それでもこの冷えた手が
湖城マコト
冷えた手と娘の優しさと、原稿用紙と万年筆のお話し
冬を迎えたこの時期、僕の手はとても冷たくなる。
そんな僕の手を心配して、幼い娘は温かくなってねと、よく僕の手を擦ってくれる。
微笑ましいし、とても嬉しい。
手は冷たいままだけど、心はとても温まる。
「幼稚園は楽しい?」
「うん、たのしい!」
妻が出張で不在のため、この日は僕が娘を幼稚園まで送り届けることとなった。
自宅から幼稚園まではそれほど遠くないので、手を繋いで徒歩で幼稚園を目指す。手を冷やさないように、お互いに手袋をはめている。念のため、僕の手袋は厚手のものだ。
「あら、そういえば今日は、お父様のご送迎でしたね」
「ええ、妻が仕事で出張中でして」
幼稚園へ到着し、先生へ娘を預ける。
普段は妻が出勤途中に娘を預けていくため、僕が娘を送ることは珍しい。
悪気はないのだろうけど、先生の視線は自然と僕の手へと向いていた。
申し訳ないと思ったのだろうか。ハッしてを顔を上げた先生は、バツの悪そうな表情を浮かべていた。
気にしていませんよと、僕は小さく首を横に振る。
「また後で迎えに来るからね」
「うん。またね、パパ」
笑顔を浮かべる娘の頭を撫でてから、僕は幼稚園を後にした。
「……冬は苦手だ」
この時期はどうしても、両腕のジョイント部が微かに痛む。
早目に自宅に戻って、娘の迎えの時間まで仕事に没頭することにしよう。
〇〇〇
自宅へ戻り、コートとマフラーを脱ぐ。
仕事にかかる前に、一杯温かいコーヒーでも淹れようかと、キッチンへ向かう。
「おっと」
手を洗う寸前に、まだ手袋をつけたままだったことを思い出した。
手の感覚がないもので、時々、自宅に戻っても手袋を外し忘れてしまう。
両手の手袋を外すと、金属光沢を伴う機械の手が姿を現す。
体温を持たぬ機械の手は、冬場はとても冷える。
前腕のジョイント部で断熱されているので、体にまで冷えが伝わることはないけど、手が冷たいことで娘に心配をかけさせてしまうことは心苦しい。
一応、事情を噛み砕いて説明はしてみたけど、幼い娘はまだ、僕の両手が機械になってしまったのだということを、完全には理解出来ていない。
十カ月前、僕は大きな事故に巻き込まれた。
幸い命は取り留めたものの、両手を失い、最先端の高性能義手を繋ぐこととなった。リハビリの甲斐もあって、今では本物の手のように、指の一本一本までコントロール出来るようになっている。日常生活や仕事にもほとんど支障はない。
「さてと、仕事に入りますか」
コーヒーを注いだマグカップを手に、仕事場である書斎のデスクへかけた。
コーヒーを一口含むとマグカップをデスクの隅に置き、書きかけの原稿を広げ、万年筆を手に取る。
僕の仕事は作家だ。元々はパソコンで執筆していたけど、リハビリを経て、先月に復職してからは、原稿用紙と万年筆での執筆に切り替えている。
僕はリハビリ期間中、神経と繋いだ機械の義手を自在に扱うための訓練の一環として、紙とペンを使った筆記を頻繁に行った。
そういった経緯もあって、義手の扱いに慣れた今でも、僕は筆記で物語を綴るという行為に強い思い入れがあるのだ。
変化が現れたのは執筆スタイルだけではない。作品に関してもだ。
これまではダークな世界観や鬱展開を中心とした物語を送り出して来た僕だけど、今は温かい、ハッピーな物語に挑戦している。大事故を経た今だから生み出せる、前向きな物語だってあるはずだ。
もちろんこれまでの作風を否定するわけではない。ダークな世界観や鬱展開の物語も変わらず執筆していく。それとは別に、ハッピーな物語を執筆する機会も設けていこうということだ。作風の幅が広がるのも良いことだろう。
体温を持たぬ僕の機械の手。
それでもこの冷えた手が綴った物語が、誰かを温かい気持ちにさせることが出来たなら、僕はとても嬉しく思う。
〇〇〇
「おっと、もうこんな時間か」
夢中で執筆していたら、随分と時間が経過していたらしい。
そろそろ出かけないと。
僕は幼稚園へ娘を迎えに行くべく、手袋をはめ、コートとマフラーを身に着けた。
了
それでもこの冷えた手が 湖城マコト @makoto3
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