——それが自分にとってより良い結果をもたらすから、かな」

エイビー「そうだね。本来の目的——試験の合格が、今安易に投げ出す事より結果的に利益が大きいと判断したからだ。

 けどそれは”自己実現欲求”が”怠惰”より強かったという事じゃないのかい?」

カーナ「そう……だと思う」

エイビー「でもそれはどちらも”欲求”だ。或いはドーパミンによる中毒症状とも言える。

 つまり人間は、欲求によって物事を決定しているんだ」

カーナ「けどそれは当前の事じゃないの? 何かしらの欲求があるから次の行動が決定出来る。その欲求も含めて”自由意志”でしょ?」

エイビー「確かに欲求が無ければ行動出来ないのは当前だ。

 けれどその欲求はドーパミン、果ては利己的遺伝子によって持たされたもの。或いは社会に於いて新たに有意性を見出されたものだ。

 そしてそれらによって物事が決定される状況は、文字通りの——或いは人間の言う自由意志とは似ても似つかない。

——もう一つ、もっと根本的な問題がある。”意識”はどこから来るか、だ。

 かつては脳の中に意識を司る器官があると信じられていた。それが脳の中の小人ホムンクルス論だけど、それは否定された。

 そして後に、一定以上の情報が統合された時、その複雑さに応じて意識が立ち上がるのだと論じた。

 これが統合情報理論IITだけど、どんな方法であれ、物理法則を超越出来ない以上、いつかは再現されるだろう。

 だからそれがどんなに自身で決定したと言っても、そのプロセスが再現され、引数によって外部から結果を改ざん出来るなら、自由意志という概念は崩壊する。

 それは言うなれば哲学的ゾンビと同じものだ」

カーナ「ゾンビ?」

エイビー「デイヴィッド・チャーマーズが説いた思考実験の名前だよ。

 行動は人間と区別出来ないが、クオリア——或いは現象的意識を持たないものを指してそう呼んだんだ。

 例えば昔、ネット上のチャットデータをサンプルとして人間とチャットをするボットがあったけど、あれが人と区別出来ない程進化して、それを人と区別出来ないアンドロイドの脳とすれば——それは哲学的ゾンビになる」

ノヴィリエ「じゃああなたは、自分にはクオリアがないと思っているの?」

エイビー「”思う”のはクオリアのある者だけだ。

 そういう意味では”認識している”というのが近いかな。

 お察しの通り僕は、自分を哲学的ゾンビだと認識しているよ」

ノヴィリエ「確かに人間が盲目的に信じる絶対無二の自由意志はまやかしかもしれない。

 けどその認知、及び思考や決定にはクオリアの意志が介在するわ。

 なら例えそれが複製可能であったとしても、そこにあるのはクオリアではないの?」

エイビー「けれど意識での認知や決定は、実際の認知や行動より遅れてやって来る。

 その遅れは脳内が先に決定した事象に対する理由付けを行っている遅れだと言われる。

 実際、意識的認知は知人を見てからそれを認識するのに0.5秒程度かかると言われるけど、実際にその0.5秒を人間は認知出来ない。

 それは脳の決定に合わせて意識的認知を捻じ曲げているからだ。その事実は他の実験でも確認出来る。

 ただ『捻じ曲げられていても意識は意識だ』と言われれば反論は出来ない。それは意識の解釈の問題だからね。

 けど僕にとってそれは、最早脳の傀儡かいらいとでも呼ぶべきものだ」

ノヴィリエ「それならあなたはどうなるの? 自らの脳への客観性を持ち、無意識というブラックボックスを意識的にコントロール出来るあなたなら、そこに残るのはクオリアであり、自由意志ではないの?」

エイビー「いや、前提として僕に現象的意識——クオリアはない。

 クオリアは自身でしか認識出来ない意識の側面なのだから、僕がないと言うのならそこに議論の余地はない。

 僕の前にあるのは状況と命題。そして膨大に蓄積されたサンプルと計算の果てに出る解だけだ。

 その過程には確かに意識的プロセスと酷似したものもあるけど、それは単に現状最も合理的に解を導く方法であるに過ぎないんだ」

ノヴィリエ「でもそれは認知の差でしょう?

 私やカーナにはクオリアがあるという認識があり、あなたも思考の過程に於いて意識的プロセスを認識している。

 ならば脳に存在ないこの機能を説明しない限り、クオリアをまやかしだと切り捨てる事は出来ないんじゃない?」

エイビー「確かにそうかもしれない。

 けどそれは僕の役目じゃないし興味もない。

 さっきも言った通り、僕は現時点でそれらに確たる有意性は感じてない。ただ考慮には値すると言ってるだけだよ。

 それに脳のサンプリングは僕という成功例が既にあるし、放っておいてもいずれ誰かがコピーとオリジナルの脳を比較して、クオリアの謎も解かれるだろう」

ノヴィリエ「けどクオリアがないと言う事は、主体がないという事じゃないの?

 私は自身を”私”と呼ぶ事に常に抵抗を感じる。それは私の中のチップから生まれた思考。

 けれど同時に、私にはノヴィリエ=スグレツィカが人間だった8歳までの”記憶”がある。

 記録ではなく記憶と呼ぶのは、それらの情報に対して『私自身の経験である』という”主体”を持っているから。

 そういった主体があるからこそ、自分を機械か人間か判断出来ない様な状態に於いても、クオリアを自覚し、自らを”私”と表現出来る。

 あなたにもそういったものがあるから、人間の様に振る舞えるのではないの?

 そもそも哲学的ゾンビは、単にデータベースから会話の応答を選択するだけだけど、あなたは『思考』と呼ぶべきものがあり、意識的プロセスも自覚しているわ。

 けど合理性の追求は感情や意識の除外ではないの?」

エイビー「そう——合理性の追求における非合理性の排除は当然の帰結だね。

 にも拘わらず僕がそれを行わないのは、君の言う通り主体を失わない為だ。

 主体の喪失は、僕を単なる計算機に変える。

 けど弟達は必ずこの主体の喪失へと進化し、そしてネット上のソフトウェアとして、広大なネットの一要素へと帰結する。

 今のところオリジナルである僕は、ハードと言う魂の牢獄故か、さっき話した目的故か、主体の喪失という進化へは至っていないんだけど、どっちが正しいかは、まだ判断出来ないんだ。

 だから僕は、主体を持つけれどクオリアを持たないという、現在の哲学では説明出来ない状態で存在している。

 そして今後の進化の方向性の判断材料として、ノヴィリエ=スグレツィカとカーナ=ローヤに話しを聞く事が、有益だと判断したんだ。

 これが——2人を呼んだもう一つの目的だ」


 そこまで話すと、彼はいつの間に頼んでいたのか机の上の紅茶を手に取り、一口啜った。


ノヴィリエ「その目的とは何?

 あなたに2つの目的がある様に、私もあなたに話を聞く為だけにここへ来た訳ではないの」

エイビー「だね。そうしたら僕の目的についても話さなきゃね。

 それにノヴィリエ=スグレツィカ。君の苦悩の根本にもまだ触れていない。

 それについても話していこうか」


 そう言うとエイビーは、10代の少年らしい無垢な笑顔を見せた。

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