マイルドヤンキー・ゴシップ

 吉沢よしざわさんはいつも放課後の図書室に一人で居座っている。完全下校時刻になるまで読書したり宿題をしたりしている。

 豊かな睫毛は手元の本に影を落として、きりりと光を放つ眼に気品を添える。深窓の令嬢よろしく、凛と背筋を伸ばし、時折耳にかかる黒髪をかきあげながら読書に耽る吉沢さんこと、私は、芸術品のごとし美少年が、艶めかしく絡み合う甘美な物語を心ゆくまで味わっていた。至極のひと時である。

 ガラガラと引き戸を開ける音で、静寂と平穏は破られた。

 見回りの先生だろうか。三時に退勤する司書の先生ではないはずだから。放課後の図書室に訪れる生徒は、特別に鍵を貸し出されている私以外にはいない。

 床を打つ上履きの音が近付いてくる。私に向かって。

「あ、いた」

 私の姿を認めて足を止めたのは、同じクラスの三獄みたけ君だった。

 三獄君とのエンカウントは、私にとって一大事だ。

 彼はヤンチャ系生徒の一味なのだ。否、ヤンキーの取り巻きとか、金魚のフンとか言った方が正しいかもしれない。

 彼自身はバイクを廊下に乗り入れたり、スプレー缶で先生の車に現代アートをこしらえたりはしない。本物ヤンキーの威を借りてすることと言えば、気弱な生徒を捕まえてからかったりすごんでみたり、トイレの個室を取引場所に、他の取り巻き仲間といかがわしい雑誌をコソコソと融通し合ったりといった具合だ。

 後戻りできない非行には走らない彼は、本物ヤンキーのような金髪にはしない。微妙な髪色の変化をもって、自身をヤンチャ系の人間だと誇示している。そのくせに、顔立ちは小学生から卒業できていないような幼さが色濃い。

 誰が言い始めたのかは知らないけれど、そんな彼には密かに二つ名が付くこととなった。【マイルドヤンキー】と人は呼ぶ。流行語大賞にノミネート実績のあるこの名称にはきちんと定義があるようで、調べてみたら、三獄君を言い表すのに当たらずとも遠からずと言えた。

 マイルドとはいえ背後にいるのは本物ヤンキーだ。ひとたび目を付けられれば、魔の手ならぬ荒くれ猿の手が私に及ぶかもしれない。

 波風立てぬよう息をひそめ、文学少女として日々を過ごしている私が関わっていい相手ではない。侮るなかれ、マイルドヤンキー三獄。

 長机を挟んで仁王立ちする三獄君は、改めて見るとあまり背が高くない。横に並んだら私と同じくらいだろうか。野球部に入っているというのに、その体付きはお世辞にも引き締まっているとは言えない。ちゃんとトレーニングしろ三獄。

「放課後は図書室にいるって、本当だったんだな」

「それ、誰に聞いたの」

 私のプライバシーが漏洩している……!

「サキ。吉沢って帰りの会終わってソッコー消えるけど何やってんの、って聞いたら教えてくれた」

 サキちゃんは、クラスで良くも悪くもの代名詞的な女の子。私はちょっと苦手な子だ。三獄君ってサキちゃんと仲良かったかなぁと考えて、そういえば、と思い当たったことを口にする。

「そっか。サキちゃん、部長の桃田ももた先輩と付き合ってるもんね」

 三獄君の目が見開かれて、私はうろたえる。何か地雷を踏んだに違いない。

「お前、どうしてそれ知ってんの。俺、部長から口止めされてるんだけど」

 密談でもするみたいにささやいた。私達の他、誰もいないのに。ともあれ、ヤンキーの手に引き渡されるような惨事にはならなそうだ。

 サキちゃんと桃田部長の仲については、探るまでもなく耳に入ってきた。

「小耳に挟んだだけで」と言うと、三獄君は嬉しそうに長机に身を乗り出した。

「じゃあ、桃田部長が薄葉はくばさんにフラれたってのも?」

 それだって光の速さで伝わってきた。

 薄葉さん。この学校でその名前を知らない人はいない。一点の汚れもなく完成された女性で、一際目立つのに決して群れを作らない孤高の女帝。そんな薄葉さんに想いを寄せることすら不義なのに、あろうことか言い寄るなんて、仏ですら三回お許しルールを忘れて鬼の形相になる所業だ。

