放課後モノクローム

koumoto

放課後モノクローム

 廊下はモノクロームだった。ぼく以外の生徒は誰も見当たらない。夕日の差し込む廊下は色彩が剥落しており、時間の凍結したその廊下は、完璧なるモノクロームだった。

ばくが出たね」

 ぼくはつぶやいた。先ほどまでの正常空間の中でなら、独り言となるしかないそのつぶやき。

「上階だよ。誰かの夢が喰われている」

 傍らには、言葉を解する猫の霊。わが魂の愛猫。猫は九つの魂を持つという言い伝えからとって、九重ここのえと呼んでいる。重ね合わされた魂。その中のみそっかす、引き立て役の魂が九重。このモノクロームの空間も、現し世と彼岸の重なりの境い目にある、廃棄領域だ。

「それじゃあ、階段を上らなくちゃな。嫌だな。なにかが待ってそうだ」

「きみがそう思うなら、なにかが待っているのだろうよ」

 九重は、恐怖を抱くなと警告している。廃棄領域では、恐怖は実体化する。ぼくの余計な物思いが、また新たに怪物を増やしたというわけだ。

 モノクロームの廊下を、ぼくらは歩く。白黒の校舎は、余計な色彩も喧騒もなくて、とても居心地がいい。その空間を消去するために、ぼくらは動かねばならないわけだが。でも、死刑執行人が死刑囚を愛しても別にかまわないだろう。

 階段の手前で、ぼくはトイレに入る。

「用でも足すのかい?」

「鏡を見たかっただけさ」

 トイレの手洗い場にある鏡を眺めると、やはりぼくも九重も映らない。上等だ。ぼくも正常空間にはいながらにしていない。ここにしかいられない存在。魂の写しの写しの写し。劣化コピーだ。

 自分の存在の稀薄さを実感すると、勇気がわいてくる。廃棄領域はぼくの庭だ。ぼくが生きられる唯一の場だ。

「さて、行きますか」

 ぼくはぼくの生きられる空間を破壊するために、階段へと向かった。

 階段は、踊り場を挟んで折り返している。どう見ても危険な場所だ。曲がり角は、世界の転換を促す結節点だ。階段の踊り場も、また。

 一段目、ぼくは足をかけた。音はない。モノクロームに包まれた校舎は、人声もなく、とても静かだ。二段目、三段目。なにも起こらない。

 踊り場にたどり着く。血だまりが点々と。黒く踊り場を染めている。

「九重、先に上っておいてくれ」

「きみが死ねば、俺も無事では済まないだろうよ」

「わかってるよ。死にはしないさ」

 九重は、素早く階段をかけ上った。

 階段の踊り場には、ぼくひとり。魂の出来損ないであり、正常空間を生きるぼくの深層ですら生存権を持てない、ぼくひとり。

 敵は、上から来た。天井にへばりついていた、巨大なアシダカグモのような黒い影が落下してくる。

 ぼくはポケットから釘を出して、影の中心部、果実の核のような繊細な秘所に突き刺した。影は釘の先にかけらをこびりつかせただけで、落下の勢いのままに溶け去っていった。

「ぼくの恐怖も、こんなものか。拍子抜けだな」

 階段を上り、うずくまるようにして待っていた九重と合流する。

「この先の教室だよ」

 九重に案内されながら、ぼくはモノクロームの廊下を歩く。無人の廃棄領域を攻略していく。こころ躍るピクニックだ。たとえもう少しで、ぼくたちの存在が終わるとしても。

 教室の扉を開ける。教卓の上に貘が鎮座ましまして、見えないなにかにむしゃぶりついている。アリクイのようにずんぐりした、欲深い悪魔。

「あの位置は、生徒ではなく教師の夢を食べているのか」

「そうなるね。珍しいパターンだよ」

 そう言って、九重は手近な机に跳び乗り、貘を見つめる。

 貘が咀嚼の動きを止めた。なにかに感づいたように、辺りをうかがう。しかしぼくらを見つけられない。貘のいる廃棄領域と、ぼくたちのいる廃棄領域は、位相がずれている。ほんの少し重なっているだけ。それを貫く、九重の視線が、貘を実体化させ、ぼくにも観測を可能にしている。

「バイバイ、夢に寄生する悪魔。あの世でいい夢みなよ」

 貘の眼をぼくは釘で刺した。黒い血がしたたり、叫びにならない叫びをあげて、貘は溶けていった。

「さあ、これできみもお役御免だな。まもなくこの廃棄領域も崩れ去り、きみも俺も消えるだろう。また新たな貘が現れるまでは」

 机から跳び降りて、九重は教室の扉まで、俊敏にかけていった。そこで振り返り、ぼくを見つめた。

「俺は残りの時間、ネズミでも探しにいくよ。きみはどうする?」

「そうだな……窓から外でも眺めてるよ」

「ふうん。好きにしな」

 そう言って、九重は教室を出ていった。

 ぼくは誰の席だかわからない窓際の椅子に座り、外を眺めながら待つことにした。

 モノクロームの空が裂けていく。モノクロームの夕日が墜ちていく。モノクロームの木々が風に揺れながら死んでいく。

 ぼくはなぜだか微笑んでいた。もうすぐこの世界も終わる。もうすぐぼくの生も終わる。目覚めるときは、また新たな廃棄領域、また新たな終わりの世界だ。そんな刹那の終末しか与えられなくとも、人生はこれほど楽しいし、これほどに美しい風景を見ることができるのだ。

 モノクロームの廃棄領域で、空間もろともに死のうとしながら、窓辺でぼくは、鼻歌でも歌いたいような上機嫌のまま、崩壊の景色を眺めつづけた。

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