最終回「ヒーローよ、永遠なれ」

 芳川陽色よしかわひいろ少年が正義のヒーローとして目覚めてから10年。彼は正義のヒーローとしての力を失いつつあった。

 元々、その力の源は苦手を克服しようとする強い意志から生まれるものであった。しかし、長い間怪人たちと戦う中で、数多くあった苦手な物を少しずつ克服していってしまったのだ。食べ物、運動、お化けや怪談に対する恐怖、勉強、運動など、ありとあらゆる苦手克服していった。陽色は、人として成長する代わりに、ヒーローとしての力を徐々に失っていたのであった。今では、彼にとって苦手と言えるものは無くなっていた。それは、正義のヒーローとしては致命的だと陽色は考えていた。

 今では、陽色はヒーローとしての力を思うように発揮できなくなっており、そのことを思い悩んでいた。

 

「どうしたよ、ヒーロー。そんな暗い顔をして」


 陽色に声をかけたのは小山内おさない武志たけしだった。小学生ながらに恵まれた体格をしていた武志は、そのまま順調に成長し、190cm近い身長と、筋肉質な体を手に入れていた。高校から始めたラグビーでは才覚を表し、今では大学の強豪ラグビー部でレギュラーを張っている。そんな武志と陽色の付き合いは小学生の時から、現在に至るまで続いている。


「その呼び方はやめろよ。俺はもうヒーローなんかじゃない」


 陽色がそう言いたくなるのも仕方がない。先日、とうとうヒーローとしての力が足りず、怪人に負けてしまったのだ。そのときは警察の機動隊が数の暴力によって、どうにか撤退まで追い込んだのだが、陽色は完全に足手まといになってしまったのだ。