 大変不敬なことだけれど、薄葉さんについては下世話な話も密かに囁かれた。学年主任のおじさん先生と腕を組んで歩いているのを見かけたとか、お姉さんの彼氏と隠れて付き合っているとか。どれも嘘に決まっている。

 それにしても、薄葉さんからサキちゃんまでって……ストライクゾーンが広いな。それって野球部としてどうなの、桃田部長。

「それよりも、私に用があって来たんでしょう」

 私の情報ネットワークを詮索せんさくされる前に話題を変えたかった。

 三獄君が私を探してわざわざ図書室に足を運んだ理由……はっ、まさか。

「お金なら持ってないよ……?」

 おとなしい文学少女と認知されている私だ。格好の的に違いない。

「バカ、カツアゲなんかしねえよ」

 だとすると、もう一つの可能性は。

「じゃあ、まさか、体……?」

「お前、普段そういう本読んでんの?」

 己を恥じた。よもや、三獄君に冷ややかな眼差しを向けられようとは。深窓の令嬢への道は遥か遠く、そして険しい。私の感覚で、深窓の令嬢に一番近いのは薄葉さんだ。「好きな花は」と問えば、きっと「なでしこ」とか「コスモス」と、かわいくて清楚な花の名を挙げ、片や私は「彼岸花」「クロユリ」なんて答える。

 白百合であらせられる薄葉さんを目の保養にしようと校内をうろつくならまだしも、私が探される理由なんて皆目かいもく見当がつかない。

 三獄君は、向かいのイスにどっかりと深く腰を下ろした。何のサービスのつもりか、腰パンのせいでトランクスが見えた。赤のタータンチェック柄だった。

「今日って、バレンタインじゃん。チョコ余ってねーの?」

「そうだっけ」とにごしてしまう。知らなかったわけじゃない。渡したい相手がいないだけだ。でもそれを口にするのは、思春期の女子にとってご法度はっとのような空気があった。くだらないことに。女の子は恋をしていなければならないらしい。

「忘れてたのか。じゃあチョコ持ってきてないのか」

「え。うん、持ってきてないけど」

「なんだ、そうか」

 どこか残念そうな口ぶりで席を立ち、呆然とする私に背を向けた。何もかもはっきりしない野球部男子の背中は、猫背の割に大きく見えた。

「あのさぁ、明日もここにいるのか?」

 図書館にそぐわない大きく上ずった声が響く。

「いるけど」

 きっと明日も放課後の図書室に。明後日も、明々後日も、その先だってずっと。白百合に憧れながら、この図書室でこけになる。

「そっか。じゃあな」

 三獄君は逃げるような早足で、引き戸を乱暴に開けて出ていった。え、どういうこと?

 不思議なことに、素行不良な男子に心惹かれる女子が存在する。三獄君でさえベビーフェイスのおかげで結構人気を集めている。今日だってチョコをもらっているはずだ。私のような日陰者にチョコを無心する必要無いはずなのに。

 はたと気付いた。私しかいない放課後の図書室にやって来た。四六時中一緒にいるヤンキーもどき達と一緒ではなく、一人で。明日も会えるか、なんて気にして。

 もっと早く気付けばよかった。私に会いに来る理由なんて、一つしかない。

 机を叩いて立ち上がる。イスが倒れるのもそのままに、三獄君の後を追う。

 開けっぱなしの出入り口で、振り返った三獄君と目が合った。私がドタバタと迫る音が聞こえていたらしい。とてつもなく恥ずかしい。

「ちゃんと好きになってもらえるか、分からないけど!」

 寒い廊下に、私の呼気が白く流れる。飛び出した大きな声が反響して、三獄君は一瞬驚いたようだ。それからイタズラっ子みたいに、とはにかむ。寒さからか真っ赤になった耳と頬が、三獄君をより幼く見せた。

「俺の方こそ」(と聞こえた気がするが、どういう意味だろう)という三獄君の声にかぶせて、私は続けた。

「私の本に興味あるんでしょ。明日、一緒に読もうね!」

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