『私を殺してください』

右助

『私を殺してください』

 東条伊月(とうじょういつき)は人の話を聞くのが好きだった。人の数だけ話がある。そしてその内容はその人以外には絶対に喋れない固有のモノである。しかし特段、その話を集めて何かをしようという気はなかった。ただ、聞いて、自分の糧にしたいのだ。日々を退屈に生きたくない自分なりの、せめてもの努力。

 好きこそモノの上手なれとはよく言ったもので、この『人の話を聞く』という趣味がいつの間にか、その日の食事代を稼げるような仕事に昇華していたことにはさすがに驚いた。

 所謂『お悩み相談』だ。懺悔部屋とも言える。中々どうして、この仕事は自分にとっての天職とも言えた。お金をもらって、人の話を聞く、ただそれだけで良いのだから。……何だかたまに罪悪感のようなモノを感じてしまうのがたまにキズだが。

 そんな彼の事務所兼自宅となっているのはボロボロの平のオフィスである。不動産屋に頼み込み、タダ同然で手に入れたものだ。後でその値段の理由を聞いてみると、ここでは自殺や強盗等で死亡者が多数出ているとのこと。価格の真相を聞いてもなお、東条はこの事務所を出る気にはなれなかった。むしろ、よりここを出る訳には行かないという決意を固めたぐらいである。

 何せ、生者の常識の外を生きている者達だ。自分なぞ空想することすらおこがましい経験をしているに違いない。その者達と対話出来た時、自分にとって如何な経験値になり得るか想像しただけで堪らない。その一心から、東条がこの話を聞いた時にまず行なったことと言えば、こっそり貼られていた御札を全て剥がすことであった。

 聞く者が聞けば悪質極まりない事態であったが、東条はそれすらも喜んだ。業者に場所を聞いたところ、全部で三箇所。

 一つ目は事務所の壁紙を一部剥がさなければ見つからない壁の内側。二つ目は何故か意味深に置かれていたフレームが歪みに歪んだ書類棚の裏側。少しだけ動かしたらすぐに見つけられた。三つ目はなんと自分が使っている事務机の天板裏であった。椅子をどかして、下に潜り込み、上を見上げなければ絶対に見つからない場所。……ある意味、良い根性をしているな、と東条は当時を思い出し、僅かながらに微笑を浮かべた。


「……ああ、そろそろか」


 東条はふと、机に置いてある時計に目をやった。百円均一で買ったモノの、ある意味『品格』とも皮肉れるチープさが良く目立つ逸品だ。

 その短針と長針が正午に重なった瞬間、事務所のチャイムが鳴らされた。老朽化に伴い、小気味良いはずの音色がホラー映画で人の恐怖心を煽れる程度の不協和音となっていた。

 東条はそんな音よりも、今回の『お話相手』が扉をゆっくりと開けて入ってくる様子に注視していた。


「ほう」


 人の第一印象は刹那で決まる。東条が抱いた第一印象はずばり『陰鬱とした少女』である。

 まず目に入ったのは黒髪。顔上半分を覆い隠すくらい長い前髪、そして地に付きそうなほどの後ろ髪。見る者が見ればこれだけで精神的に距離を取ってしまいかねない雰囲気だ。だが、自分にして見たら、首を撥ねられてもピンピンしていない限り、皆平等に接するため、東条は特段、表情を変えることはなかった。

 少女はゆっくりと事務机に腰を下ろしている東条の元まで歩み寄ってきた。歩くたびに揺れるブレザーの制服には見覚えがあった。

 この辺りでは一番のお嬢様学校である『烏丘中学校(からすおかちゅうがっこう)』のものだ。


「ようこそ『東条お悩み相談所』へ。貴方が昨日、私に電話をくれた方ですか?」


 そう問うと、少女は小さく頷いた。前髪で表情が全く見えないので、そこに含まれている喜怒哀楽の感情を読み取ることは出来なかった。

 とりあえず貴重なお客様をもてなそうとしたが、東条は来客用のお茶が切れていることを思い出してしまう。どうしようか思案していると、少女は一歩踏み出し、『本題』を切り出した。



「――私を殺してください」



 これまた面白そうな『お話相手』が来た。皮肉でない、百パーセントの本心。東条は内心、笑みを浮かべた。



「その前に、まずはお話を聞かせてください」



 そして、東条は彼女をボロい応接椅子に座らせながらいつもの、何なら口癖と呼んで差し支えないお決まりの台詞を口にした。

 結局、ペットボトルのお茶で我慢してもらおう。東条はそう心に決めた。



 ◆ ◆ ◆



 伊須遊里(いずゆり)。それが彼女の名であった。

 中々裕福な家庭にいるようで、身に纏っている制服が伊達ではないことが示された。

 故に益々東条は理解に苦しむこととなる。だが、それを突き付ける前に、まずは最低限の礼儀をこなすこととした。


「改めて自己紹介をさせてください。私はこの『東条お悩み相談所』代表兼今回のお相手となる東条伊月と申します」

「東条、さん……」


 呟きながら、遊里は東条からもらった名刺をまじまじと見つめていた。しかし、前髪で目が隠れているため、これは東条のただの想像であったが。

 ともかく礼儀は済ませた。なれば、あとは趣味を楽しむだけである。


「早速、話を聞かせてもらいましょうか伊須遊里さん。そうだな……まずは先程の『私を殺してください』、という発言はどういうことでしょうか?」

「……私、生きていても意味がないから」

「それで私に殺してくれ、か。なるほど、随分とこの事務所も有名になったものですね」


 続きを促すと、遊里は東条の目も見ず、とつとつと語り始めた。どちらかというとこの方が良い。合いの手は最低限に。彼女が気持ちよく語れる雰囲気作りこそ何においても重要なのだ。