「俺なんかがヒーローをやるべきじゃなかったんだ。もっと他に相応しいやつがいるさ。なあ、正義の味方さん。聞こえてるんだろ?」


 正義のヒーローとしての力をくれた、正義の味方とやらの声は、最初に変身して以来、聞くことが出来なくなっていた。


「それ、光莉の前では絶対に言うなよ。ヒーローとしてのお前を誰よりも応援して支えてきたのはあいつだ。その今までを全部否定するようなもんだぞ」


 園田光莉そのだひかりとの交流も、小学生の時から続いていた。ヒーローとして戦う陽色を時に励まし、時に支えてくれていた。その様子は、傍から見ると夫婦のようであった。

 中学の時、光莉から陽色に告白した事があったのだが、彼は、「全ての怪人を倒して世界が平和になるまで待ってほしい」と返事を先延ばしにしていた。


「残念だったな、武志。そのアドバイスは20歩くらい遅かった」

「……それで喧嘩してしょぼくれてんのか。ったく、お前ってやつは、ヒーローの事になると途端に周りが見えなくなるな」


 武志は呆れたようにため息をついた。


「うるせえ。ヒーローは悪を滅ぼす程に強くなきゃいけないんだよ」

「……なあ。お前は、悪を滅ぼす為にヒーローになったのか?」


 どういう事だ、と尋ねようとした瞬間、遠くから悲鳴が上がった。聞き覚えのある、女性の声だった。


「この声、もしかして光莉じゃねえか!?」


 武志がそう言い終わる前には、既に陽色は悲鳴が聞こえた方向へ走り出していた。それを見て武志は、


「やっぱりお前はヒーローだよ」


と、呟いた。



 しばらく走って、陽色は悲鳴の発生した場所に辿り着いた。そこには、怪人がいた。


「貴様が正義のヒーローか。貴様の力は今弱まっているらしいな?」


 以前陽色が逃した怪人から聞いたのだろう。その怪人は不敵に微笑んだ。


「私は全ての怪人を統べる者。よくも長い間我々を邪魔してくれたな。」

「悪の親玉がのこのことやって来てくれたのか。良いのか? 悪が滅びるぞ?」

「ほざけ。貴様、弱体化しているのだろう? この機会に殺してやる」

「やれるもんならやってみな」

「ほう、あくまで強気な態度は崩さないか。では、これならどうかな?」


 そう言って怪人が指を鳴らした。すると、突如空中に禍々しい眼球のオブジェクトが出現した。その中から聞き慣れた声がした。


「陽色!」


 その中に捕らわれていたのは、光莉だった。陽色は思わず声を荒らげた。


「光莉!」

「くくく、やはり貴様の知り合いだったか。正義に満ちた嫌な臭いがしたので、もしかしたら、と思って捕らえたが、正解だったようだな」

「おい、光莉を離せ! あいつは関係無いだろ!」


 怪人の笑みが、酷く醜悪なものへと変わる。


「そこまで慌てると言う事は、余程大切な人なのだな。最高にツキが回っているな私! いいか? この眼球は今から10分後に、中にいる娘の魂と引き換えに、世界を悪に染め上げる。娘を助けたかったら、私を倒す事だな!」

「言われなくともそうしてやる! 待ってろ光莉!」


 そう言うと、陽色はポケットからケースを取り出した。中に入っているのはパクチーだった。苦手な物がほとんどなくなってしまった陽色にとって、パクチーは唯一、かろうじて苦手と言えるものだった。それを躊躇いなく口にする。そう、苦手と言っても、躊躇せずに食べられる程度の苦手意識しかなかった。  

 いつもだったら、それで変身するはずだった。しかし、いつまで経っても、何の変化も起きない。慌ててパクチーを追加するが、何も起こらない。 


「くっくっくっ……、ハァーッハッハッハッ! まさか、敵の親玉を前に変身出来ないとはな! そこまで弱体化していたのか、ヒーロー!」

「そんな、おいなんで変身出来ないんだよ!?」

「変身できないのならば、ヒーローもただの人間だ。私が手を下すまでも無いな」


 そう言って怪人は指を鳴らした。陽色の周りに、黒ずくめの人影が4体出現した。怪人の手下だった。


「こうなったらこの状態で戦ってやる!」

「駄目だよ陽色、いいから逃げて!」


 現れた手下たちは、普段の陽色であれば、歯牙にもかけないような相手だった。あくまで、変身していれば、の話だが。

 手下のひとりが陽色に飛びかかって右手で殴ろうとする。辛うじて左に避けるが、その先で待っていた別の手下の左ストレートが顔面に直撃した。

 それを目撃した光莉は小さな悲鳴を上げた。それ程にその打撃は芯を捉えていた。脳が揺れて、足から一瞬力が抜ける。そこに後ろからまた別の手下が飛び蹴りを食らわす。前に倒れそうになったところに、右にいた手下が腹にアッパーを叩き込む。 

 余りに一方的な戦いに、光莉は思わず顔を両手で覆い隠し、怪人は高らかに笑った。


「ハァーッハッハッハッ! 無様だな! ヒーロー!」

「お願い、もうやめて! もう充分でしょ!?」

「いいや、まだだ。奴には長い事苦労させられたからな。もがき苦しむまでいたぶってから殺してやる」


 陽色は既に地面に倒れていたが、怪人の手下たちは、追撃の手を緩めなかった。傷だらけの陽色を、ひたすらに蹴り、踏み、踏みにじり続けた。痛みで意識が朦朧とし始めていた中で、何故かその声ははっきりと聞こえた。


「助けに来たぜ、ヒーロー」


 途端に手下たちの攻撃の手が止まった。何事かと、陽色が痛む体を起こすと、そこには武志がいた。


「怪人相手にタックルなんてした事なかったけど、案外効くもんだな」


 そう言う武志の目線の先には、強烈なタックルを食らって気絶した怪人の手下がいた。


「ば……か……やろう……むちゃ……すんな……」

「ばーか、無茶してんのはどっちだよ。困った時くらい助けを呼べっての」

「ふざ……けん……な……たすけ……るの……」

「助けるのは俺の役目だってか? バカ言え。助けるのがヒーローの役目なんじゃ無い。助けようとする気持ちがあればそいつはヒーローだろうが。今のお前は目的と手段がごっちゃになっちまってる。一回頭冷やせ。その時間くらいは稼いでやる」

