最終夜 星降る夜に

「そこ、脚をもう一本ねじ込んで」

「あれ、これってどこに付くんだっけ」

「それはこっち。ほら、これでOKだ。そろそろあんかと毛布出して」


 私たちは深夜の展望台に上り、赤いフィルターを取り付けた懐中電灯の灯りを頼りに毎度おなじみの作業を繰り返す。


「ど真ん中でいいよな」


 彼はそう言うと、ようやく組み立て終わった一辺が60センチにも満たない足つきの木枠を持ち上げ、あらかじめデッキに敷いた分厚いアルミレジャーシートの上にゆっくりと下ろす。

 私はそれを見届けると、背中のナップザックからガンガンに熱を発する物体を取り出し、彼が置いた木枠の中央にはめ込むと、スライド式の蓋をかぶせて毛布をその上に広げた。

 最後に小さな座布団を取り出すと、こたつをはさんで向かい合わせにセットする。


「よーし、かんせー」


 少し離れて宵闇を透かしてみると、そこにはだれがどう見てもシュールな光景が生まれていた。


「あのさあ、毎回思うけど、こんな屋外にこたつがあるってちょっと変な眺めだよね」

「まあな。でも、これがないと一晩中流星観測なんて出来ない。凍死すんぞ」

「まあ、確かにねー」


 私は苦笑すると、そそくさと靴を脱いで完成したばかりのこたつに潜り込む。そのまま上を見上げると、雲一つ無い夜空に冬の大三角がギラリと輝いて見えた。




 私は、普通の高校天文部に所属する、ごくありふれた高校生だ。

 幽霊ばかりで構成されている天文部員の中にあって、まともに活動しているのは私と、十年来の幼なじみである彼くらいのもので、自然と二人連れ立って夜中にうろつくことが増えた。

 とはいってもここ、関東の片田舎にはゲームセンターもなければ終夜営業のコンビニもない。地域にたった一件のスナックに至っては同級生の親が経営していたりする。非行になんて走りようがない。

 そんなわけで望遠鏡を持ってえっちらおっちらと深夜徘徊する私たちをとがめ立てする大人もおらず、そのうち、運動公園の小高い丘の上にある展望台の屋上がなじみの観測場所になった。

 回りを取り囲む林の木々から頭一つ飛び出した展望台は無駄に広く、一周すればかるく五十メートルくらいはある。なんでも、特別地方交付金とやらの使い道に困った役場のえらい人が思いつきで作ったものらしく、太い丸太を高く組み合わせたとても立派な作りなのだけど、普段は訪れる人など誰もいない。

 ただ、ここからだけは、隣の町、さらにその向こうにある中核都市の街あかりをかすかに眺められる。私たちの小さな町の、たった一つだけ外の世界に開いた窓がこの展望台なのだ。


 夜になるとあたりはすっかり闇に沈む。

 周囲に街明かりはなく、かわりに星空は果てしなく美しく、なんと“肉眼で”天の川までくっきり見える。天体観測には最高のロケーションなのだけど、一つだけ欠点がある。ここはとにかく寒いのだ。

 夏はともかく、秋の終わりから春先にかけての観測はほとんど命がけだ。

 星に詳しい人なら判ると思うけど、実は天体観測のベストシーズンは夏ではない。むしろ空気が澄んで安定する秋から冬の方が星は美しく見える。

 とはいえ夜になると簡単に零度を下回る気温に生身の人類わたしたちは太刀打ちできない。

 ある時、そのことを何気なくばあちゃんにグチると、翌日、埃だらけの古ぼけた短い角材の束と、クッションのような形の金属の塊が目の前に差し出された。


「ばあちゃん、これ何よ?」

「こりゃあ、こたつだ」


 どうやら、組み立て式のこたつのようだ。


「でもばあちゃん、展望台には電気ないのに。どうすんの、これ?」

「こりゃあ電気はいらん。この四角いのは“豆炭まめたんあんか”っちゅうてな、丸めた石炭を燃料に使うんよ」


 ずいぶん長いこと倉の奥で眠っていた古道具らしい。

 だいたい“豆炭まめたん”なる代物が何だかよくわからない。でも、隣町のホームセンターに問い合わせると驚いたことに今でも普通に取り扱いがあるらしく、数日で大きなダンボール入りの豆炭が家に届けられた。

 “豆炭”というのは、石炭や木炭の粉をひとにぎりの大きさにぎゅっと固めた燃料で、見た目はヤマザキのランチパックをパンパンに膨らませて真っ黒けにした上で、大きさを四分の一にした感じ。伝わるかな。

 そして、これまた四角い巨大などら焼きのような一辺が30センチほどの金属製のケース“あんか”の止め金をはずしてパカリと開き、ガスコンロで焼いて真っ赤に熾きた豆炭を六個ばかり入れると完成だ。この、厚みが10センチ近くもある金属ケースには特殊な断熱材が分厚く敷き詰めてあり、赤く焼けた豆炭が何個も入っているのに、外はちょうど熱いお風呂くらいの温度に保たれる。一度豆炭を入れると丸一日以上暖かい。

