椎名ゆり その9




 駅のロッカーで荷物を出したが、着替える時間がもったいなく感じた私はそのまま家に帰った。

 帰宅してシャワーを浴びようと服を脱いだら、ポケットからしわくちゃになったドリンクチケットが出てきて、使い忘れていたことに気づいたが、今日の良い記念になると思い、とっておくことにした。


 シャワーを浴び、部屋に戻る。


 ……そこには私の人生がある。

 無数の機材と楽器たち。

 洒落っ気のない、私らしい部屋。



 早速、ギターを手に、弾き始めた。

 弾くべきメロディーはもう頭の中にある。

 それに合わせて、言葉を口ずさむ。


 ライブハウスを出てから、帰り道も、シャワーの最中も、ずっと頭を巡っていた音があった。

 思い出したかのように自然に浮かんできたそれらは、メロディーとして生まれ変わりたいと、私をずっと急き立ててきたのだ。


 ライブの興奮から、フジノとの約束から、最高潮に熱く高まっている私の頭脳は、爆発的なインスピレーションを迸らせて、私に曲を作れと促していく。


 良い刺激、なんてもんじゃなかった。

 人生が変わったといってもいいぐらいだ。

 大袈裟かもしれないそれは私の中で至極リアルで、それに負けないだけの曲を今すぐ唄わなければ、無力感に窒息して死んでしまいそうになるぐらいに。


 フジノたちに負けたくない。もっともっと頑張りたい。


 大好きな音楽だから。



 人々に幸せを、エネルギーを、もっとも強く与えるのが私でありたいから!



 今日の私はすごい。

 この間、新曲を書き上げたばかりだというのに、もうアイデアが湧いて、それが早くもまとまり始めている。

 メインメロディーだけじゃなくて、他のパートの演奏とか、歌詞まで頭に浮かんできて、一度に覚えきれなくて溢れそうだ。

 今一秒でも無駄にしたら、どこかに消え去ってしまいそうな、尊く素晴らしい要素の全てを、この時間で新曲として封じ込めてやるんだ!


 私たちDIVERSITYの中で、伴奏を作るのが一番上手いのはユークンだ。

 キーボード担当だけど実は他の楽器もできるユークンは、編曲をやらせたら随一の完成度を誇る。

 だから私も安心して、自分の作曲に集中できている。

 ありがとうユークン。


 歌詞を書くセンスがあるのはイリスだ。

 元々文章を書くのが上手いイリスは、語彙も豊富で、私が思いつかないような素敵な表現をよく思いついて、私をしょっちゅう助けてくれる。

 あの感性の鋭さは、やっぱり文学部だからかな?

 ありがとうイリス。


 リオはあまり主張しないけれど作曲も得意で、私が考えたメロディーを上手くつなぐようなフレーズをよく考えだしてくれる。

 そうして曲が出来上がったことは何度もあるし、思えばそれは音楽以外の人間関係でもそういう橋渡し役をあの子はよくやってくれている。

 ありがとう、リオ。


 力があって、頼りになって、私にはもったいないぐらいの、ありがたい仲間たち。



 けれど、今日の私はそれすら必要がない。

 全てを全て、私一人の力によって、完成へと導いていける自信があった。


 ユークンみたいに完璧な編曲を、

 イリスみたいに感性豊かな詩を、

 リオみたいに的確な作曲を、

 今日の私は全てこなせる……!



 これを聴いて喜んでくれる、すごいと言ってくれる。

 そんな人たちの顔を思うだけで、私はいくらだって頑張れる!


 否、それ以前に。

 音が鳴っていることは、たったそれだけで、こんなにも楽しい。

 こんなにも人は元気になる。


 そんな原始的ですらある喜びを、あまねく世界に伝えるために、



 ――私は、奏でる。





「……、できた……!」


 深夜の自室。

 書きなぐられた無数のメモ用紙と、無造作に投げ捨てられた切れた弦。

 湯上りにギターを弾いたりしたものだから指は傷だらけで、まるで初めて弾いた時みたいだ。


 でも、気分はそれと近い。

 初めて作った、自分の曲。

 それが出来上がった時の、忘れられない興奮と達成感に近いものが、今の私にこみ上げている。




 ……良い曲が、できた。


 ただ、それだけを深く思う。



「よし……」

 明日早速、メンバーたちに教えよう。

 ユークンはまた、ためになるアドバイスをしてくれるかな。

 そしたらもっといい曲になる。


 イリスは呆れるだろうけど、これならすごいって言ってくれるかな。

 イリスがやる気になったら、それは本当にいい曲ってことだ。


 リオはいつもみたいに喜んでくれるかな。

 いつも助けてくれるリオに、少しでもお礼ができたらいいな。


 楽しみだな……。



「つかれた……」


 気がつけばもう、明け方近かった。

 けど、興奮冷めやらぬ感じで、このままでは寝付けそうにない。

 このまま大学に行こうかと思って、そんな気分じゃないことに気づく。


 大学は、やめてもいいかもしれない。音楽に集中したいから。

 もちろん、音楽以外にも大事なコトはいっぱいあるけれど、全てをやっていたら私の人生はすぐに終わってしまう。

 もっと考えなきゃ。

 大切な人生なんだから。

 やりたいことがあるんなら、思考だって休めてちゃいけない。



 ――そうだ、新曲が書けたって、メールをみんなに送っておこう。


「……ふぁ」

 そう思った私は、あくびを噛み殺して、なんとかパソコンのスイッチを入れた。

 メーラーを起動させる。



「……?」


 すると、着信があった。

 それは見たこともないアドレスだった。誰からだろう?


 ぼんやりしているのか、迷わず開く。



「株式会社……、ええと?」

 聞いたこともない会社名……が、そこには記されていた。



「主要業務……音楽制作……、自社スタジオ保有……、楽曲プロデュース……、完パケ……、作詞、作曲、編曲、MIXING、ライブ演奏……?」



 そこに書かれた意味を読み上げながら、何一つ理解できないまま、意識がぼんやりと沈んでいく。

 やばい、眠い。

 このまま、寝ちゃう……。


 ライブであれだけはしゃいだ後に、一分も休まないまま徹夜で新曲制作。




 ああ、やっぱり疲れてたのかな、私……。




 幸福感に満たされながら、私は眠る。


 それが何に由来するものなのか、最早判然としないまま。




Chapter1 椎名ゆり/了

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Rock'N'Roll Coffee Machine 藤原キリヲ @krwfjwr

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