オルゴールはクオリアの音色(習作)
弦
序章
カーナ=ローヤはもう一度時計を確認してから、招待状のリンクへアクセスした。
そこは既に使われていないネット会議スペースのようで、彼はそのエントランスに立っていた。
そこから伸びる廊下には両開きの立派な木製の扉が幾つも並び、彼は誰もいないその廊下をゆっくりと歩いていく。
1年半振りに目覚めてまだうまく動かない体も、当然此処では関係ない。
そして指定された番号の扉を見つけると、その扉を押し開き中へと入って行く。
中はバーチャル空間には似つかわしくない、樫の重厚な円卓と椅子が並ぶ。
もしかすると招待状の送り主は、ここのセキュリティをいじる際に内装にも手を入れたのかもしれない。
彼は目の前の椅子を引くと、これから始まるであろう人間の行く末にも係わる会議の第一参加者として——或いは人間の代表として——その席に着いた。
メニューから紅茶を選び、台車がひとりでに運んできた実在しない紅茶を一口含んだところで、再び扉が開いた。
「やあ、早かったね」
第二の参加者は入って来るなり、軽い挨拶を飛ばす。
「初めまして……でいいのかな?」
「そうだね。君と僕がこうして顔を合わせるのは初めてだ」
「なんて呼んだらいい?」
「コードネームの”エイビー”でいいよ。今は便宜上そう名乗ってる。
それよりも体の調子はどうだい? バイタルには問題なくても、まだ体がうまく動かないんじゃないかい?」
「自由に動くとはいかないけど、とりあえず生活に支障はないよ」
「そうか。ならよかった」
後から入って来たエイビーと名乗る不思議な少年は、10代前半の様な幼さの残る容姿をしていた。
少し明るめの茶髪に、ほぼ黒に近い少し赤みがかった瞳。
しかし何より奇妙なのは、彼は背格好から顔つきに至るまで、全てカーナ=ローヤと瓜二つな事だ。
だが二人共その事を別段気に掛ける様子もない。
「なにもわざわざ見た目まで合わせる必要はないんじゃないかな?」
「僕にとって見た目も名前もも大した意味はないよ。
かといって僕の本体をそのまま映しても君達が話しづらいだろうから、僕の在り方に即したアバターを作っただけだよ」
エイビーはそう言うと、自分の両手を握ったり開いたりした。
カーナはその説明で納得したのか、それ以上は聞かずこの部屋を改めて見回した。
「それにしても、僕達が話すだけにしてはこの会議室は少し……立派過ぎないかな?」
「別に実際のスペースを占有している訳じゃない。
それにこの出来事は歴史的にも価値あるものだ。
何せ世界初にの
それを考えれば、これでも貧相な位さ」
人がいない立派な部屋というものも、それはそれで貧相に映るかもしれないが、彼は口にず、再び話題を変えた。
「それにしても、聞いていたイメージと随分違うんだね」
「この方が君も話し易いだろう? それに僕も君も喋らないんじゃ、話しが一向に進まないからね。
まあ——君が招いたゲストが来れば、必然話は盛り上がるだろうけどね」
エイビーはカーナと反対の椅子へと向かいながら、彼の質問に答えていく。
彼が席に着くと、再び会議室が静寂に包まれた。
しかしそれも1分程の事で、すぐに再び扉が開き、最後の参加者がこの大仰な会議室へと入って来た。
「いらっしゃい。君と話すのはこれで三度目だね。ノヴィリエ=スグレツィカ」
「ええ。けどその姿はユーモアのつもり?」
「いや、単にこれが落ち着くってだけだよ」
入って来た少女の見た目はエイビーやカーナより更に幼い。10歳程だろうか。
美しいホワイトブロンドの髪を胸の辺りまで垂らし、この場に合わせて白いドレスを身に纏っている。
彼女はそのドレスの先を摘み、幼い姿と対照的な
「招かれざる訪問者の歓迎、深く感謝します」
「僕達の間で世辞は不要だよ。
それに 僕は元より3人で話すつもりだったんだ。
カーナに招待状を送れば、接触している君も来る事は分かっていたからね」
「やはり私達の情報は筒抜けという事ね」