 というわけで、ばあちゃんのおかげで見たこともなかったレトロな道具が手に入った。その威力は絶大だった。

 どんなに寒い場所でもかまわず大量の熱を出し続けるので、電気こたつなんかとても太刀打ちできない圧倒的な暖かさを誇る。独特の匂いがあるのと、わずかながら一酸化炭素を出すらしいので密閉した家の中で使うにはちょっとアレだけど、アウトドアならなんの問題もない。

 最強ウエポンを手に入れた私たちは、三大流星群のうち二つ、寒さに負けてくじけていたふたご座流星群としぶんぎ座流星群の終夜観測にも挑戦するようになった。

 そんなわけで、くだんの展望台の屋上はいつしか私たちの中で“こたつ天文台”なる謎のキーワードで呼ばれるようになる。誰も知らない、私たち二人だけに通じる合言葉だ。




 高校三年の12月半ば、私たちは久しぶりにこの“こたつ天文台”に出向いた。

 さすがに年を越してしまうと受験も本番なので、多分、これが最後の観測になるだろう。

 私は早々に町役場に就職が決まっていた。一方で成績優秀な彼は県外の工業系大学を目指していた。今のところ判定はA、突然のトラブルが起きない限り合格はまず間違いないところで、それはつまり、私たちの関係の終わりを意味していた。

 私は、彼の事が好きだった。一年生の時からずっと好きだった。

 彼が私のことをどう思っているかは知らない。まさか嫌われてはいないとは思う。でも、どうしても告白する勇気を持てずにいた。

 私は、深夜の展望台でこんなふうに彼と二人きりで過ごすのがいつも楽しみだった。小さなこたつに身を寄せ合わせ、時には寝転んでそのまま満天の星を眺めるこの得がたいひとときを、宝石のように大切に思っていた。

 この宝物を失うくらいなら、このままでいい。そう自分に言い聞かせ、長いこと気持ちを抑えつけていた。でも……。

 結果がどっちに転ぼうと、今晩が本当に最後だ。

 年が開けると自由登校になり、二人きりで彼に会えるチャンスはほとんどない。このまま自然消滅するくらいなら、砕ける前提で当たってみるほうがまだましだ。

 そう決心した私は、心臓のドキドキを抑えながら、その夜最初の流星が流れるのをいまかいまかと待った。




「あ!」


 それに気づいたのは彼の方が先だった。


国際宇宙ステーションISSだ!」

 流れ星じゃなかった。


 見れば、北の空をまっすぐ横切るように、一等星くらいの光の点が瞬きもせずにゆっくりと移動していた。


「俺さあ、本当はアレに乗るのが夢だったんだよね」


 私は機先を制されてうまく反応できず、毛布の端を握りしめてあいまいに頷く。


「でも、国際宇宙ステーションってもうすぐ廃止になるって……」

「そうなんだよね」


 そう言って彼は小さなため息をつく。

 主に予算上の問題から、何度も運用停止がささやかれ、それでもなんとか今まで運用が続いていた人類唯一の宇宙基地。

 だが、さすがに老朽化には勝てなかった。

 モジュールの大半が廃棄処分になり、ドッキングを解除して部分ごとに軌道を下げ、最後には大気圏に落として燃やしてしまうのだと聞いた事がある。


「ISSは廃止になるけど、日本モジュール“きぼう”の再利用は割と真剣に議論されてるんだ。一番可能性が高いのは、“きぼう”を月軌道の向こうまで押し上げて、スペースコロニーの一部にする計画」

「あぁ、サンライズプロジェクト? 本当に?」


 正直その話は初耳だった。


「そう。内山田、あいつの親がJAXAに勤めてて、こっそり教えてくれたんだ。EVA船外作業エンジニアの大量募集がもうすぐ始まるんだって。将来的にJAXAが改組してもっと大きな組織になるっていう話もあるし……」


 彼はそこまで言って小さく咳払いをする。


「僕が大学を卒業する頃には、宇宙はきっと、もっと身近になっている。僕みたいな男でもなんとか手が届きそうなんだ。だから……」

「だから?」


 彼はそのまま言葉を切り、夜空を見上げて黙り込んだ。

 私もつられて夜空を見上げる。その時、星が流れた。


「あの!」

「あのさ!」


 二人同時に切羽詰まった声が出た。


「あ、ごめん。何?」

「私は後でいい……なあに?」


 彼は小さく頷くと、再び夜空を見上げる。


「実現までにちょっと時間はかかっちゃうけど……」

「うん?」

「その時は一緒に、俺と一緒に……」

「はい」

宇宙都市スペースコロニーに住まないか?」

 星空が、じわりとぼやけた。

 



 ひとつ、また一つ、星が流れる。

 今年のふたご座流星群は、いよいよ極大を迎えようとしていた。


(了)

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宇宙都市物語 凍龍(とうりゅう) @freezing-dragon

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