チョコミント・コーション

 かわいい、かわいい、なんてみんな言うけれど、私には分かっている。こんなかわいさは長続きしない。いつまでもかわいがってもらえるかわいさじゃない。

 鏡を見る度に思う。顔がかわいいわけじゃない。

 未成熟な身長、聞く人によっては小馬鹿にされたように感じる幼い話し方、人より半歩小さく歩くところ……そういう姿を大雑把おおざっぱな目で見て、みんなで「サキちゃんかわいい」と思い込むことで、私のかわいさは成り立っている。まるで集団での自己暗示だ。

 暗示はいつか解ける。かわいがるのにちょうどいい小動物が、よく見たらそんなにかわいくないとみんなが気付いたとき、そこに私の居場所はあるのだろうか。顔面微妙なちんちくりんの綿菓子女子なんて、ただイタいだけだ。

 いずれ高校生になれば、大人っぽい美人さんが圧倒的な支持を得るに決まっている。

 例えば、薄葉はくばさんのような。

 薄葉さんはとっくに確固たる地位を築いているけれど、私達中学生の手に余る。だから薄葉さんはいつも一人だ。子供達がはしゃいでいる中心で、たった一人、薄葉さんだけどこか遠い景色を眺めている気がする。

 その薄葉さんに呼び出されて、私は教室の扉の前にいる。

「サキちゃんへ 渡したい物があります。放課後、教室に来てくれますか。 薄葉」

 下駄箱に入っていた封筒を開けると、便せんには整った文字が並んでいた。

 男子からの手紙は珍しくなかったけれど、薄葉さんからなんて信じられなかった。イタズラかもしれないと少し考えて、でもすぐに違うと思った。徹底的にシンプルな文面、大人もれぼれするであろう美しい筆運び。何より、薄葉さんの名前をかたってイタズラを働く度胸のある人が、この学校にいるはずない。

 教室の中を盗み見ると、窓際で本を読む薄葉さんが見えた。

 薄葉さんから個人的に物をもらうところを、誰かに見られるわけにはいかない。人が少なくなる完全下校時刻ギリギリをわざわざ狙って来た。いよいよ女王への謁見えっけんといった感じで、体がこわばる。

 二回ノックして「失礼します」と、戸を開ける。

 薄葉さんは文庫本をカバンにしまいながら「サキちゃんにもノックされちゃった」とつぶやいた。

「え?」サキちゃんにも?

「なんでもない」と、薄葉さんのカバンから取り出されたのは、手のひらほどの箱。

「とある人がサキちゃんに渡したかったけど、直接渡せなかったらしくて。だから代わりに」

 なんだそういうことか。薄葉さんから何かをもらう義理なんて無いと思っていたから安心した。今日はバレンタインデー。この手のお願いごと、十分ありえる話だ。でも、よりによって薄葉さんの手をわずらわせてしまったのは、一体どこの誰なのだろう。

「名前は言えないけど、サキちゃんも知ってる人。受け取ってくれる?」

 気付けば「ありがとう」と両手を差し出していた。見透かされたようだった。

 箱はピンクの包装紙に包まれ、たくさんの小さなコスモスで埋め尽くされていた。中学生にもなってこんな子供っぽいデザインを選ぶなんて、センスが無い。

「チョコレートを包むのに、コスモス柄の包装紙。良いセンスだね」

「……そうだね」

 薄葉さんがそう言うのだから、私のセンスがズレているに違いない。

「そういえばサキちゃん、桃田先輩と付き合ってるんでしょう」

 隠し通せるわけがないとは思っていたけれど、それにしても女子の情報網は早い。いつも一人行動している薄葉さんの耳にも入っているなんて。

 野球部の部長、桃田先輩。私の親友、萌恵もえちゃんが好きな人。親友が好きになった人だもの、気になるに決まっている。私の本命、三嶽みたけ君に協力してもらって探りを入れた。たったそれだけのことだったのに、私は気に入られてしまった。

 桃田先輩が薄葉さんにフラれたのは学校中の誰もが知っていることだ。だから「どうせ二番手でしょ」と思っていたし、私は三嶽君しか見ていない。でも、またフラれるのもかわいそうだから、少し彼女になってあげた。すぐに別れるつもりだった。萌恵ちゃんに返さなくちゃいけないし。

 薄葉さんにそんなこと言えるはずない。私にできることなんて、かわいい女の子でいることくらいだから。

「まだ付き合い始めたばかりで、なんか気恥しいよ」

 薄葉さんは微笑みかけてくれる。そしてカバンに手を差し入れて、また箱を取り出した。さっきもらったチョコと同じくらいの大きさ。

「だから、こっちは私から」

 深い茶色の包装紙に赤いリボン。薄葉さんの上品なたたずまいは、箱にさえ宿る。

「中身はミント風味のチョコなんだけど、嫌いだったら他の人にあげて」

 受け取る手が震えてしまう。薄葉さんから、私に、プレゼントだなんて! 桃田先輩と付き合っているのをよく思わない子がほとんどだし、陰口を叩かれていることも知っていた。薄葉さんだけは、わざわざプレゼントを用意して祝福してくれる。それなのに、私ときたら。

「チョコミント好き! ありがとう薄葉さん」

 持ち前の、作り物のかわいさで喜ぶ私に、薄葉さんはまたニコリとしてくれる。こんなに素敵な微笑み、桃田先輩にはもったいない。きっと私にも。

「帰ろうか」と、薄葉さんがカバンを手に取ると、それを合図に待っていたかのように完全下校時刻のチャイムが鳴った。

 薄葉さんは扉を開けて廊下に出ると、突然立ち止まった。すぐ後ろに付いていたけれど、薄葉さんの背中にぶつかる寸前で身を引き、事なきを得た。薄葉さんは振り返らない。ほんの少し首が動く。美術品みたいな凹凸おうとつの横顔。

「そういえば、チョコレートコスモスの花言葉、知ってる?」

 不意の問いかけに戸惑った。チョコレートコスモスなんて花は知らないし、当然に花言葉も知らない。

「プレゼントって、贈る人の強い気持ちが詰まってると思うの。贈られる側には想像もつかないような」

 私の答えなんて待っていないみたいに、薄葉さんは続ける。

「サキちゃん、その思い、ちゃんと受け取ってね」

 両手の小箱が、ぐっと重みを増した。

 かすかな吐息を漏らして、薄葉さんは言った。

「誰もがみんな、本当に欲しいものが手に入ればいいのにね」

 全身の肌が粟立あわだった。どうしようもなく悲痛に満ちた、叶わないことを呪う声。白い横顔は、身を投げようと崖下がいかのぞく人を思わせた。

 薄葉さんは、全ての人の、ありとあらゆる諦めを背負っているのかもしれない。本当に欲しいものを手に入れられず、ありあわせの幸せで埋めて補って、代わりに諦めをつかまされてさまよう人々。そんなみんなの諦めを召し上げて、代わりに幸福を願う祈祷きとうを捧げながら、自身は誰かに幸せを与えてもらおうなんてつゆほども期待していない。

 私も、萌恵ちゃんも、桃田先輩も、きっと薄葉さん自身も。欲しいものに向かって伸ばした手は空を切り、灰色の世界をさまよい続けている。

 息が詰まって、ただ立ち尽くしている私に構わず、「それじゃあ」と目の前で扉が閉められた。

 薄葉さんからもらった箱に鼻を寄せるとミントが香った。みずみずしく爽やかな香りで曇った視界が晴れて、詰められた思いが見えた気がした。

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