「おい……バカ……やめろ……」


 陽色の言葉を聞かずに、武志は怪人に向き直った。


「つーわけで怪人さんよお! うちのヒーローはまだ寝ぼけてやがるから、代わりに俺が相手してやる! ヒーロー代理だ、よろしくな!」 

「無茶だよ武志! お願いだから陽色を連れて逃げて!」

「大丈夫だ光莉。その内ヒーローが助けに来るから、心配しないで待ってろ」

「手下のひとりを倒した程度でいい気になるなよ? 人間!」


 その言葉を合図に、残った手下たちが武志を取り囲もうとする。しかし、それが終わる前に、武志はその内のひとりに強烈なタックルをかました。相手の腰より低い所に自分の肩を当て、膝裏を両手で刈り取るように引き寄せる。まさに理想的な、ラグビーのタックルだった。それがきれいに決まり、手下は地面に頭を打ち付け、気絶した。

 すかさず立ち上がり、別の手下にタックルを食らわす。その手下も気絶した。その光景に、陽色も怪人も呆気に取られた。しかし、怪人は我に帰ると、


「ただの人間相手に何を手こずっている!」


と、声を張り上げ、指を鳴らした。先程の比ではない程の数の手下たちが現れ、一斉に武志に飛びかかる。彼は、鍛え上げた肉体でなんとか応戦しようとしていたが、余りに多勢に無勢であった。


「もういいよ武志! このままだと死んじゃうよ!」

「うるせえ! いいから黙ってヒーローを信じろ!」


 陽色は、その光景を見ているだけの自分自身に歯噛みしていた。目の前に倒すべき悪が存在しているのに、なんで力を発揮できないんだ。今こそ正義の力を発揮する時だろうが。何でだ。これじゃあ悪を滅ぼす事ができないだろ。何がヒーローを信じろだ。肝心な所で役に立たないヒーローなんて信じられないだろうが。

 そう考えるうちに、武志の傷は増えていき、光莉のタイムリミットも迫ってくる。このままだと本当に2人とも死にかねない。大切な人がいなくなってしまう。それは嫌だ。ああ、光莉が泣きそうな顔をしている。泣かないでくれ。


 俺は君に泣いてほしくなくて、ヒーローになったんだから。 

 

 そう考えた瞬間、ふと体が軽くなった。そうか、そういうことか。だから俺はヒーローに変身できなかったのか。


「なあ、正義の味方よ。もう一回、力を貸してくれるか?」


 ――答えを見つけたんですか?


「ああ、もう間違えないよ」


 ――では、ヒーローの力とは何のための力ですか?


「大切な人を、守る為の力だ」 


 ――今度は、見失わないで下さいね。


 その言葉を最後に、正義の味方の声は聞こえなくなった。代わりに、陽色の体を眩い光が覆う。余りの眩しさに、その場にいた全員の目が眩む。やがて、光が収まると、そこには、いつもの、赤いヒーロースーツに身を包んだ陽色が立っていた。


「遅えんだよ、ヒーロー」

「ヒーローは遅れてやって来る、ってね」


 変身の際の光で、怪人の手下たちは消し飛んでいた。その事に怪人は唖然としていた。


「そんな馬鹿な……」

「悪いな、こっから先はヒーローの時間だ」


 そう言って陽色が一歩目を踏み出した、そうおもった次の瞬間には、既に怪人の後ろにいた。腕には光莉を抱えていた。


「ごめんな、光莉、怖い思いさせたな」

「ううん、大丈夫。ヒーローが来てくれたから」


 その声に対し怪人が振り返った瞬間、いつの間にか腹に空いていた大穴から血が吹き出し、空に浮かぶ眼球のオブジェクトは真っ二つに割れた。あの一瞬で、陽色は怪人を倒し、光莉を救い出していたのだ。その事に気付くことなく、怪人は息絶えた。

 

「良かったね、陽色。ヒーローの力が戻ってきて」

「ああ、でもこの力はもう要らないよ。怪人の親玉はさっき倒したからな」

「じゃあ、世界は平和になったんだね!」

「そう。だから、光莉に伝えたい事が有るんだ」

「え? 何何?」


 光莉の無邪気な笑顔が、陽色に向けられる。この笑顔に何度助けられた事だろうか。


「好きです。もうヒーローじゃ無くなるけど、これからも俺の隣にいてください」


 光莉の涙を見るのはこれで最後になるようにしよう。もうヒーローの力は無いけど、君だけのヒーローとして守り続けよう。そう決意した。

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正義のヒーローはピーマンが嫌い 西藤有染 @Argentina_saito

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