 要約すると、こうである。


「なるほど。その容姿からクラスメート達からは気味悪がられ、なおかつ虐められていると。それでお母様お父様はそんな遊里さんに対して、特に何もしてはくれない。そういうことですね?」

「ママもパパも、仕事をしているんです。それも地位のある。だから何もしてくれません。“私が恥ずかしい”から」


 遊里の言葉が両親の紛れもない本心なのだろうということは容易に想像が出来た。どれくらいの地位かは興味の一欠片もないが、仮に東条が想像しているようなレベルならば、部下達から陰口を叩かれるかもしれない、又は既に叩かれているとしたら。

 十全の悪意を抱いて発言している者は数えるレベルであろう。大半がただの“興味本位”。無邪気な刃が長く浅くその身を切り続けていたらどうなるかは想像に難くない。

 気に食わない者をいたぶる。突き詰めればこのシンプルな目的に行き着くこの“虐め”はそれだけに根が深く、厄介極まりない。

 なれば――“死ぬしかないだろう”。


「貴方の悩みは分かりました、遊里さん」

「なら、私を――」

「ええ。殺して差し上げましょう」

「え……?」


 その瞬間、遊里の表情が僅かに強張ったのを確かに東条は見た。

 だが、あえて触れずに言葉を続ける。


「私は楽に貴方を殺せる方法をしっている」

「それは……?」

「まだ教えられない。何故なら、この方法にはこなさなければならない条件があるのだから」


 聞きたいですか、とそう東条は問い掛けた。

 遊里は少しばかり視線を彷徨わせ、後に、ゆっくりと頷いた。 


「あの……何をするんですか?」


 彼女の意志を確認した東条はさっそく行動に移る。古新聞が敷かれたおんぼろ椅子の上に遊里を座らせ、新品のゴミ袋の真ん中辺りに穴を開け、彼女に被せる。即席の散髪セットだ。

 困惑する遊里を尻目に、東条は事務机の引き出しの中に仕舞っていた新品のハサミを見つけ、それを手に取る。


「私の知っている方法は相手が心の底から『死にたい』と思えなければ効果が無いんですよ」

「なら私はもう――」

「まだですよ。その程度の『死にたい』では、私の方法は使えません」


 そう言うなり、東条は断りもなしに、遊里の長い前髪に手をやった。


「えっ、本当に何をするつもりなんですか……!?」

「私がお手伝いをしてあげるんですよ。死にたい、とそう思えるように」


 一瞬だった。遊里が抵抗するよりも早く、東条は彼女の前髪へ刃を走らせた。ブツリ、という僅か手応えの後、彼女の髪は古新聞の上に落ちていった。


「……ふむ、これは中々」


 そこには可愛らしい、歳相応のあどけない顔立ちをした遊里の顔が。目はぱっちりとしており、鼻もピンと筋が入っている。俗に言う、美少女という分類にカテゴライズしても誰も文句は言わないであろう。

 これではあまりにも勿体無い。あの前髪と、雰囲気のせいで誰にも気づかれていないはず。


「な、何で髪を切ったんですか……!? しかも勝手に……!」

「見た目が変わったことによるストレスで死亡願望を促すんですよ。動かないでください、今後ろの方も整えるので……」


 散髪に行く金もないので、東条はよく散髪屋の窓からマスターの技術を見て盗んでいた。そして何度も何度も自分で試すうちにいつの間にか、いっぱしのソレと何ら遜色ない仕事が出来るようになってしまったのだ。

 下手をすればそこら辺の散髪屋より高い技術で、遊里の髪をあっという間に整え終わる。


「これが……私?」


 ひび割れた手鏡を手渡すと、遊里は目を丸くしていた。話を聞くに、今まで髪を切ったことがあまりないらしい。それはつまり、ずっと容姿のことでからかわれていたことを示唆していて。