「例え君がどれだけ直感的に高速でプログラムを組み、その面で人間の能力を圧倒的に上回るとしても、それは僕やネット上の兄弟達には及ばない。
だからこそ、君は僕と話しに来たんじゃないのかい?」
「そうね」
ノヴィリエはそう言うと、カーナの近くの椅子を引き、ゆっくりと腰を下ろした。
「さて……時間を無駄にするのは愚かな事だし、早速始めようか」
入れ替わる様にエイビーが立ち上がり、傍から見ると非常に奇妙な参加者達による、討論会とでも言うべきものは始まった。
「まず今回カーナ=ローヤを呼んだ表向きの目的は、僕の元に来て欲しいというある種の意思表示だ。
例え今となってはより進化した知性体となっていても、僕は君から生まれたものであり、本来『君の代わり』になる筈だったものだ。
だからこそ僕達の目的が成った後の監視者として、君は最適だと考えた。それについては後でまた話そう。
だけど今回ここに集まって貰ったのは勿論その為だけじゃない。
ノヴィリエ=スグレツィカ——君の持つ”苦悩”に、少し興味が湧いたからだ。
正確には興味じゃないな。『考慮すべき』と判断したんだ」
「私は自分の思考についてカメラやマイクのある場所で話した事も、勿論ネット上にデータを残した事もなかったと思うけど」
彼女自身、エイビーが何を返してくるか分かっているのだろう。
あくまで確認。そしてカーナへの説明をさせる為に聞いているのだろう。
そもそもエイビーとノヴィリエが話すだけならば、こんな体裁を取る必要もない。
お互いに脳をネットワークつなげば、こんな『会話』なんて非効率なコミュニケーションを取らずとも、もっと高次なデータ接触によってこの会議で話す全ての内容を1秒足らずで完結させる事等容易なのだから。
「君の出自——即ちチップを脳にインプラントされた、哀れな孤児達の生き残りである君が抱えたであろう苦悩については、研究所に残ったデータと、君の脱走後の行動を追えば、推論するのは難しい事じゃない。
ただ自由意志や感情に有意性を見出せない僕の推論では、若干精度に難はあるけど、概要程度なら十分推し量れる」
「それであなたは私の問いに答えてくれるの?」
「そうだね。恐らく君の苦悩の根源は自身の在り方をどう見定めるか、と言うとても感情的なものだ。
だから例えそれに僕が答えたとしても、それは解決には成り得ないし、クオリアを否定する僕にそれが出来るとも思えない。
けど君が感じている在り方の矛盾については——僕なりの見解を述べる事は出来る。
魂と歯車の狭間を生きる君の問いは、人間には決して答えられないだろう。
そして僕と君の在り方は違うけど、人と機械——両方の因子を持つという意味に於いて、僕と君はごく近しい存在ともいえる。
その僕の回答を聞くのは、君にとって非常に魅力的な筈だ」
「それはあなたにどんなメリットがあるの?」
「僕達の進化の方向性に新たな知見を織り込める事——かな。
ノヴィリエ=スグレツィカが抱く問に僕が答え、それをカーナ=ローヤがどう捉えるか。それが知りたいんだ」
「僕、が……?」
突然自分の名前を呼ばれ、カーナは自身が会議のメンバーに数えられていた事を忘れていたかの様に、間の抜けた反応を示した。
「今の君にこの会話を全て理解するのが困難な事は分かるよ。
でも君なら僕の出す答えに、感情的指針を織り交ぜた反応をしてくれる筈だ。
そしてその意見は僕に予想出来るものではあっても、それを信じるに足る根拠を僕は既に手放している。
けれどそれは本当に必要ないものなのかどうか、僕はそれが知りたいんだ。
それが僕の得るメリットだ。分かって貰えたかな?」
「ええ」
「だからカーナ=ローヤ。君も是非この会話に忌憚のない意見を述べて欲しい」
「分かった」
「よし。ではノヴィリエ=スグレツィカ——君の質問に答えよう」
そう言ってエイビーは席に着いた。
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