ニードルおっぱい
「はぁ」
部室で先輩が大きくため息を吐いた。その動きにつられて、先輩の豊満な胸が僅かに揺れる。
制服も夏服に替わり、包み込む物が減ったせいか、より破壊力が増していた。
ん?
なんだろう。ちょっとした違和感がある。
頭の後ろの方をチリチリと焦がすような感じ。しかし、その違和感の正体に辿り着く前にまた、先輩がため息を吐いた。
「なんか今日は元気がないですね。先輩らしくないですよ?」
「まあね、例え私のように胸の大きな女性でも、いや、今回は『だからこそ』というべきなのかもしれないが、苦労があるのだよ」
そして憂鬱そうにもう一度ため息を吐く。
「実はだね……胸の大きな私は今朝、痴漢に遭ったのだよ」
「うわ……それは災難でしたね……」
こういうとき、男性側が気をつけるべきことはとにかく女性の話を聞くことだというのを何かで見たことがある。
解決策を模索するのではなく、あくまで共感する。とにかく話を聞く。それが大事なのだと。
だから、やたらと胸が大きいことを強調した導入にも僕はツッコまなかった。冷静になれ。
「最初は偶然かなって思ったのだよ。後ろの男性の顔がやたらと近かったり、腕がスカートに当たっていたのもね。電車は混んでいたし、こういう日もあるだろうと。しかし、私の胸は残念ながらこの通りだ」
そしてまた先輩がその大きな胸を自分の腕で下から抱え込んだ。
その大きな二つの膨らみは腕にゆったりと被さり、僅かに揺れていた。
「その男性は興奮を抑えきれなくなったのか、それとも私を見て声を上げなさそうに思ったのかは分からないがね、とうとうこの胸に手を伸ばしてきたのだよ」
……。
「こら。その痴漢に対して怒りを抱いてくれるのは嬉しいがね、そんなに握りしめては手が痛そうだよ」
先輩は立ち上がると僕のそばまで来てしゃがんだ。
そして優しく僕の手を撫でながらゆっくりと握りしめた手を開こうとする。
少しひんやりとした手。先輩の手が僕の中に煮える気持ちも一緒に冷ましてくれたようで、手から力が抜けていく。
先輩が僕の手を開かせると手の平は真っ白になって爪痕が付いていた。
「ったく。君は困った子だね。
まあ、それで痴漢は私のこの大きな胸を、不用意にも触る、いや揉んできたのだよ。でもね……」
先輩はそこで一区切り入れると自分の胸を見下ろして、
「君も知っての通り、私の胸は『ニードルおっぱい』だろう?」
「ええ、そうですね」
そう、共感が大事なのだ。解決策とか、その他のツッコみとかよりも共感が……
いや、無理。
「『ニードルおっぱい』ってなんですか!? 先輩が胸にぶら下げてるやつって普通のおっぱいとは違うの!?」
「おや? おっぱいソムリエと名高い君ならば見ただけで分かると思っていたのだが」
そんな変態的なものになった覚えはないんですけど!
っていうか名高いってことは誰かが噂流してんのか!? よし、まずはそいつをシメよう。元凶を断つ!
「では説明しておこうか。私のおっぱいは少し特殊でね。触られたりしたときに私が激しい嫌悪感を抱いていると無数の針が飛び出るようになっているんだ」
それは果たして『少し特殊』という部類に入れていいものなのだろうか。それがおっぱいなのかどうなのかを疑うべきだと心の中の僕が叫びまくっているのだが。
「針が飛び出るって具体的にどんな感じなんですか?」
「そうだね……。星のカー〇ィ64のニードルニードルのコピー能力みたいな感じかな」
めっちゃトゲトゲじゃん! サボテンとかコンパスとか出てくるやつじゃん! っていうか先輩結構古いゲーム知ってるんですね。
「そ、それで、痴漢はどうなったんですか」
まさかゲームのようにパンっと弾けた訳ではあるまい。
「J〇J〇ばりの劇画タッチで『お、俺のッ、俺の手がぁぁぁッ!』って叫んでたよ」
「なんでその痴漢は劇画タッチになれるんですか。っていうか伏せ字あんま意味ないんですけどそれ」
「まあ、そんなわけで今朝はちょっとエグいものを見てしまってね、少し憂鬱だったというわけさ。でも君に話したことで大分楽になったよ。ありがとう」
「いや、それそんな簡単に楽になるもんじゃないでしょう。もはやトラウマものでしょう。っていうか先輩のおっぱい事情を聞いて僕が軽くトラウマ体験中なんですけど!」
「そう? だったら――」
するりと先輩の手が僕の手から離れる。かといって先輩が僕から離れたわけではなく、寧ろ僕に覆い被さるようにして近づいてくる。
「触ってみるかね? 君ならきっと針が飛び出ることも無いだろう」
僕の目の前には目尻を下げてニコリと笑う先輩の顔、そして前傾姿勢になることでより強調された大きな胸。
その豊満な胸に僕の鼻先が触れ――
「おーい、君、そろそろ起きたまえよ。もういい時間だよ?」
パチリ、と目を開いた。目の前には先輩の綺麗な顔が広がっている。そこから少し視線を下にやると、前傾姿勢だというのにまるで存在感を感じさせないマイクロブラックホールがある、のだと思う。小さくてよく分かんないけど。
ぼーっとした頭でその部分を見つめていると、すーっとその膨らみが遠ざかる。
「あのねぇ。流石の私もそれだけガン見されると恥ずかしいのだよ。というかどうしたんだね?」
「あー、えー、なんと言いますか」
うん、なんと言えば良いのだろう。とりあえず、今の先輩を見ても違和感のようなものはまったく無い。っていうかあの夢の先輩は胸が大きすぎて違和感が酷かった。つまり……
「先輩の胸は小さい方が落ち着きますね」
「ぷっ。ははははっ。君は、一体どんな夢を見たらっ、そんなことを女性に言えるんだい!」
かなり失礼なことを言ったとも思うのだが、先輩はお腹を抱えて大笑いをし、しまいには近くの机をバンバンと叩き始める。
もちろん、お腹を押さえる腕に胸が乗っかることも無かった。
先輩はひとしきり笑うと、まだ顔をにやつかせながらも帰り支度を始めた。僕も眠気を頭に残しながらも、手早く片付ける。片付けと言っても、せいぜい出していた小説などを鞄にしまうぐらいですぐに終わる。
「好きだなぁ」
部室から出て、廊下を歩いていると、先輩が窓の外の空を見ながら呟いた。
夏になる少し手前。昼は暑いものの、この時間にもなればまだまだ快適だ。
空は橙色に染まり、僅かに浮かぶ雲が空に深みを与えていた。
「空がですか?」
「もちろん空もだけどね」
他にも色々だよ、と先輩は付け加える。
「そうそう、今日は電車でね――」
そう言って先輩が話し始めたのは憂鬱なんて言葉は欠片も出てこない雑談で、違和感も何も無い日常。
あぁ、好きだなぁ。
僕は空を見上げながらそう心の中で呟いた。
〈了〉
マイクロブラックホールに落ちる 四葉くらめ @kurame_yotsuba
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