 呆けた顔で、すっかり短くなった前髪を手で弄っていた。


「ええ。これが貴方です。そして、明日はこれで学校へ行きなさい」


 その瞬間、遊里の表情が強張った。


「……嫌です」

「何故?」

「また虐められるから……」

「そうですね、そういう時にはこう言ってやりなさい。あとはまあ――」


 そうして、東条はしばらくの間、『死ぬための行動』を遊里に教授し、そしてすぐに彼女を帰らせた。


「さて、次はどのようなお話が聞けるのか」


 全ては自分が話を聞きたいから。東条の行動原理はそこに集約される。具体的に次会う日時は指定していない。

 来たければ来る、死にたければ勝手に死ぬ。そんなものだ――。



 ◆ ◆ ◆



 あれから二週間が経った。遊里は二日くらいの間隔で東条の所に顔を出すようになった。主に近況報告である。


「東条さん! 私、今日は皆とカラオケ行くんです!」


 たった二週間、されど二週間、といったところだろう。

 彼女、伊須遊里は間違いなく『変わった』。会うたびに表情はイキイキとしてきて、以前の陰鬱としていたモノは微塵も感じない。明るくなった、とそう言っても良いだろう。

 ――故に、そろそろ終わらせなければならない。


「遊里さん、二週間前の、貴方自身の発言を覚えていますか?」

「……はい」


 『私を殺してください』、彼女は確かにそう言った。そして、その言葉を叶えるために、東条は遊里の散髪をし、とあるアドバイスまでした。


「『誰にも遠慮することなく、思い切り行動してみなさい。どうせ死ぬのだから』……。東条さんのアドバイス通り、私はどうせ死ぬからって思い切り行動してみました」

「ええ、そのようですね」

「私、今までなりふり構わず何かをしたことがありませんでした。死ぬから良いや、と思ってとりあえず今までやれなかったことをやってみたら――色々変わりました」


 まずは驚かれたらしい。髪を切って容姿が変わり、そして今まででは想像すら出来ない行動をしたのだ。当然と言えば、当然。

 そこからは元々の容姿と、元来持ち合わせていたコミュニケーション力が合わさり、徐々に環境の改善に成功していった。

 最初に話した時から感じていたが、会話をしているとき、遊里はずっと東条に顔を向けていた。コミュニケーション能力が低ければ、まず目を合わせようとすらしない。だからこそ、東条はこの結果になるべくしてなったと振り返る。


「常に懸命になれる人間はそういないですよ。貴方はたまたまその瞬間が今、訪れただけです」

「私、知らなかった……死にものぐるいでやれば、何でも出来るんだって」


 ――だから。そう前置き、彼女は頭を下げた。


「私を殺してください、あのお願いは無かったことにしてもらえないでしょうか?」


 その声色は申し訳なさそうに、だが明日への活力に満ち溢れていて。

 頭を下げる彼女の髪のツムジを見つめながら、東条は不思議そうに、本当に不思議そうにこう言った。



「それは大丈夫です。何故ならもう――とっくに殺し終えたみたいなので」



 思わず遊里は顔を上げた。遊里の目には微笑をたたえる東条がいた。


「実に楽しかったですよ。死にたい、と絶望の淵に立っていた状況から一転、今では快活で友達とカラオケに行くような少女だ。その過程を聞くことの、何と有意義なことだったか」


 それに、と東条は続ける。


「私はちゃんと約束を果たしましたよ。あの頃の貴方は間違いなく、私に“殺された”」


 もう以前の遊里と今の遊里を比べたら皆、そのギャップに戸惑うことだろう。そもそも楽に死ぬ方法なんて安楽死か天寿を全うするくらいしか有り得ない。

 あるなら、自分が教えて欲しいくらいだ。

 東条は事務所の出入口を指差して一言。


「お行きなさい。もう、貴方には興味が湧きません。せいぜい何の面白みもない、私が話を聞きたい、とも思えないくらいのありふれた人生を生きてください」

「わ、私……ずっと、東条さんに言いたい事があったんです」


 熱の篭った瞳。感情の機微には聡い東条は彼女の気持ちに勘付いたが、生憎と自分が愛しているのは『人の話』だけであった。


「その言葉は私の興味を引くに値しません。次のお話相手が待っています。貴方は早く去りなさい、そして、もうこの事務所の敷居を跨ぐことが無いことを祈っています」


 それは明確な拒絶であった。その東条の意思に、遊里はハッとしたように目を見開いたあと、唇を引き結び、背中を向けた。泣いているのかどうか、それすらも興味が沸かない。


「……東条さん」

「何でしょうか?」


 最後に、遊里が振り向いた。その目には涙が滲み、無理やりにでも笑顔を作ろうと頬の筋肉が震えていた。

 そんな彼女が言った。



「――私を殺してくれて、ありがとうございました」



 それに応えることもせず、東条は事務所を後にする遊里をただ見送った。

 絶望から希望に移り変わっていく過程と話は本当に聞いていて楽しかった。まるで自分が彼女の保護者にでもなったような、そんな感覚があった。

 だが、そんな甘美な時間もついに終わり。

 また自分は『お話』に飢える日が始まるのだ。それで良い、それが良い。

 コン……コン、と事務所の扉がノックされた。ゆっくりと開かれる扉からは『お話相手』が顔を覗かせていた。その相手へ、東条はいつもの台詞を投げ掛けた。



「――ようこそ、『東条お悩み相談所』へ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『私を殺してください』 右助 @suketaro07

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